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おばさまの近所での買い物

1.街の中心部での買い物

 1980年代のロンドン郊外の大学街で、おばさまの買い物のお供をするのは好きだった。イギリスに暮らす人の普段の生活と、おばさまのこだわりをかいま見るようで、それだけで10代だった私には刺激が多かった。

 場所はよく覚えていない。様々な出店がひしめく、でも広大ではない市場のようなところに、魚を見に行った。内陸の街で、日本のようにフレッシュな刺身を食べる習慣はないためか、フリーザーに行儀良く厚手のビニールにくるまれた魚が並んでいた。さすがのおばさまも、一匹まるごと魚を解凍するのは苦手なようで、鮭、さばなどの切り身を買っていた。野菜も購入。

 おばさまはスーパーマーケットより、専門店を好んだ。デリカテッセンでは、色々な種類のハムやソーセージ、パテを、お店の人とやり取りして油紙に包んでもらう。きれいな焼き色の模様が入った、どっしりしたアップルパイもあった。

 中国の食材店もよく行った。調味料や麺類など、日本の食材に近いものが多く、沖縄の島豆腐のような固めの豆腐を、白いパックに入れて売っている。チャイニーズ・レタスと呼ばれる白菜も。近所のお店では、お米と言えばカレーに合う細長いインディカ米だったが、中華系のお店ではカリフォルニア米もあった。そうした日本食にうれしい食材や、虎のイラストがついた台湾製のビーフン、それから入荷していれば香菜と、半生で太めの中華麺を購入した。これで作る焼きそばはこくがあり、本当においしかった。

 おばさまは仕上げにオイスターソースを入れる。これがなければだめ、とのこと。お酒も少し入れたと思う。八角なのか独特の香りも。香辛料は何だったのだろう?

 なお、noteの画像は、オイスターソースとビーフン。今はどこでも、大型店や気の利いたお店にあり、つい買ってしまう。当時と同じ商標だが、デザインが洗練されたような気がする。

2.マークス&スペンサーへ

 紅茶とパンは、マークス&スペンサーという、日本の紀ノ国屋のようなスーパーへ。パンは薄くスライスした、白か胚芽入りの褐色の食パン。紀ノ国屋に「イギリスパン」があるけど、イギリスでそんなものはない、という話をした。きれいに小分けされた、小ぶりのニンジンやリンゴなども購入。私は学校の友人を真似て、リンゴを服の袖で少しぬぐってそのままかじるようになったが、マークス&スペンサーのものなら安心な気がした。

 日用品も売っていて、らくだ色の丸首シャツやレギンスなどの暖かそうな下着が吊してあった。やだやだ、寝る時だけでも、こんなおばあさんみたいな下着を着けるようになったらお終いね、とおばさま。たしかにおばさまは真冬でも、くるぶし丈のブーツを履くことはあっても、薄手のタイツだった。エリザベス女王がどんなに悪天候の屋外でもストッキング姿で凜として公務に臨む姿を、少し誇らしそうに話していた。

 当時はサッチャー政権下で、そのサッチャー首相の愛用の下着がマークス&スペンサーの商品であることが話題になった。それはもちろん、ダウニング街10番地に住み権勢を振るう「鉄の女」が、庶民的でつつましい生活をしている、というエピソードであるのだが、マークス&スペンサーなら品位は保てる、という判断あっての報道だと思う。

 たしかにオリジナルのマークの入った、シンプルで洗練された商品と店構えは別格で、お客さんも品が良い雰囲気だった。ただ、後に一人で衣料品売り場に行った時、地味な服装をした白人の女性が、大きめの布バッグに、陳列棚のパック入り商品を素早く数点入れて立ち去った。おそらく万引きだ。いけないものを見た気がして、そのまま逃げるように帰った。声を上げるべき、いや、店員に伝えるべきだったのでは。でも店員に伝えても、アジアの小娘だと逆に万引きを疑われたかもしれないし、もしかしたら別のフロアで会計済みかもしれないし、などと超高速で自問自答しながら。穏やかな大学街の、それだけではない側面を見た気がした。

3.住宅地での買い物と料理

 初めてのイギリスで、近所の小さな肉屋のショーウィンドウに目が釘付けになった。頭部を紙で覆ったウサギが何匹(何羽?)か、吊されていた。その下には、同じように頭部を覆った鳥(鳩?)も。中華系のお店で赤いチャーシューがぶら下がっているのと同じだから、と考えようとしたが、やはり毛や羽の生えている「肉」が、道路沿いに堂々と見えるのは、異文化を感じた。ウサギを買うことはなかったが、ショーケースから選んで買うと、簡単にくるんで渡してくれる。イギリスでは当時からエコバッグが当たり前で、気に入っていたバッグにお肉を入れるのは、何となく躊躇したりした。

 おばさまは近所の商店街でも飛ぶように買い物をして、合間に郵便局に寄ったりした。毎日の生活ではお札より小銭が当たり前で、小銭専用の黒革の財布を持ち歩いていた。郵便局や銀行の窓口に行くと、同じようにふくれた小銭入れを持つ人は少なくなく、隣の窓口にいた人がカウンターに置いていた財布を、つい掴みそうになった話も聞いた。同じような小銭入れで間違えたと主張しても、泥棒にされてしまう怖さがある。おばさま夫婦は、イギリスの小さな街での生活が10年以上になるのに、日本人であることで、いつも気を張って暮らしているのだと痛感した。

 おばさまは家に帰ると、そのまま寝てしまうことがある。疲れた時は、何もかも後回しにして、ベッドで大の字になって眠るのが一番、とのことだった。これは見習いたいが、小心者の私が今でもできないことの一つだ。

 近所の食材で手早く仕上がる一品は、あさりのパスタ。ごま油かオリーブオイルをフライパンで熱し、ショウガを細かく刻んで入れる。ショウガが黒くなり香りがたってきたら、缶詰のあさりをスープごと入れ、バターと塩を加える。大きな寸胴鍋でゆでたパスタを入れてあえ、乾燥したバジルやオレガノ、海苔、手に入る時は生のハーブを載せる。絶妙な味でおいしい。

 イギリスでおいしいレストランに行こうと思ったら、中華かインド料理が間違い無い、とおじさま。おばさまの料理ができるまで、おじさまはテーブルに腰掛けて、チーズをおろしたりワインを用意したりする。チーズはエメンタールやパルメジャーノなどの何種類かを、おろし金で陶器のお皿に山盛りにする。しょうがや大根用の大・小のおろし金は、その道の職人さんが作った日本のものを丁寧に使っていた。チーズのおろし金は、お皿の大きさに合わせてイギリスで購入されたものだった。アール型の小さなもので、大柄なおじさまが使っていると、ひどく小さく見えた。

その他、料理に合わせてチーズを切る。白カビを使うブリーや青カビのブルーなどを教えてもらう。親戚(甥)が子どもの頃、バターを3センチくらいパンに塗って食べていたよ、といった豪快な話も聞いた。おばさまも、そうだったわねと、相づちをうつ。

 後日談となるが、10年ほど前に懐かしい街を訪れた時、中心街から一歩入った通りに、 ’Sushi’ を看板メニューにするお店を見つけた。お薦めはサーモンとアボカドで、白ワインもいただく。若いスタッフが切り盛りする、cozyという表現がぴったりの、こぢんまりしたレストランで、お客さんも若い人が多くにぎわっていた。まだあるのだろうか。

 イギリスは今、新型コロナウィルス感染症の影響が深刻と聞く。皆さんには、何とか持ちこたえてほしい。

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