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守るために何もしないということ

 「ここはとてもきれいなところですから、あなたは来ないで下さい」

 沖縄県の「やんばるの森」が世界遺産登録目前で注目を集める中、とある雑誌の記事に掲載されていた言葉である。

 この言葉は、沖縄北部に残された雄大な自然を目にしたフォトグラファーからのメッセージであった。私がこの言葉に出会ったとき、少し複雑な気持ちになった。きれいな自然があるなら、私だって訪れたい。しかし、この言葉は真実である。

 産業革命以来、人類の開発行為によって地球上の自然は多くが失われ、今もなお危機に晒されている生物の宝庫は数多く存在する。それでも、ひそかに残された「最後の楽園」もあり、その一つが「やんばるの森」である。しかし、我々はもはやここに足を踏み入れるべきではない。なぜなら、そこで繰り広げられている命のドラマに我々の介入は不要であり、害であるからである。

 自然は実に多くのものを提供している。美しい景色を眺め、癒される。これも立派な自然の産物である。だからこそ、我々は長期休暇には決まって海や山に出かける。私自身も自然の中で過ごす時間が大好きである。そんな中、この言葉に出会った。美しい自然を知りながら、そこには行けない。自然を愛する者からすれば、それは至極もどかしいことかもしれない。しかし、もはや私たちが介入できる原生の自然はもはや残されていないのである。

 自然が提供している恩恵は、私たちが直接的に享受しているもの以外にも数多くある。たとえ私たちが知らない自然が存在したとしても、その自然も私たちの生活を支える重要な役割を果たしている。だからこそ、そのような自然を見つけたとき、そっとそのままにしておくことが大切なのである。たとえ、自然が好きで、未開拓の原生林を訪れたくとも、である。むしろ、自然が好きだからこそ、訪れることなく放置するべきである。

 たくさんの自然を破壊してきた私たちは、現在、自らの持続性の危機に直面している。そのような中で私たちにできることはなにか。それは、「何もしない」ということである。手つかずの自然は、手つかずのままに。未開拓の原生林が見つかれば、未開拓のままに。そうして守られていく自然は、私たちの生活を支える重要な役割を演じることになる。美しい景色が見られないのは残念ではあるが、地球上で自然と共存すること、持続可能な社会をつくることとは、本来こういうことなのではないかと思う。


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