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完全主義者の憂鬱

やさしい人、真面目な人、なんでも気の付く人、和を一番大切にする人。。
こういう素晴らしい人に限って「完全主義」なことが多いものです。

「完全主義」はある方向で用いられるときは、それは人生を生きていく上で
むしろ助けになることもあります。
仕事のあらゆる場面や芸術の分野、医療などでは完璧、完全を求められる
からです。
しかし、それ以外の部分で表に出てくるとき、それはまたしても
自分への虐待、自分を否定することの道具となってしまうものです。

「完全主義」のメカニズムはどうなっているのでしょう?
何が「完全主義」へと人を駆り立てるのでしょう?

どんなことでもそれをうまくやる時、完璧にやる時、
両親や他人から褒められるのです。
これは小さい頃にはとても顕著です。
子供は何かをやり、それを両親に褒められることが何よりも嬉しくて
何度も繰り返し同じことをやったりします。
その印象がとても強く心に残ることで、大人になってからも
何かを素晴らしくやることで、他人からの評価を得ようとするのです。
逆に言えば、それが上手く出来ない=自分を認められないという
強迫観念に発展していく、これがそのメカニズムです。

人は自分が思っているほど、
その人が行う色々なことに関心などありません。
自分のことで精一杯なのです。どうして他人のことなど構っている暇が
あるでしょうか?
あることをどんなに素晴らしくやったとしても、他人にとってはある意味
ただのイイね!で済んでしまいます。
それに気づかずに自分がやっていることが評価されていないと感じれば、
ますますもっと完全に、もっと素晴らしくという具合に完全主義だけが
加速していくことになるのです。

これは終わりの決してやって来ない、ただ消耗するだけの戦いです。
人生のあらゆる全てを100%完璧に全うすることなど不可能だからです。
自分自身に完全主義を強いている人は、休むことをしません。
休めないのです。たとえ疲れ果てていた、としてもです。
それほど、自分を認めてほしいという欲求は強いものなのです。

自分が今、こうだと思っている自分はです。
その影、幻を守るために、自分自身の全てを自分が壊れるまで
賭け続け、捧げ続けているのです。
どこかでそれに気づき、自分も他の人と同じようにミスもする、
全然足りないところもある、むしろなんてダメな奴なんだと
自分自身を笑い飛ばせるようになった時、「完全主義者」の悪夢は終わるのです。


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