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大岡昇平「野火」

 読む前まで、ずっといわゆる戦記モノだと思っていました。
 戦記文学ジャンルはこれまで沢山読んできたこともあったので、この作品も同じだろうと読まないまま過ごしていました。

 でも、この作品はいわゆる戦記モノというより、戦争を背景にした精神性の高い文芸作品であるということを知り、また、近代文学系の作家であるということもあっていつか読まないといけないかも、と思い続けていました。

……

 死は愛などと同じく文学の重大なテーマであることは今更言うまでもありませんが、死のあり方によってその捉え方や表現方法は大いに異なると思います。

 戦場での死は、長患いの結果の死や不慮の事故による死などといった、死にたくないが、やむを得ず死なねばならない場合とは違います。
 生き延びようとする健全な意志があるにも関わらず、狂った戦時思想によってそれが忌避され、死ぬことが目的なのだという、異常な位置に置かれた死なのです。

 簡単に言えば、死にたくないのに運命的でない、作為的な死に突入しなければならないということです。

 この作品は、主人公田村が死の幻想からふっと外れるところより始まり、死の瀬戸際の極限下で生きていることへの恐怖で終わります。

 全滅必至な部隊から、結核による衰弱のため追い出されてしまい、田村はたった一人で戦場を歩きながら病院へ向かいます。
 その途上でこう考えます。

「病気は治癒を望む理由のない場合何者でもない」

 戦場における死が目の前にあれば、病気を恐れることは無意味である、と語っているわけなのですが、この短い文章は強烈に肺腑をえぐります。

 田村は病院に入れず、幾人かの兵士と交流したのち、攻撃を受けて逃げまどうことになります。
 その後、彷徨とも言える逃避行の記述が続きます。作者の体験でしょうか。

 そして、教会でのある出来事以降、死についてではなく、生きることのグロテスクな姿について書き連ねているように感じられます。

 特に、人肉食について。
 戦場のあちこちで死んだ仲間たちの臀部が削り取られていることを見て、田村は兵士による人肉食が行われていることを知ります。

「俺が死んだら、ここを喰べてもいいよ」
 と左腕の上膊部を指し、途中で出会った、狂った兵士が言います。

 その後、安田と永松の2人と再会し、行動をともにすることになります。
 この2人、お互いが相手を食べるために相手を離さず、同行し続けているという戦慄すべき情況にあることを田村は知り、彼もその中に加えられてしまいます。

 安田は田村から取った手榴弾で田村と永松を殺そうとしますが、失敗してしまいます。
 怒った永松は安田を撃ち殺し、安田を食べようとします。そして、田村にも肉片を差し出すのです。
 田村は逡巡しますが、拒絶し、永松を撃ち殺してしまいます。

 極限状態にあるケダモノとしての人間の姿が、一瞬の理性でそこから逃れます。
 ケダモノとしての右手が行為しようとすると、理性を持つ人間としての左手がそれを制するのです。
 その後、田村は俘虜となり、帰国して精神科に入院します。
 この辺りのくだりにも読み解くべき重要な内容が含まれているようです。

 戦後文学の最高傑作の一つとされる作品です。
 死ぬまでに読んでおいて良かったと思える一冊でした。

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