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ご質問にお答えします(17)群像劇を書くには

 はい、ということでございまして、あっちゅう間に夏も過ぎ去り、涼しく過ごしやすくなってまいりました。この時期ねー、風邪ひきやすいんだよな。サンダルと薄掛け布団から切り替えるの遅くなって。今、風邪ひくと紛らわしいですからね。みなさまもお気をつけくださいませ。

 さてさて、今回はまた頂いたご質問にお答えしていこうかなと思います。では、質問はこちら!

 ええと、小説書き始めて1年でもう長編一本書き上げたんですか、、、?すごくないすか?僕とか、長編書くまでえらい時間かかりましたし、初めての長編一本書き上げるだけで2年かかったんですけども。それに、趣味で書かれている小説で、しっかり読み手を意識しているのはよいことだと思いますね。いずれ、公募も考えているのかな?

 でも、群像劇って結構難しいんですよね。やりたくなる気持ちはわかりますけどね。僕もあんま得意とは言えなかったりするのですが、自分の考えをつらつらお答えしていこうかなと思います。

 ではいってみましょー。

■「疲れる」の原因を考えよう

 質問文では、完成稿を読み返して「疲れた」ということをおっしゃっていて、読者に疲れさせないようにするにはどうしたらいいか、というのが第一のご質問でしたけれども、「読後疲れる」というのは別に悪いことじゃないと思うんですよね。

 だいたいね、社会派小説ってプロの小説でも読後は疲労感があると思うんですよ。全体的に話が重いことが多いじゃないですか。いろいろ考えながら読むし、新しい知識も入ってくるし、緊張したり、感情移入して苦しくなったり憤ったり。文体も固く重厚になりがちですし、まあ疲れて当然なのです。その疲れが、満足感のある疲れであればよいわけですね。

 例えば、登山とか遠泳とか、めちゃくちゃ疲れるんですけど、頂上からの景色に感動したり、あそこまで泳げた、みたいな達成感があったりすれば、疲労も満足感に変わるわけです。小説においては、結末のカタルシスであったり、心に残るものがあったりすれば、読者は疲れても満足してくれます。一部、途中で投げ出してしまう読者もいると思いますが、それはもう致し方なしと割り切るしか。

 ただ、ダメな疲れもありまして、「こいつ誰だっけ」「これいつの話?」みたいな、「読むために頭を使わせすぎる」というのはあまりよくないと思うんですよね。登山と違って、ビルの10Fに行くのに、エレベーターが故障して階段を上がらなければならない、という状況になったら、なんでこんなに疲れなきゃいけねえんだよ、ってイライラするじゃないですか。10F上に行く、という過程にそれほど深い意味がないですし、階段で上ったところで達成感もそんなにないし、エレベーターを使いたいですからね。

 視点の切り替えや時制の変化への対応って、ストーリーとは関係なく読者が頭を使う部分ですから、そこでエレベーターではなく階段を使うくらいの疲労度があると、作品のテーマとか内容まで頭が回らなくなっちゃうんですよね。過去回想はやめた方がいいとは言いませんけど、ストーリーを組み立てる上で、ほんとに回想にする必要があるか?は自問した方がよいかもしれません。

 「社会派小説」「群像劇」というのは、読者に頭を使わせる形態の作品だと思います。重いテーマ、目まぐるしく変わる時制と視点。なので、後者の「ダメな疲れ」の原因になる部分は、できるかぎり読者のことを考えて、抑える努力をするといいと思いますね。時制の変化に決まったパターンを持たせるとか、視点の移動が起こった場合は「誰の視点、いつの時制というのを開始数行の間に説明する」といった工夫が必要じゃないかなと思います。

 なので、まずは、ご自身が「疲れた」と思った理由を自己分析して、もし後者の理由で疲労感を感じるのであれば、文章や構成をもう一度見直してみるとよいのではないでしょうか。

■登場人物を絞る

 さて、「群像劇」とは、ある一人の主人公にフォーカスして物語を進行するのではなく、複数の主人公それぞれにスポットを当てて物語を構築する、という手法で、まあ当然、たくさんの主人公が出てきて、それぞれの視点が入り乱れながらある一つの結末に向かっていく、というのが醍醐味であったりします。

 なので、「登場人物を絞る」という考えは、群像劇を書くという行為と矛盾してるのでは?という話なんですけれども、群像劇ってやつは明らかな短所がありまして、それは「単独主人公の小説よりも、主人公一人一人に対するストーリーの掘り下げがしにくい」という点にあります。

