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ご質問にお答えします(9)「推敲にどれほど時間をかけるべきか?」

 さてはて、年が明けたと思ったら、もう2月も終わりかけですね。恐ろしい限りでございます。もうなんだろう、最近は寒いわりに花粉がすごくて、踏んだり蹴ったりの様相を呈しているのでありますけれども、そんなさなかにもご質問をいただきましたので、ゴリゴリお答えしていこうかなと思います。

 というわけで、今回のご質問!ででん!

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 なるほどなるほど。自分の書いた文章がどうも納得いかない、、、という状況はよくわかります。でも、ご自分のウィークポイントを客観的に把握できているのは素晴らしいことだと思いますけれども。

 なんとか推敲して文章レベルを上げたいけれど、どこまで推敲すればいいのやら、ということでございますね。

 さっそくお答えしていきましょうー

■僕の場合

 僕は、一つの作品における執筆時間と推敲時間を正確に計ったことはもちろんないんですけれども、体感で言うと、全執筆時間の半分以上は推敲に当てていると思うんですよね。もっと多いかも。というのも、毎日の執筆を開始する前に、僕は必ず冒頭から一度全部読み返すんですよ。読みながら文章やセリフも都度直していくので、前半部分は特に、何度も推敲を重ねることになります。

 ただし、プロにはどうしても「〆切」というものが設定されるわけでして、文章が納得いかないからと延々推敲し続けることはできないのですよね。なので、与えられた時間の中でベストが出せるように、執筆と推敲のバランスを取って原稿を完成させている、という感じでしょうか。

 ちなみに、このnote記事も、5回くらい読み直して、推敲してから公開していますけれども、それでも後から読み返したら直したい箇所が出てきますからね。かけられる時間には限界もありますし、100%納得したものを出している、というわけではないかもしれないですね。

■100%満足することは永遠にない

 そもそも、というお話なんですけれど、自分が100%納得した文章で作品を刊行できた、ということは、どの作家さんもまずないんじゃないかなあと思います(例外はあると思いますけれども)。読み返せば読み返すほど直したい場所というのは出てきますし、仮に満足して本を出したとしても、2、3年経って文庫化するときに読み返すと、もう改稿したくてうずうずすることになるわけです。時とともに自分の文章力や感性も変わっていきますからね。

 実際に、文芸誌に掲載した時、単行本にする時、文庫化する時、それぞれのタイミングで、作者は多かれ少なかれ原稿に手を入れることが多いです。文章だけではなく、内容面も含めてですけれども、改稿できるタイミングで直しまくった結果、もはや単行本と文庫で別ものになっているという作品も少なくないですね。

 一つの作品を、自分が完全に満足する形になるまで思う存分直そうとしても、たぶんそんなの無理なんだと思うんですよね。夢野久作が『ドグラ・マグラ』を刊行した時は、雑誌掲載以降、出版までに十年ずっと改稿しっぱなしで、亡くなる直前になってようやく刊行した、なんて話はありますけれども、これはさすがに現代の商業出版、特にエンタメ界隈では難しいお話です。純文方面にはそういう方もいらっしゃるかもしれないですけれども。
 レオナルド・ダ・ヴィンチも、モナリザを死ぬまで修正し続けたという話もありますし、たぶん作家も、「100%満足」というところを求めると、死ぬまで改稿し続ける羽目になるんだと思います。それでも100%には到達できないんじゃないかな。

 ただ、妥協点、というとちょっとニュアンスが違って、どっちかと言うと、「合格ラインがある」ということだと思うんですよね。しょうがないからこれでいいや、と妥協して完成させるのではなく、今の自分の文章力で、締め切りまでの時間内でできる最良の文章を目指して推敲をするわけなので。結果的に、数年後に見直したとき、なんだこりゃ、と思ったとしても、刊行段階では、精いっぱいやったぞ!と言うところまでは持っていくのがプロかなあと思います。

■推敲には限界がある

 たぶんですけど、現時点で、質問者さんはまだ自分の文体とかリズムを見出せていないんじゃないかな、と思います。好きな作家さんの作品などの影響もあって、漠然と理想の文章や文体を思い描いているのではないかなと思いますけれどもね。

