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花の怪 ~桜奇譚~

昔から、花の咲く木が好きだ。
梅、桃、木蓮、椿、そして桜。

桜は花が咲いても若葉でも、冬の裸木でも好きだ。
付属される毛虫はさておき、枝ぶり、葉、幹の質感、どこを取っても美しい。
好きだから特別なのか、何か繋がりがあるから好きなのかは分からない。分かっているのは
「桜の木にだけ視えるものがある」
ということ。

花の怪

20年以上前に住んでいた家の目と鼻の先には神社があった。
ここは数ある白山社の一つで、特筆すべきことは何もない。

何もないが、強いてあげれば、この社は桜が美しい。
都会によくある小規模の神社だが、境内を囲むように幾本かの桜が植えられていた。
春に塀から溢れて咲く様子は、菓子箱からこぼれる砂糖菓子のようだ。

当時の私は日課の参拝とは別に、春にはワンカップ片手に花見酒。
夏は広がる若葉の下で涼み、秋から冬にかけては、葉が落ち行くノスタルジーを味わう……という具合で楽しんでいた。

当時、まだバイクに乗っていなかった私に、この社は「季節の移ろいそのもの」だったと言っても過言ではない。
だが、今回重要なのはそこではない。
この社が特殊なのは、境内の桜に「美しい怪異が住んでいる」ことだ。

●麗しき桜の女史

怪異と交わる能力には色んな呼び名、色んな種類があるものの、ある程度の相性や方向性というのは誰にでもあるらしい。
私の場合はそれが顕著で、特に"視る"という分野について、相性が合わなければ、まるきりの"0感"だ。
だが、一方では「よく視える怪異」がいる。

この"視えるモノ"の分類について、大雑把に分類すれば「自然霊」「精霊」に該当する。
これらのモノは大体の場合、巨大な光の渦や発光体のように視える。
しかし、中には "ある程度の人の姿"で現れるモノもいる。人の霊なら、"生前の姿"という「元」があるが、そうではないものは、どうしてあんな姿に見えるのか?

その原理や理由は分からないが、とにかくその桜の木に住む怪異は、長い髪の女性の姿で現れる。
神社の木にいるから巫女装束か、と言えばそうではない。
ハッキリ見えないので何とも言えないが、着物は打掛(うちかけ)のように長い裾と袖があるようだ。

そして、なんと!季節毎に衣の色が変わる!

あたかも桜の木に合わせるように、はっと気付くと……いつの間にか衣替えしている。

他に人型の怪を知らないわけではないが、神社で見かけるものは真っ白な装束が多い。そして8~9割がオッサンだ。
そうして考えると非常に珍しく、実に雅な趣味がある怪異だ。

そんな雅な彼女。顔はよく視えないが、印象としてはとにかく美しい。
これまた「視えないのに美しい」とは奇妙かもしれない。

これは彼女と対峙する時、私の心が実体のある美しいモノに触れた時と同じ状態になるから思うこと。
"視えるor視えない"ではなく、"本質的"に彼女は美しいのだ。

彼女が何モノか?だが、以前「この桜の木霊でいらっしゃるのか?」と聞いたら、誤魔化すようにウフフと笑っていた。
この様子から考えるに、恐らく木霊が社の主の侍女もしているのだろう。

その雰囲気や服装から平安時代の女官を思わせる方なので、私は彼女を「桜の女史※」とか「桜の女御」と勝手に呼んでいる。

※今や「女史」は差別用語になるらしいが、 ご本人は「桜の女史」と呼ばれるのが一番好きらしい。

ここまで視える事が、さも当然であるように語ってきたが、別に昔から彼女が視えていたわけではない。
いつの間にか視えるようになっていた。
そう、こういった怪異の記憶は、非常にあやふやなのだ。
それほど、実にナチュラルに、彼女は私の脳内に滑り込むことに成功した。

あやふやながらも記憶を辿ると、バイクに乗り出す前に視た覚えがないので10年ほど前からだろうか。とはいえ、別にその頃に居ついたわけではない。
彼女ではなく、私の側に視えるようになった原因がある。
これについてはまた別の話として、今回はこのまま彼女の話を続けよう。

●花自慢

見えるだけなら他にも数件事例があるが、彼女の面白い所は「用があればあちらから呼ぶこと」

呼ぶと言っても、別にLineや電話をしてくるわけではない。
多分、スマホ持ってないから。

日常の中……仕事中や犬の散歩をしていると、何の脈絡もなく頭に社の映像がパッと浮かぶ時がある。
スピリチュアルやオカルトな言い方をすれば「ビジョン」というものだ。

これは不思議なもので、頭の中に出るわけじゃない。頭の外にポワンと浮かんだものを受診する。
ただ、lineと違って「既読無視」が出来ない。
何しろ受診すると否応なく既読になり、なおかつ、いきなり動画再生が始まる。

そのように再生された動画では、社の入口に彼女がいるのが視える。
そして声が聞こえるわけでもないのに、なんとなく何を言っているのかが分かる。

この新手のウィルスメールまがいのものが送信されてくるのは、ほぼ確実に花の時期。
上記のように、ふぃっと姿を現し手招きする。
その意味は「今年も咲きそろったから、散る前に見に来い」ということだ。
それでも中々行かずにいると「散るから!散るから早う!」とメチャメチャ必死に呼んでくるので、ちょっと面白い。

招きに応じて社を訪れると、こぼれるように咲いた花の下で「今年も見事であろう」と非常に得意げな雰囲気を放っているのである。

木にまつわる怪異は、自分の木を褒められるのが何より好きなようだ。彼らにしてみたらいわば"マイホーム""己自身"だから、人が家や容姿を褒められて喜ぶのと同じなのかもしれない。

ただ、そんな花自慢が好きな彼女が、一度だけ花が咲く前に私を呼んだことがある。

●花に嵐、命には散り時

私が実家を出てから一番最初に飼い、なおかつ最も長生きした猫は「長老」と言う。

長老は特に持病もなく、1歳下の初代が亡くなった後も年相応に元気にしていた。
ただ、亡くなる半年ほど前から妙に"透明"になっていった。

「影が薄くなる」という言い回しが一般的だろうが、私は「透明になる」のほうが自分の感じ方に合っている気がする。
その光景は非常に美しいのだが、同時に寿命が尽きる兆候でもある。
何しろ長老はもはや20歳だ。人なら白寿、百寿。こればかりは、どうしようもない。

ただ、先に看取った猫達同様、どうか私の膝の上から旅立ってくれと思っていた。
そんな3月の始まり。

桜の女史が、いつも通りフイっと姿を現し「お越しください」と手招く。
だが、異様なのは招くどころか頭まで下げていることだ。
確かにそろそろ桜の時期ではあるが、開花にはちょいと早い。
何だろう?と思いつつ「花が咲きそろったら伺おう」と返事を返していた。

それでも時折姿を見せては、来い来いペコペコとする。
その様子は、今まで見たことがない切羽詰まった感じだった。

それから1~2週間もあっただろうか。唐突に 長老が息を引き取った。
最期の様子は「眠るように」とはいかなかったが、年齢を考慮すれば老衰と言って差しさわりがないだろう。

そして、我が家でそのような事件が起きても、桜の女史は変わらず私を呼ぶ。
ただ、それまでの必死さが取れて、少し寂しげに招くのだ。

この彼女の異例の呼びかけについて心当たりはある。
ひょっとしたら、彼女は長老の変調に気付いて私を呼んでいたのかもしれない。
何しろ長老は、昔そこの社の主さんに助けてもらったことがあったからだ。

彼女もそれは承知しているし、恐らくその取次ぎをしてくれたのは彼女なのだろう。だから時期外れにも関わらず、あんなに必死に呼んだのは、また今度も助けてくれようとしたのかもしれない。

……でも、仮にそうだとして、彼女がもっと分かるように 意思を伝えてきたとしても、きっと私は申し出を断っただろう。

前に猫について願掛けをした時は、私も猫もまだ若かった。
あれから10年以上経った。その後自宅の猫だけでなく、色んなモノの最期に立ち会って思い至ったことがある。

花に散り際があるように、命にもそのような時がある。

以前、願掛けをした時に助けて頂けたのは、まだそこが散り時という決定が下されてなかったから。そして今回のは決定だったと、そんな気がする。

それに、長老本人も 自分が世話した猫2匹に先立たれ、それでも尚、残り続けるのは不本意だろう。
特に先立った2匹は、 長老が最もよく面倒を見ていた奴らだったから。

生きるのは、意外と疲れる。

それは人以外もそうなのかもしれないと、晩年の長老を思い出すたびに考えるのだ。


猫が亡くなって数日後、私は彼女の招きもあるが、社の主にこれまでのお礼を述べるために神社を訪れた。
その日は、それまでの寒さが一気に和らぎ、桜が満開になっていた。

普通は喪中にあまり神社には入らない。
どうしても入る用事がある時は、それ用の作法があるんだが、どうしようかと迷っていたら
「そんなのはいいから、早うお入り」
と彼女が手招きをしている。

この時もいつも通り 「今年も見事ですね」と言ったのだけれど、
彼女はいつものように得意げな様子ではなく、少し寂し気に笑うだけであった。
あんな寂しげに笑う彼女を視たのは、今に至ってもこの時だけだ。

今年も春がやってきて、艶姿まであと少しである。
今でも桜の時期になると、彼女はふいに姿を現し「今年も」と私を手招く。 もはや、これは年中行事になってしまった。
もっとも、私が生きている間は 招かれなくても伺うのだが。

人の記憶とは、時間と共に美化され、実際それに対峙した時「記憶の中のほうが美しい」などはよくあるが、ここの桜だけは見る度毎に美しい。

特別な管理はされていないようだが、それにも関わらず美しいのは、やっぱり雅で麗しいあの人が棲む木だからかもしれない。

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