 なので、視点人物が増えれば増えるほど、個々のストーリーは薄くなっていくんですよね。何十巻も続くような歴史大河小説みたいなのであればまた別ですけれども、普通の長編作品は350枚~450枚、長くても500~600枚くらいに抑えるのがセオリーですし、主人公が一人でも複数でも物語全体の尺は変わらないわけで、群像劇は普通よりも短いページ数で登場人物の背景や性格を説明しないといけなくなるわけです。キャラクターの掘り下げが甘いと、共感とか感情移入ってしづらくなりますから、主人公が四、五人というのは、一巻完結の小説としては限界量じゃないかなと思いますね。その上に、物語のキーになる登場人物が十五人もいる、ということになれば、書ききるのに相当な筆力が要るのではないかなと思います。

 とてつもない数の視点人物を出した小説の例として、僕の読んだ中では『バトル・ロワイヤル』があるんですけれども、やはり背景を掘り下げられる主要キャラの人数というのは限られてましたし、ストーリー自体を単純化したり、キャラをステレオタイプ化したりしないと、なかなかこの数の視点の共存はできないよなあ、と思いました。

 なので、群像劇を書く場合でも、ストーリー上、本当に必要な数まで登場人物を削る努力をした方がいいです。今はおそらくですけれども、「ストーリー上必要なところに人を配置する」というやり方でプロットを組み立てた結果、主人公の数が増え、登場人物の数が増え、ということになっているんじゃないかと思います。でも、そこから登場人物を削る、という作業をプロット段階でやったほうがいいんじゃないかな。
 「ストーリー上、セリフのほとんどない登場人物でも出さざるを得ない」という考え方でプロットを作ると、登場人物が雪だるま式に増えていってしまうと思います。「登場人物を増やさなければいけないのなら、エピソードの構成を再考する」ということをやって、できる限り登場人物の数を減らしてあげることが大事ですね。

■読者は名前を覚えられない

 群像劇を書く上で、結構重要じゃないかな、という観点の一つに、読者さんというのはなかなか登場人物の名前を覚えられない、というのがあります。
 作者はね、書くときにキャラを識別するので、ある程度名前を覚えるじゃないですか。で、小説でも、初回登場時にキャラの説明をして以降は、毎回出てくるたびにそのキャラの説明を入れることはしません。みなさん、この人のことはもう知ってるでしょ? という前提で書き進めていくわけです。

 が、ここが大いに落とし穴で、読者は作者ほどキャラの名前を覚えられないわけなのですよ。特に、社会派の現代小説だと、キャラに突飛な名前を付けることはできないですし、リアルにもいそうな漢字の名前って、めちゃくちゃ覚えにくいんですよね。

 邦画やドラマを見るとわかるんですけど、誰かと感想を言い合うときなんかに、役名を出すことって少なくないですかね。わりと演じている役者さん自身の名前を出してしまうことが多いんじゃないかなと思います。「あの場面で、キムタクのセリフがさぁー」とか。

 なので、群像劇というのは、よほどキャラの個性を引き出して、名前をすっと覚えてもらうようにしないと、「誰だっけこれ?」と前に戻って読み返さないとストーリーがわからなくなる、という読み手のストレスが発生してしまいます。
 ちなみに僕の場合は、
 ・名前をカタカナ表記にする
 ・作中人物にニックネームで呼ばせる
 ・セリフで不自然にならない程度に名前を連呼させる
などして名前自体を印象付けたり、
 ・キャラの口調を変える
 ・口癖を作る
 ・一人称の表記を変える(俺、オレ、おれ、など)
といったことをして、名前とキャラクターが一致しやすいように、できるだけ配慮はしています。それでも、主人公だけで手いっぱいで、よほどの個性がなければモブキャラなんかほぼ覚えてもらえませんから、群像劇や、登場人物の多い小説を書くときは、「読者はキャラの名前を覚えられない」ということを頭の片隅に入れておくとよいと思います。

■結論

 読み応えのある重厚な小説は、読みやすく、軽くしすぎてしまうことで作品性が損なわれることもあるので、ある程度は読後の疲労感というのも計算にいれて書いてもよいのではないでしょうか。

 ただし、ストーリーや文体といった内容にかかる部分だけではなく、「時制や視点の移り変わりがわかりにくい」といった、読むためのストレスがかかる小説というのは、途中で投げ出してしまう読者さんも増えると思います。特に、読者さんにとって登場人物の名前を覚える、というのはかなり頭を使うことですから、そういったストレスをかけさせないように配慮することで、余計な疲労感を軽減し、作品のメッセージ性をより伝えやすくできるのではないかなと思います。

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 僕の作品ですと、デビュー二作目の「バイバイ・バディ」がやや重めの群像劇でしたねえ。

  読後の疲労感とか、作中かかってくるストレスとか、よかったら参考にしていただければ。群像劇ってね、難しいんですけど、なんでかやりたくなるんですよねえ。

 また、群像劇ではないですけれども、9月24日に新刊も出ますので、そちらもよかったらぜひぜひ。



小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp