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三浦綾子「塩狩峠」

 普段なら裏表紙の梗概に目を通してから読み始めるのですが、今回はすぐにカバーをかけてしまったので中身を全く知らないまま読み始めました。

 著者は北海道出身のクリスチャンであり、キリスト教の教義にテーマを載せた小説を書いていることは知っていました。
 だから、この話も北海道を舞台にしたキリスト教徒を主人公にして、その苦難みたいなものについて書かれているのではないか、と想像していました。

 それと、誰か別の作家と勘違いしていたかもしれないが、理屈っぽいヘビーな文体なのではないかとも思っていましたが、実際のところ、苦難やヘビーな印象はありませんでした。

 主人公永野信夫の成長を描くいわゆる教養小説(ビルドゥングスローマン)だと考えながら、読み続けます。

 1968年の作品、半世紀以上前の作品であるので、筋が素直で捻りがない。なんだか中学生向けの道徳の副読本的な感じです。

 言葉もシンプルでスルスル読めてしまう。
しかし、書かれていることはありきたりではなく、深く、とても考えさせられる内容が多かったです。

 信夫は両親、妹、従兄弟の知人である作家と言ったキリスト信者たちとの交流の中、キリスト教の教えに即しながら人はどう生きて行動するべきかについて深く考えるようになります。

 父の死によって学業を絶たれ、働き始めます。そして、札幌に行った友吉川のもとへゆき、新しい人生を歩みます。

 吉川の妹であり、キリスト教の洗礼を受けたふじ子は幼い頃から足が不自由であり、札幌に来てから結核やカリエスを患い苦労します。

 でも、キリスト教を信仰することで明るく生き抜いていこうとしています。その姿を見て信夫は思慕の念を強くしていくのです。

 ついに信夫はキリスト信者として生きていくことを決意します。
そこからは神の教え、キリストの行動を追い求め、真の信者として生き抜いていくのです。

 そして、奇跡的に恢復したふじ子との結婚目前で亡くなってしまいます。
鉄道事故において乗客を助けるため自らの命を投げ出してしまったのです。

 このラストシーンは凄絶であり、読む前に梗概を読まなかっただけに、強烈な印象がありました。

 そして、もっと驚いたことに、信夫にはモデルとなるキリスト信者が存在したというのです。

 明治末、模範的な鉄道員として、また経験なクリスチャンとして、この小説にあるように鉄道事故で殉職した長野政雄という人物です。

 あとがきに詳しく書かれているので詳細は略しますが、信夫以上にというのか小説以上に、キリスト信者として凄まじい生き様を見せたのです。

 まさに聖人と言って間違いない人物だと思います。こんな人がかつて存在していたとは驚きです。

 一粒の麦、
 地に落ちて死なずば、
 唯一つにて在らん、
 もし死なば、
 多くの果を結ぶべし。
 (新約聖書 ヨハネ伝第12章 24節)

 著者は「犠牲」ということをテーマにこの作品を書いたとのことだそうです。

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