おっぱいが見たい。
クリスマスの夜。
小さな男の子が、おとうさんに肩車をされてはしゃぎまくっている。
笑いあうふたりの息が白い。こどもの笑い声っていい。
男の子もおとうさんも幸せ。
若い女性が身体に密着したセーターを着て、コートを羽織り、笑顔を浮かべてどこかへ急いでいる。
おそらく彼氏のところに行く。おっぱいの形がいい。
彼氏も彼女も幸せ。
わたしはひとりベンチに腰掛けてそれを見ていた。
ショッピングモールの周りに設置された、電飾で彩られた木の、その側にあるベンチに、ひとり腰掛けてそれを見ていた。
わたしには肩車をして喜んでくれる男の子も、わたしにおっぱいを見せるところを思い浮かべて、わたしのもとへ街を急ぎ足で向かって来てくれる女性もいない。
おっぱい。
誰もわたしにおっぱいを見せてくれない。
目の前を何人かの女性が通り過ぎていった。みんな服を着て、ブラをはめ、おっぱいを隠している。
わたしはいま仕事の休憩時間中で、あと数分すれば、このショッピングモールに併設されたオフィスビル内にある、職場のコールセンターに戻らなければならない。そこでは100人以上もの女性がオペレーターとして働いていて、電話応対をしている。
100人以上女性がいて、そこには200個以上ものおっぱいがあるのだ。
しかし、どの女性のおっぱいも、ひとつたりともわたしは見たことがない。
どの女性も、わたしにおっぱいを見せてはくれない。
ずっとわたしからおっぱいを隠したまま、頭にヘッドセットをはめ、電話応対をし、ときに自分の席から立ってファックスを送り、コピーを取ったりしている。
わたしが実際には見ることのできないおっぱいが、かたちやシルエットだけ印象付けられて、わたしの目の前をいつもいきかう。
仕事中、ひとりの女性がそっとわたしを呼び出し、ビル内の、人気がない場所に連れていき、ほら、とおっぱいを見せてくれることはないのだ。
100人の女性が、わたしの前でそしらぬ顔をして働いている。
たとえば昨夜、ひとりの痩せた女性オペレーターは、風呂上りに男と言い争いになり、おっぱいを隠しもせず、黒豆みたいな乳首をむき出しにしたまま、男を口汚く罵っていたりしたはずなのだ。
それなのに、そしらぬ顔をしてブラをはめ、服を着、わたしの前で電話応対をしている。
誰も、わたしの前で着ている服を脱ぎ、ブラを取り、おっぱいを見せてはくれない。
誰もわたしにおっぱいを見せてはくれない。
夜風が冷たかった。時計を見ると、もう休憩時間が終わろうとしていた。
ベンチを立たなくてはならない。おっぱいを見せてくれる女性のいない職場に、働きに戻らなくてはならない。
誰もおっぱいを見せてはくれない。
職場にも、街角にも、交差点にも。
目の前のビルに点る明かりの下にも、おっぱいを見せてくれるひとがいない。
道をどんどんと進んでいっても、右に曲がっても左に曲がっても、おっぱいを見せてくれるひとがいない。
もう、どこにもいないのかもしれない。
そう思いながら、目の前の景色をじっと見つめた。