 でも、理想に近づけたい、と思う気持ちはわかるんですけれども、一度書いてしまったものって、整えることはできるものの、文体とかリズムとか、そういう作品全体にかかわる基盤の部分を直すのはちょっと難しいと思うんですよ。ある程度自分の文体は固まっていて、それを更にブラッシュアップしていくのが推敲という過程なので、そもそも全体的に文章が自分の理想に届いていないのであれば、それはもう推敲でどうにかなるレベルじゃないんじゃないかなあと。そりゃ死ぬまで直し続けることになるわ、というね。
 
 プロだとなかなかそうもいかないわけですけれども、アマチュアでいるうちは、満足いかない作品になってしまったら、一度凍結することをお勧めします。現状、推敲しても納得がいかないなら、パソコンの隅っこに冷凍保存してしまって、一旦別の作品を書き出すといいと思いますね。いろんな作品を書いているうちに、だんだん自分のリズムや文体が見えてきます。リズムや文体は推敲の過程でできあがっていくものじゃないと思うんですよ。いくつも作品を完成させることでだんだん見えてくるものだと思います。

 別の作品を書いて、場数を踏んでからもう一度凍結した作品を引っ張り出して来て、大幅な改稿をするか、いっそのことまるっと書き直すかすると、今よりは理想に近い作品になるんじゃないですかね。それを繰り返して、自分の中の「合格ライン」を目指すとよいんじゃないでしょうか。
 僕も、前半書き出してみてどうも視点やテンポ、文体がしっくりこない、ということがままあるんですけれども、その場合は100枚くらい書いていても、頭から書き直すこともあります。

 「ちがーう!」とか言いながら皿を叩き割る陶芸家じゃないですけれども、納得のいかない作品を捨てる勇気というのも、プロの小説家を目指すなら必要なんじゃないかなと思いますね。

 推敲というのは、原則として「よいものを、よりよくする」というもんだと思うのですよ。だめなものをいいものにしようと推敲を重ねても、いいものに作り替えるのは難しいわけです。例えば、家を建てて、なんか住み心地が悪いなあ、と思ったとして、家具の配置を変えるとか、壁紙を貼り替えるとか、そういうのはこだわっていくといいと思います。でも、基礎が歪んでいるとか、なんなら「間取りが理想と程遠い」「家が建っている場所の環境がそもそも気に入らない」みたいな、根本的に気に入らない家をいくら住みよくしようとしても、まさにどだい無理なわけです。うまいことを言いました。

 そういう時は、犠牲を払うことにはなりますけど、一旦取り壊して基礎から建て直すか、別の家に引っ越したほうがよいですよ、ということになりますね。

■結論

 小説家にとって推敲はとても大事なものですけれども、それにかけられるリソースというのは限られています。どんだけ推敲しても納得いく作品にならないということは、おそらくはその作品を書くだけの筆力がまだ自分に備わっていないのではないかな?と思います。
 その場合は、今あるものをよくしようとしても限界があるので、いったん凍結するか、捨ててしまうかして、新しい物語を書くといいと思います。

 今回は100%満足だ!これ以上ないほど完璧だ!と思って作品を世に出している人は、ほとんど存在しないんじゃないかなと思います。逆に、アマチュアにもかかわらずそう思えてしまう人は、よほどの天才でない限りはただの自己満足なので、いつまで経っても成長しないですし、プロにもなれないんじゃないかなと。だから、100%満足は出来ない、というのはそれでいいんだと思いますね。
 ただ、新人賞に応募する、どこか媒体で発表する、ということであれば、期限の範囲内で精いっぱい良いものにしよう、という姿勢は大事じゃないですかね。

 そもそも理想と程遠い作品は、〆切のないアマチュアのうちは、凍結保存するか、いっそのこと捨ててしまった方がよいです。どうせ、プロになったら年にいくつも物語を書かないといけなくなるので、一つの作品にいつまでもこだわっているようでは難しいわけなのでね。

 スクラップ&ビルドを恐れるな、というのも、今回のご質問に対する一つの答えになるんじゃないかなと思います。

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 お送りしましたモノカキTIPS、いかがでしたでしょうか。参考になればよいのですが。

 というわけで、引き続きモノカキTIPSでは皆様からのご質問をお待ちしております。お気軽にご質問くださいませー


 文庫新刊も何卒よろしくお願いいたします。

小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp