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ご質問にお答えします(27)小説で使ってはならないNG表現のラインとは?

はい、ということでございまして、前回久しぶりに質問をいただいてモノカキTIPSをやらせていただいたんですけれども、その際に「質問ください」と呼びかけたら、さっそく質問をお寄せいただきまして。ありがとうございます。わーい。


前置きもそこそこに、今回のご質問をご紹介! ばばん!


今回のご質問

さてさて、文学賞への応募に向けて、僕のnoteもご活用いただいているようで何よりでございます。今後ともどうぞよろしく。

質問は、とある洋楽の引用をしたいと思っているものの、あまり好もしくない表現があって、どうしたらいいか迷っている。プロ作家はNG表現の線引きはどこでしているのか? というお話ですね。

昨今、ポリティカルコレクトネスという考え方も欧米を中心に一般化してきていて、やはりその波は出版界、小説界隈にも押し寄せてきているな、という印象があります。小説は自由な表現が許される場ではありますけれども、差別的な言葉、人を傷つける表現などは、やはり敬遠される向きがありますね。敬遠というか、文章で飯食ってる人間がそういう言葉を使うのは断じて許されない、という価値観になってきていると思います。まあでも、それは元からだと思いますけどね。

ということで、現状、小説の出版における「使える表現/使えない表現」の実情なども踏まえつつ、ご質問にお答えしていこうかなと思います。

ではいってみましょー。

■原則、小説にNG表現はない

と、いきなり結論めいた表題になりましたけれども、小説を書くにあたっては、テレビの放送禁止用語のように、リストアップされたNG表現というものはありません。出版社から作家にリストが配られて、この言葉は使わないでくださいねー、と制限を受ける、といったことは一切ないです。

質問者さんが引用したいと思っている洋楽のフレーズがどんなものかはわかりませんが、それが物語において必要なものであれば、Fワードが入っていようが、差別用語、下品なスラングが入っていようが、絶対に使ってはならない、というルールはないのが現状です。

ただ、「原則」という言葉を使ったのは、何も考えずに使って大丈夫、ということではないからです。出版にあたって編集者や校正のチェックが入ったとき、差別的、侮辱的と取られる可能性のある表現については、かならず指摘が入ります。これは文脈的に大丈夫だろ、と思う表現でも、そのワード自体に引っかかりがあれば、念のため……と、結構指摘を受けます。ちゃんと著者も含めてみんなでもう一度確認して、この表現は大丈夫だというコンセンサス取りましょうね、という意味合いも込めて、問題はないと思ってもあえて指摘している、という事情もあると思います。

基本的に、出版業界というのはリベラルな方が多いので、差別や侮辱表現といった言葉に対しては、意識が高かったり、敏感だったりする方が多いと思います。僕は、NGかな、と思うような表現があれば、必ず編集さんに相談するようにしています。
可能であれば、その言葉の影響を受けそうな当事者の方にも見てもらって、意見をいただく、ということもします。例えば、僕の場合、一番頻繁にそういった相談をするのは、女性について書くとき時ですかね。女性編集者さんには、無意識のうちに性差別をしていないか、不快な表現を使っていないか、ということはよくお聞きしています。

僕の話ついでに過去の事例の話をしますと、以前、ドラマ『スパイの妻』という作品のノベライズを手掛けた際に、現在は蔑称、侮蔑表現とされる、当時の中国を表す呼び名を作中で使ったことがあります。時代背景から考えても他の言葉に置き換えができず、その言葉を使わざるを得ない、という状況だったのですね。「中国」という言葉が存在しなかった時代のお話なのに、登場人物に「中国」とは言わせられないわけです。ドラマ脚本ではその辺を上手に回避していらっしゃったんですけど、小説になると地の文を書かなければならない分、国名にあたる呼称を使わない、というのは至難の業でした。

そこで、担当編集を通して出版社さんの法務部に相談をし、編集部に中国出身の編集者さんがおられるとのことで、その方にもお願いして読んでもらってご意見も頂き、最終的には、巻末に但し書きを入れることでその表現を使うことにしました。この辺は、作家側と出版社側で協議をした上で、そのワードを使うかどうか、最終的に作家の文責で判断を下します。作り手側も相応の配慮をしながら書いている、ということですね。出版して、作品を本として送り出す以上は、相応の社会的責任を負うのです。

ですが、個人的には、文学新人賞の応募原稿の時点ではそこまでNG表現などにこだわる必要はない、と思います。結局、受賞して、作品が発表される前には編集者なり校正なりの目が入りますから、プロの目でOKかNGかを判断してもらった上で出版できますし、取り返しがつきます。執筆段階で、この表現はNGだろうか、と思い悩んで作品そのものが委縮してしまうよりは、書きたいものを書きたいように書く方がよい作品になるんじゃないかなと思います。

ただまあ、デリケートな表現を使う場面が小ネタ程度のもので、物語上必ずしも必要でないのであれば、使わないにこしたことはないと思いますよ。受賞した後、作品を出版するときに直しを入れるよう言われると思いますので、そこでどうしてもこの表現は必要だ、と主張できるものでなければ、結局は削ることになるからです。書き手が、ここは正直削ってもいいか、と思える文章は、その小説に必要のない文章ですからね。リスクを負ってでも、この言葉を読者に伝えたいのか、そこは熟考するといいのかなと。

もちろん、NG表現はそこまで気にする必要はない、とは言え、作者の差別意識や配慮のなさが垣間見えるような作品は、おそらく下読みさんにも編集者さんにも嫌われますし、仮に最終選考まで残っても、選考委員の先生が蹴る可能性が高いと思います。「物議をかもす」くらいならまだありかもしれないですけど、「書き手のクソみたいな差別意識がまるわかり」とかはもう、どれだけ文章や構成のレベルが高くても、擁護のしようがないわけでね。それは避けなければなりません。

