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人生にあって当たり前なもの

気づきの道を歩いていく時、それに関する様々なことを目にする機会も
増えていきます。
いわゆるノウハウ的なものや知識、体験談などです。

特に「思考を止める」「感情の解放」「潜在意識の浄化」などは、
自分自身に思い当たることも多く、のめり込むようにそれらについ書かれた本など読んだりするものです。
ただ実際に改めて自分の中にあるものに注目する機会にはなったとしても、
それで自分が大きく変わることはありません。

一時、すごく解放されたような、気分が晴れていい気持ちになった
気がしても、それはいつしか消え去り、再び元の場所に戻ってしまいます。
気づきの道の先にあるもの、例えば悟りのようなものへの思い違いが
あるために、人はほとんどそういったことに気を引かれてしまうです。

    この人生には「あって当たり前のもの」があるのです。

悟りを開いた賢人達もお腹が空きます。
賢人達の多くが病気で亡くなっています。
美味しいお饅頭には笑顔で喜び、たくさんの書籍を残しています。

思考が少なくなれば人生の混乱は少なくなるでしょう。
感情の起伏がなくなれば、確かに人生は穏やかになるかもしれません。
古く、押し込められていた否定的な感情は、それが表に出ることがあれば、
長年の悪習から逃れられるかもしれません。

しかし、それらはどんなに気づきが進んだとしても、
決してなくなることはないのです。
人間はロボットで決してないからです。

人間としてこの世界で生活するためには、思考も、感情も、
もちろんこの身体も必要なのです。
そしてさらに、人が忌み嫌うもの、否定的な思考や感情すらも
あっていいのです。
怠けたり、ダメだったり、失敗したり、間違えたり、怒ったり。。。
そういったものも、この人間の人生には既定事項、
あって当たり前なものなのです。
永遠に消し去ることの出来るものではないのです。
その必要もありません。

どんなことも含めて人間、それが普通であり、それでいいのです。
「気づきの道」は、それら否定的なこと一切をなくし、取り除いていく
プロセスでは決してありません。
むしろこれまで避けてきた、自分の中から無くそうとしてきた
あらゆるものを、自分のものとして統合していく、受け入れていく、
そんな過程であるとも言えます。

いいところも悪いところもある、
褒められるところも非難されるところもある、それが人間です。
完全な人間など、いはしないのです。
気づきの道の果てにたどり着く場所は、スーパーマンになることではないのです。
昔、そんな素敵な詩を書く人がいましたね。


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