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【第2章】その62✤新たなる旅立ち その2
これがその現存されているエドムンドの指輪で彼の称号である "+Earl of Rutland" (ラトランド伯爵)と刻まれた銀製の指輪
ベアトリスがセシリーと話し、ヨーク家から離れ、ミデルブルグからも旅立つことに決めたのは3月初旬のことで、3月中旬には既にミデルブルグにはいなかったのだ。
彼女が旅立ったのには、それにはいくつかの理由があった。
彼女にはエドワードの思いを受け入れることは
【第2章】その61✤新たなる旅立ち その1
プランタジネット家の三兄弟。向かって右からエドワード4世、真ん中が弟クラレンス公ジョージ、一番左側が一番下の弟で後のリチャード3世
激しい戦闘も終わり、6月の戴冠式を待つだけになったエドワードはすぐにでもミデルブルグへ行こうと考えていた。
妹のマーガレットは母セシリーとベアトリスの待つミデルブルグへ到着し、2人の弟ジョージリチャードはブルゴーニュ公国フィリップ善良公の元へ客人として迎えられ
【第2章】その60✤フェリブリッジとタウトンの戦い
タウトンの戦いで矢で総攻撃をかける兵士達
タウトンから17㎞ほど手前の場所にフェリブリッジがあるが、最初の戦いはこのフェリブリッジで始まった。
フェリブリッジとはロンドンから北へ300㎞ほど遠方の、右上方にあるヨークまではたった43㎞の、昨年12月30日にヨーク家が大敗を喫したウェイクフィールドの戦いの場所からも20㎞と離れていない場所だった。
ヨーク公リチャードとベアトリスの愛するエド
【第2章】その57✤イングランドの玉座を継承する者
『キングメーカー』ことウォリック伯が自分の馬の喉を切り裂き、タウトンの戦いの前に戦場を放棄しないことを誓う様子を描いたヘンリー・トレシャムの絵
ロンドンで待ち受けていたウォリック伯の手引きにより、エドワードがロンドンの街、そしてロンドンの城へ入城した際、市民達は大きな歓声で彼を出迎えた。
そこには子供時代、暗い顔をしていた少年の姿はどこにもなく、若く金髪で長身のエドワードはまるでローマ神話
【第2章】その55✤1461年2月17日 セント・オールバンズの戦い
こちらは前王妃キャサリン・オブ・ヴァロワの息子であり、ヘンリー6世の父親違いの弟にあたるジャスパー・チューダーのステンドグラスの肖像画
モーティマーズ・クロスの戦いに敗れたものの、ランカスター軍司令官ジャスパー・チューダーはなんとか逃げ果(おお)せた。しかし父オーウェン・チューダーは不運にも捕らえられ、処刑されてしまった。まだ60歳だった父、ヘンリー6世の母后キャサリン・オブ・ヴァロワに愛された
【第2章】その54✤1461年2月2日 モーティマーズ・クロスの戦い
この肖像画はヘンリー7世の祖父母にあたるオーウェン・チューダーとヘンリー5世の寡婦・王妃キャサリンで、2人は周りから夫婦と認められていた
カレーからイングランド中部のウェスト・ミッドランズに戻ったエドワードは決戦の準備に忙殺された。父リチャードが殺され、父の称号と王位権は彼に引き継がれ、4代目ヨーク公になったのだった。エドワードは今やヨーク家の当主であり、そしてヨーク側の戦況は危うく、ここで負
【第2章】その53✤必ず王になり、そなたを迎えに来よう
こちらはエドワードとエドムンドが少年時代に連名で、父ヨーク公リチャードに宛てて書いた手紙
数日かかって到着した場所は、カレーから200km程北に行ったヴァルヘレン島―現在のオランダの西部ゼーラント州にある半島―だった。
そこからカレーまでは陸地からもわずか200kmの距離であり、エドワードの使者が待っていて、マーガレットと2人の弟ジョージとリチャードはそこからまた170km程北方のユ
【第2章】その52✤セシリーとベアトリスの悲しみ
※作者不明のヨーク公リチャードが殺された際の絵。彼の首を持っているのは王妃マーガレットだが、実際に彼女がその場にいたかどうかは不明
セシリーはその知らせを聞き、意識を失ってしまった。
ヨーク公リチャードが戦死したというのだ。ランカスター側の戦死者が200人ばかりに対して、ヨーク側の部隊のほぼ全滅だったらしい。
そしてその原因を作ったのはセシリーの親族の一人ジョン・ネヴィルの裏切りだというで
【第2章】その51✤クリフォード卿によるエドムンドの最期
※この図はウェイクフィールドの戦いの図。赤がランカスター陣営で黒がヨーク家の陣営。
エドムンドは籠城から兵を引き連れ城の外へ出て、最初はあまりの光景に言葉を失った。
「敵の数が多すぎる」
守りの兵達に聞いていた敵の数はおよそ3,000人、しかし今目の前に広がる兵の数はどう見ても10,000人を超えている。
しかし父であるヨーク公リチャードは落ち着いていた。エドワードとウォリック伯の援軍
【第2章】その50✤1460年12月30日 ウェイクフィールドの戦い
1460年12月30日ウェイクフィールドの戦いの舞台となったヨーク公リチャードのサンダル城
この戦いはそもそも、その年のノーサンプトンの戦いの後、ロンドンにてヨーク派側の捕虜になってしまったヘンリー6世を、王妃マーガレットが奪回しようとランカスターに忠誠を誓う有力貴族達に呼びかけ、彼女に賛同した反ヨーク派の勢力が集結したことにより始まった。
彼女にとって夫であり、最愛の息子の父であるヘンリ
【第2章】その49✤ウェイクフィールド戦いの前夜
写真は筆記体でラトランド伯と刻印されている、中世の銀の指環
結局、聖なる12月24日を親族で迎えることはできず、エドワードは一足先に、その後エドムンドも父ヨーク公リチャードと旅立った。24日から26日はヨーロッパ諸国ではクリスマス期間であり、通常は一族で過ごす大切な日なのだが、この時はそうも言っていられなかった。というのもヘンリー6世の王妃マーガレットがスコットランドと手を組み、兵を集めて奇襲
【第2章】その48✤ベアトリスと結ばれるのは……
こちら本人ではありませんが、ラトランド伯エドワードのイメージはこんな風ではなかったかという記事の絵を見つけました。エドワードもエドムンドも美形の兄弟ではあったようです。
疲れているのに眠れない夜を過ごしていたエドムンドはふと胸騒ぎを覚えた。
何故かはわからない、でもベアトリスが自分を呼んでいる気がしてならず、彼女の部屋の側まで行かなければ、と思った。
城の中は宴の後で、城の階段
【第2章】その47✤エドワードとエドムンド兄弟の想い
こちらはエドワードの肖像画になります
ヨーク家はもう少し待てば一族に転がり落ちてくるであろう王冠と玉座に既に夢見心地で、毎晩のように祝宴をあげていた。ご馳走を用意し、葡萄酒をのみ、そして中世の宴では道化師が芸を披露したり、詩を読んだり歌ったり踊ったりもする。
ヨーク家の兄弟達は、道化の芸に歓声を上げつつ同じテーブルに着いて宴に参加していたが、当主であるヨーク公リチャードとセシリー、そして嫡男