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【第3回】誰でも「小説家になれる可能性」を持っている。


 気がついたら、前回から随分経っちゃった、、、、
 ちょっと自分のお仕事で手いっぱいでございまして。
 すみません(てへ)。

 さて、前回のTIPS第二回では、小説家になるために必要な能力についてご説明いたしました。おさらいがてら申しますと、小説家になるために必要なのは、「ある程度正しい日本語で、原稿用紙300~400枚程度の話が書ける能力」というものでしたね。おい、なめとんのかワレ、とお思いの方に、いやこれが難しいんですよ実際、というお話をさせていただきました。「正しい日本語書ける人4%説」については、まったくもってイメージだけですので、あんまり気にしないでください。

 でもじゃあ、ほとんどの人はやっぱり「小説家になる」というのは無理なのでありましょうか。何しろ基準値が4%ですからね。そこから、面白いストーリーとか、感性豊かな文章が書ける人、ってなったら、いったい何パーセントになることやら。

 いやでも、そんなことないよ!というのが、今回のお話。

 どんな人にでも、可能性がある!
 なんとも希望に満ち溢れた回ですね。


■日本語力は一生成長し続ける

 例えばですね、プロスポーツ選手やアスリートの場合、キャリアピークが二十代に来ることが多いですよね。競技によっては十代、三十代にピークが来るものもありますけど、概ね、人間の肉体の成長と衰えの曲線に従って、アスリートの成長曲線は放物線を描くことが普通です。

 ところがですよ、日本語力、語彙力、文章力と言うものには、原則的に限界が存在しません。知れば知るほど成長していきますし、(認知症にでもならない限りは、)一度身についたものが劣化していく、ということはあまりないわけです。

 成長スピードには個人差があれど、本を読んだりニュースを見たり、ただ人と会話しているだけでも、日本語力は毎日鍛えられていきます。日本国内で、「日本語を使って生活している」ということだけで、トレーニングを延々と続けているようなものですね。高地に住んでる人が、毎日心肺トレーニング状態になるのと一緒。悟空が精神と時の部屋で過ごしているのと一緒です。

 つまり、日本人、誰しも「小説家」になるためのトレーニングを日々行っているようなものなのです。たとえ、今現在はまだ長編小説を書くだけの力がなかったとしても、日々、生活しているだけでも書けるようになっていっているかもしれません。そして、ある日、思い立って長編小説を書いてみたら、いきなり書き上げることができた上に、新人賞を受賞! デビュー!

 なんてことも、あながち夢ではありません。いやほんとに。
 なにしろ、僕がそうでしたからね。

 小説家とは、誰しもなる可能性を秘めた、きわめて間口の広い職業の一つなんじゃないかな、と思います。まずは、己の可能性を信じることが第一歩です。

■「日本語成長曲線」は成長パターンが豊富

 さて、前回TIPSで、小説家になるには、ある程度の長文が書けるくらいの日本語力が必要、というお話をしたわけですけれども、小説家として文章を書いていけるくらいの日本語力が備わるまでの成長曲線て、他の分野の成長曲線と比べて、ほんとに千差万別、バリエーション豊富だなあと思います。

 十代で大人顔負けの文章を書くことのできる作家さんも多くいらっしゃいますし、六十代になってからデビューする遅咲きの作家さんもいます。僕はデビューが三十代前半でしたけど、十代、二十代の頃にはまだ、長編小説を書くだけの文章力は皆無だったなあ、と思いますね。小さい頃は読書をよくしていたので、作文や国語は苦手ではなかったですけど、ひとつの大きな物語を成立させるということはできませんでした。

 僕が文章を書くということに目覚めたのは、二十代になってからでした。そこから、ブログで日記や短編小説を書くようになったり、現代小説というものに興味を持ってちょこちょこ読むようになったりして7年とか8年過ぎ、30歳を過ぎてからようやく、長編小説を書くくらいの力がついたようです。そして、2年がかりで受賞作を書き上げるわけです。なので、生まれ持った才能やセンスで一発ツモをぶっこいたわけではなく、実は、単純に日々こつこつ日本語力を成長させて、ようやく長編小説を書きあげ、どうにかこうにか小説家としてデビューを果たすことができたわけなのです。

 なので、僕の成長曲線は、子供の頃~十代前半でぐいーっと伸びて、高校・大学期は横ばいか、緩やかな右肩上がり。二十代後半に入ってからブログや短編小説を書き始めたことでまたぐわーっと伸びて、応募作完成、受賞。そこから、実際にモノカキとして原稿を書き、本を出すなど経験を積むことでまた成長中、という感じでしょうか。

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 ◆例:カヲルくんの、ぼくのせいちょうきょくせん


 ほかの作家の皆さんの成長曲線は、どんな感じなのでしょうね。
 よかったら、みなさま教えてください。 

■成長曲線の上がり角度は変えられる。

 さて、日本国内で生活しているだけで、ぐいぐいと伸びていく日本人の日本語力なのですけれども、やっぱり限界ってのがありましてね。ただ漫然と過ごしているだけで小説家になれるくらいのところまで到達する人というのは、さすがにそうはいないと思います。

 そこで、成長曲線の角度をぐっと上げるのが、やはり、読書だったり、自分で文章を書くことだったりするのですね。多くのハウトゥー本で、当然の様に「本を読め」「文章を書け」と言っているのはもちろん効果大だと思います。ただ、それは成長曲線の角度を変えてはくれますが、自分が小説家になれるだけの日本語力、文章力の閾値を引き下げるものではありません。人によっては、年に5、6冊読んでいるだけでも十分という人もいますし、本の虫の如く読書をしながら、きちんと自分で習作を書いていくという努力を続けないと、生きている間に閾値まで達しない、という人もいます。
 
 なのでね、私は小説家になりたいんだ! という確固たる意志があるのであれば、本を読み、文章を書くことは絶対にマイナスにはならないので、思う存分やるべきだとは思います。多くの作家さんはですね、プロになってからも「文章上手くなりたいなあ」とか、「あの人のあの話みたいなのをどうやったら書けるんだろう」とかおっしゃるんですよ。やっぱり、常に成長していこうという姿勢は大事なんだろうと思います。

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 というわけで、今回は「日本語力というのは成長し続けるんだよ」という話をしました。

 人間、三十過ぎてから「うお、俺めちゃくちゃ成長してる!」って感じられるのは、文章力と筋トレくらいだと思うんですよ。若者からお年寄りまで、成長しながらトライできるという小説家という職業は、とても面白い、稀有なものだと思います。高校の時、小説家になりたくていっぱい小説書いたなあ、なんていう30代、40代の方なんかね、もしかしたら今もう一度書いてみると、案外素晴らしいものが書けてしまうかもしれませんよ。

 それから、今、落選続きで凹んでいる人、諦めそうになっている人は、まだまだ先は長いし可能性は潰えないと思いますので、自分を信じて貪欲に、謙虚に頑張って行きましょう。



小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp