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【彩無き世界のノスタルジア】のウラバナシ(1)

 さて、本日発売、『彩無き世界のノスタルジア』ですけれども、既にフラゲして下さった方もいらっしゃるようで、ありがたい限りでございます。
 本作は、来年映画公開となる『名も無き世界のエンドロール』原作の5年後を描いた物語なわけですけれども、まあー、いろいろ苦労がありまして。それについて、またウラバナシとしてほろほろ語っていければいいなあと思います。

 今回は、第一回目、ということで、執筆に着手するまでのウラバナシ。

■構想は既にあった

 続編執筆のお話は、『名も無き~』の映画化が決まった時に立ちあがった企画なわけですけれども、『名も無き~』にまつわるいくつかのエピソードは刊行時点で実はある程度断片的に考えておりました。そのうちの一つが、『名も無き~』文庫版に追加された短編「ポケット」で、『彩無き~』は、「前作主人公・キダのその後」など、いくつかのエピソードを膨らませて出来上がったものでした。

 『名も無き~』を読んでくださった編集さんなどからよく、「前作ラストのシロタとは何者です?」と聞かれることが多くありまして、その答えは僕の中だけでストーリーが出来ていたりしたので、『彩無き~』の中に、重要な部品としてはめ込むことにしました。
 
 「答え」を出さなくてもいいかなあ、と思ってはいたんですけどもね。でも、「ポケット」もある種の答えみたいなもので、読者の想像に任せるか書くか、という選択はいつもありますけれど、今回は「書く」を選択しました。

 本当は、もう一つ、書きたかったなあーという場面があるんですが、それはたぶんもう書く機会ないかなあと思いますので、映画続編でも企画して頂けるようなら、こういう場面入れません?と提案しようかなと思います。獲らぬ狸のなんとやらでございますね。映画がヒットしますように。

■「レオン」のオマージュ

 前作『名も無き~』は、映画『レオン』のオマージュをふんだんに盛り込んでいるわけですけれども、なんでそうなったかと言うと、僕が『レオン』が好きだったから、というしょうもない理由でございまして。
 映画『レオン』の結末のシーンから『名も無き~』を着想して、そこにいろいろ好きな作品のオマージュを肉付けし、好き勝手書いたものが前回。今回も、勘のよい方はあらすじを観てすぐにわかったと思いますし、なんなら映画『名も無き~』キダ役の岩田さんが寄せて下さった帯コメントにも「レオン」の文字が入っているわけですけれども、『レオン』のオマージュは残そう、と考えておりました。残そうって言うか、もう、図式がまんまじゃねえか、と思うわけですけれども、パクったわけではなく、オマージュということでご納得いただけると幸いでございます。

 今回は、キダともう一人の主人公として、「彩葉(いろは)」という11歳の少女が登場します。11歳と言いますと、ナタリー・ポートマンが映画『レオン』に抜擢された年齢(作中のマチルダは12歳という設定ですね)。この、彩葉という少女がキダの家に転がり込んできて……、というのが物語の発端になるわけですが、これがね、なかなか匙加減が難しかったというか。

 11歳の女の子って、結構生々しいというか、子供なんですけれども、同年代の男子に比べると身体的、精神的にかなり大人に近づいてきていて、人によっては第二次性徴が始まりますし、子供でありながら、「女性」という一面ものぞかせるお年頃なんですよね。
 対する、キダは35歳。おっさんですけれど、若者の域にはまだまだ片足を突っ込んでいるわけで、11歳という少女の「女性性」を強調してしまうと、なんかいちいち生々しくなるというか。

 実際、映画『レオン』も、一般公開時にカットされた場面がいくつかありまして、中には、間接的にではありますが、マチルダとレオンの男女としての関係性を表現する場面もあったりします(後に、完全版として円盤でリリースされますけれども)。後年、マチルダ役のナタリー・ポートマンも、今の価値観に照らせば、不適切なシーンがあった、と言っておりますね。

 なので、現在の価値観に照らし合わせると、結構設定としては危なくて、キダがただのロ■コンおじさんに見えてしまってはいけないわけなのですよ。なので、今回は担当編集さんがお子さんを持つ女性だったので、どのラインなら気持ち悪く見えないか?というところをいろいろ詰めて、ある程度のキャラクターの関係性、みたいなことを考えなければいけませんでした。

 それでも、11歳の少女、というパートナーをキダに託したのは、それまで小さな世界で生きてきたキダに、この世界との接点、親から子へ、という世界や時代の連続性を感じてもらうためで、とても必要な要素であったわけです。あとは、前作を読んでくださった人なら、「小五の女の子」が何を意味しているのか、わかってくださるかもしれないですね。

 帯でね、岩田さんが「ロマンス」という言葉を使われているので、すわ、これは歳の差恋愛の話ですか、、、! などとコメントを頂いたこともあったのですが、あれは岩田さんのおしゃれな言い回しだと思います。w

 本編では、映画『レオン』とは違って、性を匂わせるような表現は一切なく、あくまで『疑似親子関係』という距離感でキダは接していると思いますので、中高生のお子さんに読んでいただいても大丈夫かな、とは思っております。教育上いいもの、とまでは保証できませんけども。

 『スパイの妻』や、他のお仕事でも最近特に感じることなんですが、これまでのエンターテインメント作品があまり気にしてこなかった表現、たとえばステレオタイプだったり、ジェンダーだったり、LGBTだったり、少数民族だったり、ハラスメントやルッキズムといった概念だったり、いろいろね、新しい物の見方というのは増えてきていますからね。
 僕もできるかぎり配慮しながら、でも作品としてのエンタメ性をどう担保するか、ということを考えながら、今後も書いていきたいなあと思っておりますね。

■前回と同じ書き方で

 僕の場合、小説を書く時は、作品によって詳細なプロットを立てたり、構成を考えるだけにしたり、と、プロットの有無を使い分けて書いているんですけれども、『名も無き~』を執筆していた頃は、完全にノープランというか、結末だけぼんやり決まっていて、あとは頭から好きなように書いていく、という書き方をしたんですよね。なにしろ、プロットという言葉すら知らなかったですし、登場人物の名前すら決めていなかったですね。

 で、今回も、きっちりプロットを立ててしまうと、読み味が変わり過ぎちゃうかもしれないなあ、と思いまして、ラストの着地点だけ決めて、あとは思いつきで書こう!と思っておりました。なので、プロットと言うべきものはほんとにテキスト一枚ペラみたいなもので、「なんやかんやしてこうなる予定」「紆余曲折あってこんなことになると思う」みたいなふわっとした項目だけ並んでいたので、今思えば、これがまあ、よく通ったな、と思うばかりです。

 そして、その「ノープラン方式」のために、執筆はめちゃくちゃ苦労することになるのですが、それはまた後日のお話に。

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というわけでございまして、ウラバナシ一回目は、執筆に至るまでに考えたことなどお話させていただきました。なんかもしね、『名も無き~』『彩無き~』で聞いてみたいことなどありましたら、質問箱にご質問頂けましたらと思います。

 まだ未読の方、新刊発売中ですので、映画『名も無き世界のエンドロール』、および原作小説と併せて、ぜひご一読いただければ幸いです。


小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp