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美保神社③〈天津神・国津神の和合としての結婚。三穂津姫命〉

 この記事を書くにあたって、辞典類を調べているうちに三穂津姫命についてもうひとつ大事なことに気づきました。

 三穂津姫命は国津神(地上の神様)の大国主と天津神(天上の神様)のむすびを担う神様でした。日本書紀に記述がある通りに、大国主命と美穂津姫との婚姻は天津神と国津神の「結び」を担う一種の政略結婚であったことです。


 神話の世界では、天で神様が日本の国を作り、さらに地上ではそれを実際に国家として繁栄させ納めていた出雲・大国主命に代表される国津神の集団がいて、ある時点で、国主を天津神に譲るよう命じるのです。天と地の二つの民族が日本国をめぐって、治者を交代するのですね。それで先述の「国譲り」で力比べをして、国津神は天津神に国土を譲り、大国主は根の堅洲国の支配者として退き、その子孫は今の長野県の諏訪に隠れる・・というのが簡単な筋書きです。そのあと、天津神の子孫であるニニギノミコトが天孫降臨して国づくりをしていく・・・と続きます。


( この2017年の年はわたしの神社巡りでは特異な年でした。というのも出雲民族にゆかりのある地にばかり、出かけるようになっていたのです。この出雲旅行は「出雲に行こう!」と計画していたのですが、それから続く旅行がそれと知らずに出雲民族を訪ねる土地であり、一年終わった時に友人に指摘されて初めてことの重要さに気づいたのです。そこから出雲について図書館などで少し調べました。本当にざっくりと書くと、神話の中で天津神、国津神と呼ばれていた民族は、現在の天皇まで続く直系の弥生系(とわたしは便宜的に呼んでいますが)とそれより以前に本州を治めていた縄文系(出雲民族が縄文人というわけではなく、のちに縄文系文化と融合したことを指します)のことであるとわかりました。

 古事記で語られる以前の「日本」、、つまり大和系が入ってくる前の日本について考えたことはありませんでしたが、これを考え始めることとなりました。)


 さて、美穂津姫に視点を戻すと、大きな政権の交代がそう簡単に行われるはずはなく(古事記の中ではさらっと書いてありますが、出雲国風土記などを読むとわかることがあります)、「国譲り」の際、神話の中でも幾度も「天津神」と「国津神」の協定の絆が試される場面が出てきます。それは取りも直さず、天津神と国津神の婚姻ということで重ねて確認されるのでした。

 同じように天津神と国津神の和合を夫婦の婚姻関係で証明させる場面は神話のなかに複数あります。為政者にとっては、それだけ天津・大和政権が出雲民族と和合して今の日本をつくったのだということ(そして為政者の血統は神から続くものだと証明すること)が大事なのですね。


 三穂津姫命は天津神であり、大国主命が天津神への変わらぬ忠誠を誓う証として国津神へ輿入りしたのでした。

 稲穂の神様としての性格は今回参拝した美保神社が、むすびの神様としての性格は京都府亀岡市の出雲大神宮が色濃くあらわしていると思います。


・・この美保神社は出雲旅行のなかの一部なのですが、どうもとにかく一番気にかかるので、最初に書きました。

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