つまり、このワードは誰かを傷つけるのではないか、と、必要以上に委縮する必要はないですけど、当然のように、常識レベルの配慮は必要ですよ、ということですね。その「常識」は時代によって変わっていきますので、書き手は新しい価値観を能動的に呑み込み、常に自分の中の「常識」をアップデートし続ける義務があります。なので、質問者さんが、この表現は大丈夫だろうか、と悩むこと自体は、書き手の姿勢として正しいことだと思います。

■ラインを引くのは自分

さて、ご質問は、使える(使いたい)表現と、使えない(使いたくない)表現はどこで線を引いているのか、というものだったわけですけれども、その回答となると、「都度変わる」となってしまう気がします。

例えば、作品を書く上で、通常は差別的な表現など使う必要はありませんが、ストーリー的に必要であれば、登場人物の中に差別主義者を出すこともあるかもしれません。その人物のセリフでは、当然差別的な表現が使われるわけですが、その表現を一律使わないようにするとなると、「差別主義者」という登場人物自体に説得力を持たせられなくなってしまいます。

誰かを傷つけるかもしれないからと、書き手が言葉を制限することで、逆に、そういった表現がいかに人を傷つけるかを読者に考えてもらうきっかけをなくしてしまうことになる場合もあります。あえてよくない言葉を使うこと、生々しく書くことが、そういった不条理への抵抗になることもあるのですね。なので、その作品性によって使える言葉/使えない言葉というのは変わってきて、機械的に、ここからは使っちゃいけないライン、という線を引くことができないわけです。

ここからは僕の持論ですけれども、小説で真に使ってはいけないのは、言葉そのものというより、書き手の無理解による不適切な表現、あるいは書き手がわざと人を傷つける目的で使った表現だと思うのです。よく聞く言い方ではありますけど、包丁は所有者がどう使うかによって、便利な道具にもなり、凶器にもなります。言葉もそういうものです。

常日頃から、人を傷つけるような物語を書きたくない、と思っている書き手であれば、作中に差別的な言葉をどうしても使わねばならない場面が出てきたとして、その文を読んだ人の気持ちも想像できると思いますし、一定の配慮ができるでしょう。なので、よほどのことがなければ、大炎上するような表現を使うことはないんじゃないかなと思うんですよね。
前後の文脈に関わらず、あまりよくない言葉、表現が使われているというだけで批判する人も一定数いると思います。世の中にはいろいろな人がいて、それぞれ許容範囲というのも違いますので、万人を納得させることは難しいですが、先述の僕の場合のように、さまざまな配慮をした結果、自分で「使う」と決めた言葉であれば、自分の中で納得はできるんじゃないかなと思います。使う/使わないのラインは、その作品や言葉と向き合って、書き手自信が引くものです。

なので、言葉の一つ一つを気にするというよりは、自分の意識が時代遅れになっていないか情報を収集するとか、自分の価値観がずれていないかを客観的に見てみるとか、そういうところを意識することで、バランスを取るしかないんじゃないかなと思いました。
自分の内心を知ることができるのは自分だけですから、自分に差別意識はないか、配慮に欠けているところはないか、と常に自問自答しながら、言葉を選んでいくしかないと思います。質問者さんの場合、「ワー!何も書けない!」とお手上げになってからが本番で、そこから使うべきかどうか葛藤し、自分で線を引く必要があります。おっしゃるように、表現を柔らかくしてマスクする、あるいは削る、作品自体を凍結する、と、様々な方法がありますが、プロもアマも、葛藤するのはきっと同じで、こうしておけばいい、という解決方法もありませんから、自分の紡ぐ言葉と本気でぶつかり合って、よい表現、よい物語を生み出していただけるといいなと思います。

■結論

小説を書くにあたっては、現状、使ってはいけない表現、というものが体系化されていたり、使用可否の制限を受けたりすることはありません。つまり、ここからは使ってはいけない表現、というラインは存在しません。それだけに、書き手が自分の判断でラインを引き、言葉を選ぶ必要があります。

ただ、アマチュアの時点で、応募原稿を書く際には、何も書けない、と思い悩むほど、NGかどうかを気にする必要はないと思います。

まず、そうやって、自分の書いた文章が人を傷つけることがあるかもしれない、という意識のある書き手であれば、自然と人に配慮をしながら書いていると思いますし、仮に受賞した場合はプロの編集者のチェックが入りますから、細かい部分も拾ってもらえます。よほどのことがない限りは、応募原稿段階で、細かな表現のせいで落とされる、ということはないと思いますね。

言葉というのは人の内心から出てくるものですから、常日頃から自分の意識をアップデートして、無意識の差別をしないよう心掛けることができれば、正しく言葉も選択できるでしょう。もし心配な時は、誰か(可能であれば当事者)に読んでもらって、どう思ったかという感想をもらうのも一つの方法だと思います。

質問者さんは、そのあたり意識をして文章を書くことができておられると思いますので、きっと大丈夫だと思います。自分の良心に従って、委縮しすぎることなく、自由に文章を書いてみるといいのではないでしょうか。


ということで、テーマがテーマだけに、ちょっと文章が固くなりましたけれども、いかがでしたでしょうか。
僕自身も、出来る限りたくさんの人に楽しんでもらえる作品を書けるように、言葉を十分選んで使わないといけないな、と思いますね。


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よかったら、参考にご一読くださいませ。
ではまた次回。

小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp