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伝衣(でんえ) 

  一

——ぎっ、ばたん。ぎいっ、ばたん……。
 音が聞こえた。米搗蔵からの音であった。
 弘忍(こうにん)は数名の弟子とともに座禅堂に向かって本堂の濡縁を歩いていた。
 濡縁の山際の暗がりから朝日の当たるところまで進むと、その米搗蔵が彼の視界に入って来た。
 開けっぱなしの蔵の出入り口がはっきり見えるようになると、その音は途端に大きくなり、朝の大気を押しのけるように彼の耳に響いて来た。
——ぎっ、ばたん。ぎいっ、ばたん……。
 その音は、聞き方によっては人が喘いでいるように聞こえたり、陽気に跳ねる童子の足音のように聞こえたりすることもあったが、今日の弘忍には不吉な予言をする鳥の鳴き声のように聞こえた。
 弘忍は足を止め、目を凝らした。
 薄暗い蔵の中で蓬髪を荒縄で後ろに括った一人の小柄な行者の姿があった。
 その行者は米搗き杵の端を踏んで杵を上げ、そして下ろすという動作を繰り返していた。
——ぎっ、ばたん。ぎいっ、ばたん……。
 弘忍は行者の麻衣にいくつもの繕った跡があるのを見た。
 行者は皆麻衣を着ることになっていた。彼の麻衣の腋と背筋が汗滲みで薄黒くなっている。
 夜明け直後のまだ涼しい時間ではあったが、朝の労働の厳しさを弘忍は知った。
 この行者、名を慧能(えのう)といい、この春、嶺南からやって来た入門希望者だった。
 本来なら、僧を目指す修行を始めるはずであったが、弘忍との初相見でのやりとりの結果、彼には修行が許されず、下仕事を行う行者となって寺に残ることとなった。
 衣服は粗末な上に髪は剃らなかった。そのせいもあって慧能の姿は僧とはあまりにもかけ離れたむさ苦しいものであった。
 そして、彼は文盲であった。そのため、学僧に不可欠な経典を読むということができなかった。
 そんな彼のことを寺の者たちは「嶺南の獦䝤(かつろう)」と呼んだ。「獦䝤」とは野蛮人という意味である。
 それが弘忍のいるこの東山の憑茂山にやって来たのだった。
 弘忍はこの獦䝤、いや慧能との初相見のことをまだ覚えていた。というより忘れるわけにはいかなかった。
 その初相見の日から三ヶ月が過ぎていた。
 この米搗きの音を耳にすると、弘忍の脳裏にはその時の記憶がまざまざと浮かび上がって来るのだった。

 後ろで濡縁の板が軋む音がした。
 その時、弘忍は付き従っている弟子たちの存在を思い出した。
 彼らにも行者が見えているはずである。
——この者たちにはどう見えているか。
 弘忍は身体をゆらりと動かして階段を降り、座禅堂に進んだ。弟子たちも静かに彼の後に続いた。
 一礼し、座禅堂に入った。
 堂内は暗く静まり返っていた。すでに当番の弟子が香をたき、準備を整えて待っていた。
 弘忍は奥の文殊菩薩像に一礼し、当番に視線を送った。彼は弘忍に向かっておもむろに頭を下げた。香煙が二人の間で揺らめいた。
 弘忍は席に上がり、単布団に腰を下ろした。そして、両袖を払って両掌を組み合わせ、姿勢を整えた。
——ぎっ、ばたん。ぎいっ、ばたん……。
 米搗きの音は座禅堂内でも小さく聞こえていた。弘忍にはその音が心中から湧き上がって来るように感じられた。
 弟子たちの準備が整った頃、拍子木が鳴った。
 弘忍は心を閉ざした。すぐにその音が聞こえなくなり、彼は数息観に没した。

 一日の行を終え、弘忍は自分の室に戻った。
 火が灯され、わずかな調度品が弘忍を待ち構えているようだった。窓は開いているが、風はなく、夕刻になっても暑さは衰えていなかった。
 椅子の背もたれに手を添え、彼は慎重に腰を下ろした。こんな動作すらもう若い頃と同じようにはできなかった。
 卓上、左側に「金剛経」があった。彼は今夜もこれと対峙せねばならなかった。
 中央には開いた巻紙があり、前夜記した部分が巻き終えた部分から少し覗いていた。
 右側には硯と細筆が数本あった。硯には墨が満たされていた。墨は夜の闇のような黒い輝きを放ち、静まっていた。
 弘忍は晩年になってからようやくこの「金剛経」の註解を始めたのだった。
 中国禅宗祖師、達磨大師が二祖慧可(えか)大師に伝授し、法門が依拠し続けて来た「楞伽経(りょうがきょう)」に加え、弘忍は「金剛経」をも依拠する経典にしたいと考え続けていた。周囲よりその理解を得るために、彼は註解を作ることを決心していた。
 しかし、その決心は逡巡を伴って遅れ、ようやく今になって着手することとなった。
 彼は「金剛経註解」を用いて説教するのは、五祖である自分ではなく彼の法衣を継ぐ六祖が行うことになると考えざるを得なかった。
——果たして理解を得られるのだろうか。
 彼は巻紙に目を落とした。
 そして、「金剛経」ではなく「楞伽経」について考えた。
 達磨大師が「上乗一心の法」とした「楞伽経」には様々な知識が収められていた。五法、三自性、八識、二無我といった認識や存在といった理論ばかりではなく、「如来蔵思想」、つまり、人間の本性はそれ自体清らかであって本来は仏と同じなのだが、人は迷いに覆われていて仏としての働きを起こせていない。迷いを取り払えば、仏としての道が開かれるという貴重な教えも含まれていた。
 そして、この経を理解することはすなわち、禅を極めたことと同じであった。
 それを成し得た者がこの大法を継ぐに値する人物であった。達磨大師から慧可大師、三祖僧璨(そうさん)大師、弘忍の師である四祖道信(どうしん)大師を経て、ここまで伝えられて来たのだった。
 しかし、道信はこの経を大法の道標とし続けることについて、異論を抱いていた。
——教えを身につけることが我らの使命ではない。
 そもそも「楞伽経」は難解であった。
 そのため法門に集う大部分の者たちはこの経を学び、理解することだけで精一杯となってしまい、それを支えとして本来の目的である衆生救済のための弘教にまで行き届かなくなってしまっていた。
 道信も「楞伽経」の教えや修行実践の内容について否定こそしなかったが、「経は手段、目的は悟入と衆生の救済である」と、法門に強く示し続けていた。
 道信は弘忍ら弟子たちを連れ、遊行から定住によって悟りを求める生活へと戒律を改めた。道信は経からではなく、日常生活から悟りを得ることを示そうとしたのだった。
——達磨大師の禅から我が中国の禅へと変えていかねばならない。学ぶことだけで悟りを得る教えではなく、我が国の民心に合わせたもっと実践によって悟りを得ることのできる教えへと変えていかねばならない。借教悟宗の時は過ぎたのだ。
 そう彼は強く考えていた。
 そして、弘忍を五祖に指名した時、「楞伽経」ではなく、もっと実践的な経に依拠するよう彼は申し送ったのだった。

 風はそよとも吹かず、夜の暑さは昼と少しも変わらなかった。闇から虫のすだきが響いて来た。
 弘忍は卓上の「金剛経」に目を移し、現今の世相について考えを巡らせた。
 華厳や天台のような壮大かつ複雑な教えでは民の理解を得られないと彼は考えていた。
 そして、それらの宗派は王朝で力を付けつつある豪胆かつ機略縦横な武人たちの思いに応えられなくなっており、今や怯懦で因循な官僚たちにとっての装い、あるいは娯楽になり下がっていると感じていた。
——もっと心に響く、直截的な教えが必要となっている。彼らは実践的で即時的な変化を求めている。「漸」ではなく「頓」を。
 禅は華厳や天台とは違う。禅は実践的かつ躍動的であり、規制というものにこだわらない。
 変化を求める武人たちの志向と生き様に合致しているため時代に求められていると考えてよいだろう。
「金剛経」は「とらわれ」や「分別」はすべて「我執」であると説く。本来「不立文字、教外別伝」である禅の正しい道筋を犯すことなく、その意を伝えるには適切な教えであった。教えは本来、簡明直截なものなのだと弘忍は考えていた。
 武人や民衆に与うべき教えは「金剛経」であると彼は結論づけていた。
 しかし、彼は忸怩とした思いにとらわれていた。
——そもそも、依拠すべき経というもの自体が必要なのか。
「金剛経」ならば「楞伽経」の重々しさからは逃れられるが、やはり経は残る。いく分かの学問への傾斜は避け難かった。
 弘忍は顔を上げた。主だった弟子たちの顔が脳裏に浮かんだ。
——あの者たちならどうするか。
 千人を擁する憑茂山にも俊秀がいた。
 筆頭である神秀の他、智洗、劉主簿、恵蔵、玄約など——彼らは皆今すぐこの大唐内のどの大寺に配されても大師となれる逸材だった。
 しかし、弘忍は物足りなさを感じていた。合わせて自分には彼らを育て上げられなかったという歯痒さも感じていた。誰か一人でよいので、大法をその根元から動かす力を持って欲しいと感じていた。
 もはや老体の彼にその力は失われていた。
 次に続く者にこそ四祖以来の願いをかなえてもらいたいと弘忍は考えていた。
 虫のすだく中、弘忍の耳に米搗きの音がかすかに蘇った。弘忍は米搗きの杵の柄を踏む行者の姿を思い出した。
——あの者なら。
 弘忍は思いを深めた。

 夏の午前の強い日差しが境内の白い砂を灼いていた。山の端で下半分が切り取られた空は青く、雲はまったくなかった。
 本堂前の白砂の庭には枯葉一枚、小枝一本と落ちていない。
 その白砂の洋上には歪みない線の波が無数に打ち寄せていた。
 無明の海だが海面だけには秩序があった。しかしその下には、六道を巡る者どもがもがきながら漂っているはずだった。
——この寺域全体のあるべき物はあるべき通りに存在していない。だから、それらはあるべき存在なのである。
 弘忍は教えに則りつつ、外の景色を見ていた。
 しかし、漆黒と金色で荘厳された本堂の中には、これ見よがしに道理があった。
 弘忍は曲彔に座し、百名もの弟子たちを相手に説教していた。声は大きくなかった。淡々と普段の会話のように彼は教えを説いていた。
 弟子たちは誰一人身じろぎすることはなく、咳一つ、衣擦れ一つ起こさなかった。音を少しでも立てれば、師の小さな声が聞こえなくなってしまうからだった。
 陽が高くなり、暑さが増して来ていた。弘忍は説教に一区切り付けた。
「お教えいただきたく」
 本堂の中ほどより声が上がり、一人の弟子がすっくと立ち上がった。
 弘忍は顔を上げ、その弟子を見た。入門したばかりの年若い弟子の一人だった。声が小さいのか、弘忍の耳が遠いのか、質問がよく聞き取れなかった。
 どうやら如来蔵についての質問のようだった。外道の我とどう違うのかというもののようだった。的外れな質問ではないらしく、弟子たちの何人かが頷いていた。
 その時、弘忍に悪戯心が湧いた。
「楞伽の如来蔵と数論外道の我との違いとの問いでよいか」
 質問した弟子は「はい」と答え、深く頷いた。弘忍は堂内を見回して言った。
「さて、誰かこの問いに答えようと思う者はおらぬか」
 高弟の何人かなら誤ることなく答えられるはずだと弘忍は思い、近くにいる主だった弟子たちの返答を待った。しかし、声はなかった。
 弘忍はすぐに気付いた。彼らは答えられないのではなかった。答えるべき者を待っているだけなのだった。
「私が答えてよろしいでしょうか」
 そう言って顔をこちらに向けた者を弘忍は見た。
 弟子筆頭の神秀であった。神秀、八尺を超える大丈夫で肩幅広く、秀眉長耳、禿頭の輝きが麗しく見えた。
 弘忍が頷くと、彼はゆっくりと立ち上がった。
 弘忍より一回りほど若く、もはや壮年の域を出ようかという年回りだったが、まったく老けた感じはなく、その悠揚たる立居振る舞いは周囲を圧倒するほどだった。
 他の弟子たちのかしこまっていた顔付きに落ち着きが戻っていた。やはり、この男を待っていたのか、弘忍はそう思った。
「大師の許可を得たゆえ、お答え申し上げる。数論学派は『我は常に作者として求那(ぐな)を離れ、自在にして滅せず』と言っている。一読するとこの謂は世尊の説く『如来蔵も本性清浄、常恒にして断ぜず、変易(へんにゃく)あることなし』と同じ意味で説かれているかに思われるが、それは誤りである。決して同じではない。
 世尊は如来蔵について、如来、応供(おうぐ)、正等覚の有する、性空(しょうくう)と実際、涅槃と不生、無相と無願、など諸々の句義をもって説かれておられる。それは凡夫に無我や無分別という真理に対する無用な恐れを抱かせぬようにするためである。
 しかし、そのせいで外道の言う『我』と同じに取られてしまってそなたのように惑う者も現れてしまうが、すべては世尊の方便善巧(ほうべんぜんぎょう)なる説教のゆえであることを忘れないでいただきたい……」
 この前置きに続けて神秀は「楞伽経」の如来蔵思想がどれほど優れているかについて述べ、説明を終えた。
 周囲からため息が上がった。質問した若い弟子は恐縮し、合掌礼拝して座した。
 ゆっくり身を返し、神秀は顔を弘忍に向け直そうとした時、弘忍が鋭く問いを発した。
「神秀、如来蔵の義を知るにはいかがするか」
 神秀は不意を衝かれた。しかし、表情を変えず師に合掌礼拝し、答えた。
「分別の相を遠離し、無我となることかと思われます」
「分別とは何だ」
「とらわれであります」
 神秀が力を込めて言った。
 弘忍の質問が止んだ。彼は大きく頷き、神秀に手を合わせた。神秀も同じように手を合わせ、深く頭を下げて、彼はゆっくり座した。
 全員の視線が弘忍に集まった。
「東山の法、ことごとく神秀にあり」
 弘忍は大きな声で言った。しかし、なぜか彼の表情には満悦した感じは見えなかった。
 最高の賞賛を受けた神秀だったが、誇った様子はまったく見られず視線を上げもしなかった。いかにも神秀の控えめで秩序好きな姿が現れていた。
 並みいるすべての弟子たちは、その一連のやり取りで改めて彼への畏敬の念が高まったことは間違いなかった。
 堂内には再び緊張感ある静けさが満ちて来た。
 弘忍は説教を進めようと顔を上げた。
 その時、この堂の一番奥、ほとんど廊下にあたるところからこちらを見つめている蓬髪の小柄な男に気づいた。
——音がしていない。
 弘忍はいつもの米搗きの音が聞こえていないことに気が付いた。
 米搗きを行っているはずのその男は、見苦しい行者姿のままいるべきではない本堂にいた。しかし、なぜか弘忍はその存在に違和感を覚えなかった。
 弘忍は近くの弟子の一人に耳打ちした。弟子は一礼し、立ち上がって廊下に出た。
「では、次へ」
 弘忍が別の弟子を促し、経の続きを読ませた。
 弘忍が指図した弟子は廊下の行者に出て行くよう命じていた。行者は暗い表情をして立ち上がり、廊下を下がって行った。その様子を弘忍や弟子たちも見ていた。——ここにいてはならぬ。作務に励むのだ。務めよ、我が獦䝤よ。
 弘忍は自分の行った厳しい仕打ちを心苦しく感じていた。


  三

 夜。
 弘忍は自室でいつものように卓に向かっていた。「金剛経」の註解はわずかずつ進んでいた。
——道信大師。
 弘忍は目を上げ、壁の掛け軸に目をやった。そこには弘忍の師である中国禅宗四祖大醫禅師道信の肖像があった。
 弘忍は道信の肖像を見ながら、この師の元で学んでいた若かりし頃のことを思い返していた。
 弘忍が道信に弟子入りしたのは十二の歳だった。
 母とともに物乞いとして街路にいた時、たまたま通りかかった道信の目に適ったのだった。
——そなたの骨相には如来の姿がある。
 道信のその言に従い、弘忍は母と別れてそのまま弟子となり、以来、この地にて数多の弟子たちとともに修行を続けて来たのだった。
 師は遊行を行わなかった。東山の地に留まり、普段通りの日々を送ることが修行の肝要だと師は弟子たちに告げた。
 道信は禅を僧だけのものにしたくはなかった。
 何としてもこの大法を民衆に伝え、済度の正しい教えとしたかった。そのためには正しい修行の形を作り上げることが必要だと感じていた。
——大師は作務の重要性を理解していた。
 道信は経を理解することだけで禅を理解しようとする僧の風を改めたかった。そして、それによる増上慢を避けたかった。
 僧の地位が安泰化してしまい、危機感を喪うことを恐れた。
 道信は弟子たちを寺に留め置き、自らの力だけで自らの生活を作り上げることを求めた。
 しかし、東山に集う俊秀たちにその意義はなかなか理解されず、僧らしくあろうと経から禅の真髄を求めようとしていた。
——務めよ、弘忍。
 作務を修行と考えよと師より命じられて弘忍は苦しんだのだった。
——あの者にこそ作務の極意を会得させねばならぬ。
 今、米搗きの音は聞こえない。さすがに夜は作務を行わない。
 弘忍は「嶺南の獦䝤」、慧能との初相見のことに思いを移した。

 慧能がこの憑茂山にやって来たのは、雪もほとんど消えつつある今年の春の頃だった。
 男が面会を求めて門前に来ていると寺男が弘忍に報告して来た。弘忍はどういう人物か尋ねた。
「泥だらけの小柄な男です」
「物乞いならば、何か持たせて帰らせよ」
 弘忍はそう伝えると寺男はいったん下がったが、また戻って来た。
「『弘忍大師に教えを受けに来ました』と言ったまま斑雪の中にうずくまり、じっとしています」
 苦り切った表情で寺男は言った。
「それならば、いつもの手順にて入門させればよかろう」
 弘忍は怪訝な面持ちになって言った。
「大師より『金剛経』を学びたい、と言っております」
 寺男がそう言ったことに弘忍は驚きとともに奇縁を感じた。
「楞伽経」を旨とする禅寺の住職である弘忍に対して「楞伽経」ではなく——彼が密かに思いを巡らせている——「金剛経」を学びに来たと言っているのである。
 雪がまだ残っているこの時期に泥だらけになってまでしてやって来たという意気に惹かれ、彼は面会を許可した。

 弘忍は弟子らとともに面会の室に入った。
 そして、その入門希望者を見た瞬間、彼は大いに驚いた。
——これは人間か。
 板の間に黒い衣服とも泥の塊とも分からぬ「もの」があった。
 よく見ると「もの」が面会希望者であると分かったが、その者はうずくまったままだったので人相までは分からなかった。
 弘忍は曲彔に座り、見下ろすようにして言った。
「私はこの憑茂山の住職、弘忍と申す。そなたはどこの何という者であるか」
 面会者は何かを口にしたようだったが、弘忍には聞き取れなかった。
 同席している弟子の一人が「顔を上げて話すように」と言うと、ようやく顔を上げた。
——何と。
 思わず弘忍は声を上げそうになった。
 その者は蓬髪を荒縄で括り、顔面は泥にまみれているのではなく赤黒く日焼けして光っていたのだった。
 まるで「山猿」だった。
 弘忍も幼い頃、この山に来るまでは物乞いをして生きていたため、貧窮に伴う風態の荒れ具合についてはよく分かっているつもりだった。それでもこの「山猿」の風態のひどさ加減には呆れるばかりであった。
 ただしかし、「山猿」は人語を介することができた。それも敬語さえ使うことができた。
「私は嶺南新州より参りました慧能という薪炭売りでございます」
 なぜかその声に乗って穏やかな心持ちが弘忍に伝わって来た。彼は奇妙な気分になった。
「薪炭売りがまたなぜ……山に迷った挙句、物乞いとなられたのか」
 慧能は弘忍を見つめたまま首を振った。彼の目は、顔を上げてからずっと弘忍の目を貫くように見つめていた。
「『金剛経』を学びに参りました」
 弘忍は表情を緩めて頷いたが、心中は穏やかではなかった。この「山猿」が何を考えているのかまだ分からなかった。
「経を学びたいとは、よい心がけである。しかし、そのためには僧を目指さないといけないのだが……そなたにはなかなか道が険しいようだ」
「いえ、こちらまでの道も暴虎すら寄せ付けず歩いて参りました」
 弘忍は鼻白んだ。
「嶺南から来たと申されたな」
 弘忍がそう訊くと、何かに気づいたのか慧能は素早く頭を下げた。
「嶺南は蛮地、獦䝤と言われる者どもが住むと聞いておる。そのような者どもには正覚を得ることは無理であろう。遠くまでよく来なさったが、お戻りなされ」
 慧能の期待に応えられない厳しい返答だったが、それは彼に諦めさせようとの弘忍の思いやりだった。
 慧能は頭を下げたまま体を震わせていた。
 弘忍は返答せぬ彼を見捨て、立ち上ろうとした。
 その時、慧能が声を上げた。
「私は嶺南新州の蛮地に生まれた獦䝤かも知れませぬが、その私とて『仏性』を有しているはずです」
 そう言って慧能は顔を上げた。弘忍は慧能が仏性と言ったことに驚き、再び腰を下ろした。
「人の生地に南北があるとしても、『仏性』に南北はないはず。獦䝤の見かけは和尚様と異なってはおりますが、『仏性』は和尚様とは何ら変わらぬはずかと存じます」
 弘忍は再び大きな驚きを覚え、体が震えた。弘忍は答えに詰まったまま慧能を見ていた。
——この男、仏法の真意を理解しておる。
 弘忍は我に返り、頷いた。
「入門を許可する」
 彼は慧能にそう伝え、席を立とうとした。しかし、寺男は難しい表情で弘忍に言った。
「実はこの男、文盲のようでございます」
 弘忍はまたしても驚いた。すると、それを聞いて腹を立てた弟子の一人が慧能を罵った。
「字も読めぬ獦䝤が経を学びたいとは、身のほど知らずなやつだ」
「まあよい、法を学ぶためにわざわざ遠方より来ているし、本人も覚悟しているようだ。それならば、ひとまず行者として入れてみよ」
 弘忍はそう言って弟子を制し、室を後にした。

 自室まで弘忍は中庭を眺めながら歩いた。
 中庭の雪も一部が溶けて斑らになっており、雪が溶けた部分には苔が瑞々しい緑色を放っていた。
 弘忍はその柔らかな新緑色を目にして心が洗われる思いがした。
 憑茂山にも本格的な春がやって来ようとしていた。
 慧能が間違いなく法器であり、大法を継がせることができる一人だと弘忍は見切っていた。
——文字を知らぬ。
 弘忍は自分の室に戻りつつ、自然と笑顔になっている自分に気が付いた。 

 夜が明けた。
 気温が下がらないまま夜が明けたせいか、昨日の疲労感のようなものがまだ辺りに漂っているようだった。
 弘忍は本堂を回り、米搗蔵に向かっていた。米を搗く音がだんだんと大きく響いて来た。
 彼は説教の場より追い出した慧能のことが気になっていた。追い出した理由が慧能に分かっていないのではないかと気を揉んでいた。
 米搗蔵に着いて中を覗くと、薄暗い蔵の中でいつも通り蓬髪を荒縄で後ろに括った慧能がいた。
 静かに弘忍は蔵の中を進んだ。
 米搗きの音は止むことなく、慧能は弘忍が近くに来ていることに気が付いていなかった。米糠の匂いが漂った。
 弘忍の目が徐々に暗さに慣れて来た。
 様々な作業道具はきちんと整えられてあった。米糠も石臼から溢れておらず、周囲は清潔であった。
 慧能は搗き具合を見ようとして動きを止め、何気なく振り返って弘忍の姿を見た。彼は一瞬驚いたが、すぐひざまずいた。
「務めておるな、慧能よ」
「はい、大師様」
 弘忍は慧能に楽にするよう言い、近くにある薪の束に腰を下ろした。慧能は師と相対するところまで進み、その場に腰を据えた。
 米搗きの音がしなくなると、蔵の中にも夏の朝の静けさが広がって来た。鳥の囀りも窓から入り込んで来ていた。
「昨日のこと、気を悪くせんでくれ」
「いいえ、私こそわきまえがありませんでした」
 慧能は頭を下げて言った。
 窓から朝日が二人の間に差し込んでいた。微かにたゆたっている埃や米糠などが光線の輪郭をくっきり浮かび上がらせていた。
 弘忍は慧能の痩身を見ながら、彼のここまでの作務の労苦を理解した。
「なぜこの山を選んだ……嶺南近くにも大寺はあるだろうに、わざわざかような遠方に」
 弘忍が尋ねた。
 慧能は顔を上げた。弘忍は、もう若くはない慧能だが、目の輝きは産まれたばかりの朝露のように清らかで瑞々しいと感じた。
 慧能が静かにつぶやくように言った。
「おうむしょじゅう、にしょうごしん」
 弘忍は軽い驚きを覚えた。
「『応無所住、而生其心』、それは『金剛経』の一節である」
 弘忍は慧能との初相見の際、彼が「金剛経」を学びたいと言っていたことを思い出した。
 慧能はそれまでこわばらせていた表情を緩めた。やはり、弘忍大師はこの教えをよく知っているのだと分かって嬉しくなった。
 慧能は慎んで言った。
「この一節が持つ力を私はどうしても知りとうございます。憑茂山の弘忍大師ならそれを教えていただけると街で知り、やって参りました」
 弘忍は、ただそれだけのために、しかも街で耳にしたからということだけでやって来たというその求道の心に強く打たれた。
 彼は今の弟子たちの中でこの一節の真意を理解できる者はおそらく一人もいないであろうと思った。
「なぜ、この一節を知っておる。『金剛経』は羅什以来、様々な学識が訳してこられてはいたが、昨今ようやく知られるようになったばかりの経である。仏の教えを学ばぬそなたがまさか山中で耳にすることはなかろう。木兎の鳴き声と勘違いしたのではないか」
 弘忍はわざとからかうように言った。
「木兎の鳴き声と間違えるなど、決してありません」
 慧能は困惑の目で答え、彼がその一節に出会うまでの話を始めた。


  四

 慧能は嶺南新州に生まれた。
 父親は范陽(はんよう)の盧氏一族。慧能が生まれる十数年前、北地で左遷の憂き目に遭い、南地の嶺南新州に移った。
 彼は慧能が三歳の時、病を得て世を去り、以来、慧能は母一人子一人の貧しく苦しい生活を続けていた。
 慧能は僻地に育ったが、その地の蛮風に染まらず民に溶け込むことができるという融通無碍な資質を有していた。
 それに、誰が教えたというわけでもないが、利他の精神に富み、食べ物のない子らに自分のそれを分け与えるなど、身を切るほどの善行を施すこともしばしばだったという。
 十歳頃より、薪や柴を市に出すなどして家計を助けるようになった。
 また、正規の学問を受けていない無学文盲であったにもかかわらず、人の言うことを素早く理解し、その次に自分はどう対処すべきなのか判断し、行動に移すことができた。
 つまり、生まれつき非凡な人物なのであった。
 しかし、慧能には抜き難い悩みがあった。
 商売のために市に出ると、彼は周囲の人々より必ずこう言われた。
「嶺南から来たということはつまり、お前は人間ではなく獦䝤だな」
 里で生活する者たちと一緒にいる時は彼我の違いを殊更に意識することはなかったが、ひとたび街に出てみると、慧能は言われのない差別という「分別」が存在していることを知った。
 慧能は幼い頃からの質素で厳しい生活習慣に鍛えられ、心身ともに頑健であった。
 また、野山は彼を育てた環境要素の一つでもあり、山を何里も巡ることは当時の生活そのものであった。
 そのため雨や夜露に濡れながら山懐で数夜を過ごすことなど、日常行為であった。
「それそれ、まさに獦䝤よ」
 ある時、里でのそんな生活について市の客に話したところ、そうからかわれた。それ以来、慧能は自らの出自、生活を話すことを避けるようになった。
 黙っていれば分からない。しかし、頑健であることを恥ずかしいことのように言いつのる都会人の奇妙な思考には嘆息せざるを得なかった。
 しかし、無学であり、文盲であることは彼の心にいつまでも暗い影を落としていた。
 商いをする程度の文字しか知らないことは、街で社会的で文化的な人生を送ろうとするにはあまりにも劣っていると言わざるを得なかった。
 いつか機会があれば、文字を学び、この世の理を知ろうと慧能は考えていた。
 慧能は獦䝤から「人間」になることを求めていた。それも、徳の高い「人間」になりたいと心より願っていた。
——そういう機会はないものか。
 慧能はずっとその時を窺っていた。

 代わり映えしない日々を送るうちに、慧能ははや三十歳を過ぎていた。
 ある日のことだった。
 慧能はいつものように暁闇に里を発ち、市が始まる前にいつものように得意先のある裕福な商家に薪炭を納めに行った。荷を渡し、銭を受けて門を出ようとしたその時のことだった。
 屋敷の奥より彼を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
 まだ何か用があるのだろうかと思い、振り返って奥に視線をやった。そこには誰もいなかったが、経を誦する声が聞こえていることに彼は気が付いた。
 慧能はその瞬間、聞こえて来た経の一節によって彼の心はしっかり捕らえていた。
「どうかなさいましたか」
 屋敷の女中が通りかかり、ぼんやり佇んでいる慧能に声をかけた。
「お伺いしてよろしいでしょうか」
 慧能の問いに女中は頷いた。
「今、奥からお経を唱える声が聞こえましたが、あれは何というお経なのでしょうか」
 女中は怪訝な顔で振り返り、奥を見やった。低い男の声で読経は続いていた。
「『金剛経』でしょうね。ご主人様が最近熱心に唱えていらっしゃるお経です」
「『こんごうきょう』ですか」
 女中は軽く頷き、面倒臭そうな表情をして奥に引っ込んで行った。慧能の脳裏にその一節が蘇った。
——おうむしょじゅう、にしょうごしん
 まだ訊きたいことがあったが、慧能は頭を下げて屋敷を後にした。

 慧能は、その日からまるで生まれ変わったように日々を送ることができるようになったのだった。
 「金剛経」の一節を耳にした日も、いつもなら辛く苦しいはずの峠越えが心躍る楽しいものに変わっていた。
 里に帰ってからも、農作業や山仕事の苦しさは変わらなかったが、これまでのように暗い気持ちで取り組むことはなくなり、不思議なことに意欲的に取り組むことができるようになっていた。
 そして、代わり映えのしない貧しく侘しい毎日の生活もなぜか明るく、嬉しいものに変わって行ったのだった。
——一体どういうことなのだ。
 慧能は不思議に思った。そして、そのきっかけについて考えてみた。
——ひょっとしたらあの「金剛経」の一節の功徳なのかも知れない。
 彼はそう考えるようになり、次にあの商家に行ったら、主人に会ってこの経験を伝え、できることならこの経と功徳について教えてもらおうと思った。
 慧能はその日が来るのが急に待ち遠しくなった。納める薪炭もいつもより上等なものを選び、心尽くしの花さえ添えた。
 数日後、市の日となった。しかし、その日は朝から大雪だった。
 この雪では峠越えは難渋するだろうと慧能は表情を顰めた。
——こんな日にわざわざ。
 母が日を延ばすよう諭したが、慧能は大切な教えが学べると信じていたので、何があっても出かけることにしていた。
——「金剛経」が守ってくれる。
 いつもより多く載せた薪炭の背負子を担ぎ、蓑を力強く握り締め、雪の舞う道を彼は歩き始めた。

 峠越えの山道に入ると、不思議なことにすぐ雪は止み、朝日が差し始めて来た。
 峠の積雪も思ったほどひどいものではなく、難渋することなく街に下りることができたのだった。
 しかし、街ではまだ雪が強く降っていたため、市は中止になっていた。慧能は商品を市に卸すことを諦め、すぐ目当ての商家宅に向かった。
 商家の主人は安道誠と言った。
 安は干物の卸を地道に行って大きくなり、今やこの地域一番の大店となっていた。
 しかし、安は稼ぐだけの男ではなかった。貧しい者や困っている者たちにも食べ物やわずかとは言えない額の金銭を施すという篤志家でもあった。
 そして、熱心な仏教の在家信者であった。
 日々仏前に向かって商売繁盛への報恩感謝を捧げることを怠らなかった。慧能が経によって功徳を得たのも、安の強情な信仰のお陰なのかも知れなかった。
「あら、炭屋さん」
 門前で笠や蓑を雪でぐっしょり濡らして立っていた慧能に気付いたのは、彼に主人が唱えていた経が「金剛経」だと教えてくれた女中だった。
 慧能は商品を納めに来たことを伝え、合わせて主人との面会を乞うた。女中は荷を置いてそこで待つように言い、奥に戻って行った。
 雪は小降りに変わり、回復しつつあった。まるで天が慧能を導くように働いているようだった。
 慧能は屋敷の小部屋で安道誠と対面した。
 慧能より二回りほど年嵩の安は、噂通りの広闊な心の持ち主のように感じられた。
 面と向かって会うのは初めてということもあって慧能は安の威儀に気圧されたが、丁重に取引の礼を述べた後、すぐに用件に入った。
「ご主人様が唱えられていた『金剛経』の一節を耳にして以来、毎日の生活に対する私の心持ちが一変してしまったのです」
 慧能はその理由が「金剛経」の一節にあると考え、その一節の意味とともになぜこうも変化してしまったのか、その理由を教えて欲しいと訴えた。
 安はすぐさまこの小柄で色黒、貧相な格好をした獦䝤が仏法の真意に触れていることに気付き、大いに驚いた。
「なるほど、この経は手にするだけで悟るという法力を持つというが、どうやらそなたは耳にしただけで功徳を得たようじゃな」
 安は鷹揚に言った。
「どうかお教えいただくことはできないでしょうか」
「そなたはどうしてもこの教えを学びたいと言われるか」
 慧能は頭を下げ、雪で湿った頭を床に押し付けた。
「『応無所住、而生其心(おうむしょじゅう、にしょうごしん)』とは『まさに住する所なくしてしかもその心を生ず』つまり、何物にも心を留めないようにして心を起こす、簡単に言えば、何物にもとらわれてはならないという意味だと私は理解している」
 慧能は心の中でつぶやいた『何物にもとらわれてはならない』。そして、顔を上げた。
「とらわれるものがなくなれば、日々の暮らしは輝きを増して行くものなのでしょうか」
 安は当惑した。彼にはそれ以上の深い学びを得ることはできていなかったからだ。
「残念だが、私には説明できない」
 慧能は寂しげな表情をした。
「昨年私が北方の蘄州(きしゅう)黄梅県の憑茂山を訪れ、禅宗五祖の弘忍和尚様に礼拝した時、集まっていた出家僧や在家の門人たちにこの経を勧めておられた。私はその一部を書き写しただけなので、私にできることはその部分を説き聞かせることだけなのだ。そして、それは今まさに伝えた通りじゃ。
 この経の甚深なる教えの極意まで知り得たいと言うのであるのなら、それは私には無理じゃ。そなた自身が憑茂山を訪ね、直接弘忍和尚に教えを乞わねばならない」
 慧能は教えを得ることの難しさを知った。そして、彼の関心は弘忍という一人の禅僧に移った。
「弘忍和尚様……」
 慧能がつぶやくように言うと、安は頷いた。
「出家、在家合わせて千人もの門人を擁する大唐一の大師様じゃ」
 慧能は憑茂山に行きたいと思った。いや、行かねばならないとすら考えた。
「私も弘忍和尚様からお教えを受けることができますでしょうか」
 しかし、安は慧能の希望の輝きを増した表情を見て諭すように言った。
「慧能。そなたにもそれがとても難しいことだということが分かっておるのではないか」
 確かにその通りだった。
 黄梅県へ行くには多額の路銀が必要だったし、何より母を一人置いて家を離れるわけには行かなかった。
 安は落胆した表情に変わった慧能を見て考えた。
 嵐の日も今日のような雪の日もこの男は長い間、我が家に薪炭を運び続けて来てくれた。親孝行で人柄もよいこの男が今まさに正覚を得つつあり、仏に帰依しようとしているのだ。
 このことを自分が知った以上、この機を逸して何もしなかったなら、それはすなわち仏菩薩の指図に従わなかったことである。そうすると仏罰は免れないと安は考え、慧能の思いに報いてやろうと決めた。
 安は慧能に黄梅県までの路銀を出してやることと、母親を一人にしておくことが難しければ、ここに住んでもらっても構わないということを慧能に伝えた。
 彼は喜び、母親と相談すると言って屋敷を出て行った。
 数日後、旅の支度を整えた彼は、老いた母親とともに安の元にやって来た。
 二人を迎えた安の目に遠くの山並みの斑らな雪形が写った。雪の季節も終わりを迎えようとしていた頃だった。

 そこまで喋り、慧能は口をつぐんだ。
 弘忍はこの行者に対して畏怖の念を覚え、身体が震えた。
——「金剛経」の一節だけで悟了しおった。
 この経の広大無辺な力については弘忍も十分理解していた。しかし、弘忍はまだこの経を理解しただけであり、正覚を得るまでには至っていなかった。
 弘忍は微かに嫉妬した。
 しかし、それはすぐに消え、この獦䝤、いや嶺南の仏性に対して強い憧憬の念が湧き始めた。
「慧能」
 弘忍の声が嗄れていた。
「そなたへの功徳は『金剛経』の教えによるものであることは間違いない。この教えは一節を誦するだけで、その者を誤謬、我執、迷妄、そして『とらわれ』から逃れる出すことができるのだ……しかし、慧能」
 弘忍は少し言葉を止め、また言った。
「これからそなたはその真意をつかまねばならん。ただし、学ぶことによってではない。務めることによってつかむのだ……私の言っている意味が分かるか」
 慧能はゆっくりと顔を上げた。怪訝な表情が浮かんではいたが、目は輝いていた。
「そなたは文盲でありながら嶺南で働き、日々務めることでこの甚大な功徳を了解した。ならば、その真意も日々の作務の中でしかつかむことはできないのだ」
「大師様、私は門人として学べないのでしょうか」
 慧能の目には涙が溜まっていた。
 弘忍には彼の思いがよく理解できた。しかし、この場はその涙の色を暗いものにせざるを得なかった。
「慧能よ、学ぶのではない、今は僧など目指してはならぬ」
 弘忍に弟子たちの顔が浮かんで消えた。
「そなたは務めねばならぬ……行者として」
『務め』
 慧能は心の中でつぶやき、うなだれた。
——学ぶのではない、とは一体どういうことであろうか。
 それではこれまでの生活と何も変わらないではないか。この教えの煌めきが、獦䝤から仏性を得た徳高い人間へと変えてくれるはずではなかったのか。
 そう思うと慧能は悲しくなった。
 弘忍は静かに立ち上がり、うなだれて身体を震わせている慧能を見下ろした。
——応無所住、而生其心。務めよ、慧能。そなたはまだ若い。
 弘忍は静かに米搗蔵を後にした。
 日が動き、慧能の周囲に光の束が差し掛かって来た。彼は我に返った。顔を上げると弘忍の姿はなかった。
——務め。
 慧能は再び心の中でつぶやき、周囲にゆっくりと視線を巡らせた。作業道具とともに土間の奥に一つの丸石があることに気付いた。
 本堂周辺では弟子たちの行き交う足音がしげくなっていた。寺の一日が始まったようだった。
 慧能は立ち上がり、丸石に近寄って行った。


 五

「さすがは神首座だったな」
 蝉時雨の中、二人の若い僧が杣道から姿を現した。二人とも庫裡で使用する柴をたくさん担いでいたが、しっかりした足取りだった。
 山での作業は僧たちにとって、堂内ではできぬ無駄話できるよい機会であった。後ろの僧が前の僧の汗に光る頭頂に声をかけた。
「あの時か。楞伽の如来蔵と……」
「……数論外道の我との違いだ。お前に答えることはできたか」
「できようはずもない」
 振り向いて前の僧が言った。
「『世尊の方便善巧なる説教のゆえである』などと一度でいいから言ってみたいものだな」
 そう言って笑った。
 過日の弘忍の説教の際、質問した僧に対して、弘忍の代わりに神秀が見事に回答したことは、数日経った今でもまだ山内の話題になっていた。
 杣道が緩くなり、二人は疎林に出た。辺りには日差しが強く当たっていた。ここまで下れば本堂はもうすぐだった。
 彼らはいったん足を止め、流れ出る汗を拭った。
「しかし、大師は最近、『楞伽経』の説教をされなくなったな」
 視線を本堂に送りながら一人が言った。
「ああ、例の『金剛経』の説教ばかりになった」
「『楞伽経』はややこしいが、『金剛経』はわけが分からない」
「確かに……おっとその話はもうこの位にしておこう」
 二人は口を閉ざし、背負子を背負い直した。そして、日に灼かれながら庫裡の出入り口に向けて真っ直ぐ進み始めた。

 その頃、神秀は昼の作務を終え、僧房の自室で「楞伽経」を前にしていた。
 神秀、汴州尉氏県に生を得て十三歳で出家、二十歳で得度している。
 各地の主だった修行地を経た結果「学ぶべき教えは禅である」と決め、達磨大師の本流に連なる中国禅宗五祖弘忍の弟子となるためこの憑茂山にやって来た。
 それからもう十数年が経過していた。
 五十歳を過ぎてはいたが、そう感じさせぬほど、精悍かつ端麗な容姿を維持していた。知らぬ人ならおそらく、彼の年齢を十歳くらいは若く見てしまうと思われた。
 性格は温厚で泰然自若。師の弘忍に対する敬慕の念は極めて篤く、その絶対服従の姿勢には周囲の弟子たちも戸惑うほどであった。
 修行に懈怠ない模範的人物であったが、偉ぶるところはなく、自らは弟子筆頭としての務めを全うすることに終始していた。そのことでますます彼は僧としての風格を高めることになった。
 もはや押しも押されもせぬ弘忍十大弟子の首座であった。
 弘忍が「東山の法、尽く神秀にあり」と口にした通り、神秀を「最高の弟子」として常々内外に伝えていた。その言動から、弘忍自身も大法の継承者は神秀に決めているように感じられた。
 それゆえ、憑茂山中では「六祖は神首座」と見なすようになり、山内の重要な用務については、弘忍の前に必ず彼の意見を参考にすることが慣習のようになっていた。
 特に神秀が優れている点は学識の高さであった。
 彼は憑茂山のどの弟子たちよりも法臘を重ねていた。したがってどの分野をとってもほかの弟子たちの及ぶところではなかったが、特に禅の依拠する重要経典である「楞伽経」についての知識は尋常一様ではなかった。
——「楞伽経」の理解だけなら、大師を上回っているのではないか。
 弟子の中ではこう言う者すらいた。
 彼自身も「楞伽経」に強く心惹かれており、今後とも禅の依拠すべき経は間違いなくこの「楞伽経」だと考えていた。
 ところが今、その経に目をやっている神秀の心中に濁りの影が揺らめいていた。
——大師は『金剛経』への思いを強められつつある。
 先日、「楞伽経」の如来蔵と数論外道の我の違いに答えることを師は弟子に委ねた。素直に考えれば、答えられるのは十大弟子くらいしかいない。
 弟子に回答を任せることで、彼らを育てようという師の意図があるように思われたが、そればかりではないと神秀は感じていた。
——ご自身で答えることを避けられたのだ。
 彼は心の中でそうつぶやいた。ではなぜ師は避けられたのだろうか。
——大師は飽いてしまわれたからだ。達磨大師が天竺よりお運びになられ、大法の依拠として二祖慧可大師に伝授された「楞伽経」に大師は飽いてしまわれたのだ。
 彼は「楞伽経」に目を落とした。そして、また考えた。
——では、なぜ「金剛経」なのか。
 彼にはその答えに考えが至らなかった。
「楞伽経」さえあれば、禅の教えはすべて理解でき得るし、修行にしても天台が閑却した座禅についても正しく肯っていると彼は結論付けていた。
 そして、近頃は「師が『金剛経』の説教ばかりする」と弟子たちが不平を言い始めるようになっていた。
 彼らも同じように重要視し、深く学び続けていた「楞伽経」ではなく、いささか突飛にも感じられる「金剛経」に強い抵抗感を示すようになっていた。
「金剛経」を選ぶ理由を言わぬ師に対する不信感も弟子たちの中で表面化し始めており、かつてのような説教の際における緊張感というものが失われつつあった。
——それでもなぜ「金剛経」なのか。
 神秀はもう一度考えたが、やはり答えには至らなかった。

 数日が過ぎた。
 蝉の鳴き声は一番の盛りを迎えており、その日も朝から豪雨のような鳴き声が山内に轟いていた。その大音声はまるで全山を震わせているかのようだった。
 また、鳴き声は巨大な通奏低音となって弟子たちが集まっている本堂にまで押し寄せていた。
 弘忍の説教はこの日もまた「楞伽経」ではなく、「金剛経」であった。
 彼は鳴き声のせいで弟子たちが聞き取りにくいのではないかと考え、いつもよりやや大きな声で説教していた。
 午前の太陽が高くに移った頃、弘忍は説教を終えようとして立ち上がった。
「大師、お教えいただきたく存じます」
 すぐ近くから声が上がった。
 弘忍が声のする方に目を向けると、真っ直ぐ彼を見ている神秀がいた。弘忍は無表情のまま再び曲彔に腰を下ろした。
 神秀は立ち上がって弘忍に向かって合掌礼拝した。
「昨今、大師は『金剛経』の教えについてこれまで以上に深く説かれておられますが、それまでの『楞伽経』の教えをいったん横に置き、『金剛経』に力をお入れになられている理由はなぜでありましょうか」
 弘忍は変わらぬ無表情な顔を神秀に向けた。
「それが何かそなたの修行の妨げにでもなるというのであろうか」
 神秀は師の皮肉めいた返答に気後れした。
「いえ、そういうわけではございませぬが、『楞伽経』に対する学びすら我々にはまだ完全なものとなっておりませぬ。
 そのため、それをいったん横に置いて『金剛経』を優先される理由をお伺いしておかねば、落ち着いて『金剛経』を学び得ることは難しいのではないかと思っております」
 弘忍に対する尊崇の念甚だしい神秀には珍しく、意見するかのようであった。弘忍は両目を閉じ、ゆっくり開いた。
「師である私の選ぶ『金剛経』が気に入らぬと言うか」
「いえ、そのようなことではございませぬ」
 神秀は目を伏せ、頭を下げた。
 二人の会話に引き付けられている弟子たちは、神秀の遠慮過ぎる態度に煮え切らないものを感じていた。
 弘忍は、弟子たちに理解させるにはどうすべきか迷っていた。
 これまで、理由を説かないまま「金剛経」の説教を始めたため、神秀のように抵抗している弟子たちがいることに弘忍も気が付いていた。
——どう説けばいいのか。
 祖師伝来の教えから置き替えるかのように、馴染みない教えを学ぶことに抵抗があるのはある程度理解できた。
 しかし、ここで今弟子たちに「金剛経」について説教しても、たとえ神秀といえどもその教えの真髄を理解することは困難であり、無用の恐れを抱かせるだけだと弘忍は考えていた。
 それほどまでにこの「金剛経」は「楞伽経」と肌合の異なる経典なのであった。 それでもひょっとすると、時間をかけさえすれば理解するのではないかと彼は考え、「楞伽経」を置いてこのところずっと「金剛経」を取り上げていたのだが、やはり弟子たちは抵抗したのだった。
「神秀よ」
 弘忍はようやく口を開いた。
「『楞伽経』は我が大法にとって大切な教えであることは私も否定はせぬ……何も捨ててしまおうと考えているわけではないのだ」
 神秀は顔を上げた。その表情に少し安堵の色があった。
「民を『楞伽経』に添わせることは至難の技であるのだ。『楞伽経』は真理への確証に続く道程を示すにおいて、最も適切な教えであることは間違いない。しかし、その美点を持ってしても、難解で人を添わせにくいという難点を覆い隠すことができないのだ。
 この難点がある以上、どのような尊い教えだといえど民にとっては近寄り難いものになってしまうのだ。ひいてはこの大法へ嫌悪感や忌避感すら招いてしまう危険性もあるのだ」
 弘忍は一呼吸置いた。
「しかし、『金剛経』はそうではない。禅というものは、僧や学者だけに隠匿させておくべきものではない。禅は広く民の学びに資せられ、修せられるものでなければならない。そのために『楞伽経』とは異なった立場ではあるが、民の心に伝わりやすい『金剛経』ももう一つの依拠すべき主柱として置かねばならぬのだ」
 弘忍は「金剛経」を「楞伽経」と置き替えるとまでは言わなかった。弘忍にはまだ「楞伽経」を捨てる勇気がなかった。
 弘忍は神秀を見ていた。
 思った通り、神秀は悩んでいるようであった。神秀は守るべき何ものかが体内よりえぐり取られたように感じていた。そのせいか心のみならず肉体にさえ痛みを感じていた。
 神秀は「楞伽経」の難解さを愛していた。難解さがこの教えを荘厳しているとさえ思っていた。
 同時に、その難解さを掌中にしている弟子筆頭である自分をも荘厳しているように感じていたのだった。
 神秀は言った。
「難解さが民の心を遠ざけるという懸念については私も賛同いたします。しかし、仏法の真意を得るために学びは大切だと存じます。民にとってもそうすることが悟了への道を大きく開くことになると存じます」
 弘忍は頷いた。
「神秀、学びが大切であることは、私も否定はせぬ。しかし、それだけが悟了への道を開くわけではないのだ」
 神秀は表情を引き締めた。弘忍は言った。
「一つ訊いてみたい。神秀、民を此岸から彼岸に渡すための乗り物として、船と筏のどちらが適切か」
 神秀は突然の問いに戸惑いの表情を見せたが、少し考えて言った。
「船でございます。より多くの民を救うための大きな船。その船とはまさに経であると存じます」
「経は船か」
「そうでございます。筏は多くの民を運べません。それにすぐに損なわれ、捨て去られてしまいます。ゆえに経は筏であってはならないと思われます」
 神秀の表情に迷いはなかった。しかし、弘忍はその答えに失望していた。彼は弟子たちに向かって言った。
「教えというものは、文字や言葉で理解できたとしても、それだけで仏法の真意をつかめることはできない。文字や言葉による知識は所詮『とらわれ』や『分別』に繋がる。それが障碍となって真実を得るまでに相当な時間を必要とする。悟了に余計な時間を必要とし、それだけ民の苦しみは長く続くことになってしまうのだ」
 そして、神秀を見て弘忍は言った。
「そなたの言うこともよく分かる。決して私はそなたの言うことをすべて否定するつもりはない。先ほども言った通り、大法において『楞伽経』は大切な学びの経の一つである。そして、その上で『金剛経』の良さも理解せねばならぬ。分かるか、神秀」
 神秀は頭を下げ、しばらくそのままで何か考えている様子だった。やがて顔を上げて彼は訊いた。
「『金剛経』は民を導くに適していることのほか、どのような美点を有しておりましょうか。そこには『楞伽経』に勝るとも劣らぬ教えがあるのでしょうか……『とらわれ』も『分別』もない教えというものが」
 弘忍は、神秀がようやくここまで追いついたことを心中で喜んだ。
 その理由は、今神秀が問うたことへの回答こそ、弘忍が弟子たちに理解させたい教えだからなのであった。
 しかし、弘忍は今ここで性急にその回答、つまり、この経の真髄を説くべきではないと思った。やはり今の神秀やほかの弟子たちにはまだ機縁が熟していないと考えたからだった。
 蝉の声が急に小さく鳴り始めた。蝉は一斉に鳴き、一斉に鳴き止むことがあるが、なぜこんな習性を持つのだろうかと弘忍は思った。 蝉がすべて鳴き止むと、山内には日常の音が蘇った。風、人声、そして作務の音。
 弘忍は言った。
「『金剛経』の一節をもって悟了した者がこの憑茂山にいる」
 これを聞いて、それまで興味のなさそうな表情であった者も含めて弟子たち全員の表情が一斉に好奇の色に染まった。皆初めて聞く話であった。
「大師、それは一体誰なのでしょう」
 神秀が訊いた。一番驚いたのは彼であるのに違いなかった。
 この憑茂山のすべての弟子のうち、最も悟了に近付いている者は自分のはずだと彼は信じていたからだった。
 しかし、師は自分ではない誰かが悟了していると言うのである。
「この堂内にはおらぬ」
 そう言って弘忍は立ち上がり、本堂を出て行った。
 蝉の声は鳴き止んだままだった。

 六

——やはり、大師はすでに「金剛経」への依拠を心決めしておられる。
 いつものように神秀は自室で経に目を送っていた。
 師は婉曲的な言い方ではあったが、「楞伽経」を否定的に考えていることを神秀は知った。
 確かに「民が寄り添わない」という師の考えについては納得できなくもなかった。しかし、納得はすれども神秀の「楞伽経」への思いは変わらず、「金剛経」への好意的な思いは起こらなかった。
 とは言え、「金剛経」に対する関心が高まったことは間違いなかった。それは師が言った最後の言葉のせいだった。
「金剛経の一節をして悟了した者が、この憑茂山にいる」
 これを聞いた時、神秀の心は大いに揺らいだ。
 自分を差し置いて悟了した者がこの憑茂山にいるということがどうしても信じられなかった。彼は憑茂山の優秀な弟子たちを一人ひとり思い浮かべてみた。
 しかし、誰一人として、彼に勝ると考えられる者はいなかった。
「この室にはおらぬ」
 それが誰なのかという神秀の問いかけに師がこう答えたことで、悟了した者が弟子でないことを知って安堵したが、すぐ強い不安に襲われた。
——では一体誰が……。
 神秀は顔を上げ、室の窓から外に視線をやった。
 中庭に植えている木槿の純白の花が、強い日差しに負けず輝くようにたくさん咲き誇っていた。
 その時、ゆったりと物を打つ音が聞こえた。米搗蔵からのいつもの音だった。
——あの行者。
 神秀は一人の弟子、いや行者の存在を思い出した。
 神秀が弘忍に代わって若い弟子の質問に回答したあの日、行者が本堂から追い出されたことを思い出した。
 あの米搗蔵の行者、獦䝤と呼ばれているあの男が「金剛経」を理解し、悟了したというのだろうかと神秀は疑った。
 彼はその獦䝤に会ってみようと考えた。
 本当に悟了しているのかどうか確認したかった。そして、もし悟了しているのであれば、その悟了というものがどういうものなのか知りたかった。
 彼は「金剛経」を閉じ、立ち上がった。
 神秀は米搗蔵に向かった。
 蔵の出入り口はいつもの通り開けっぱなしであり、米糠の匂いが神秀の周りに漂って来た。彼は中に入った。
 木の枝が嵌まった二つの明かり取りから光が差し込み、埃や米糠などの漂う蔵の中を斜めに貫いていた。
 風通しは悪いが、思いのほか涼しいと神秀は感じた。
——ぎっ、ばたん。ぎいっ、ばたん……。
 行者が向こうを向いて猫背で米を搗いていた。
 米搗きの杵には丸太の柄が取り付けられており、その柄の端を踏み込むと杵が持ち上り、足を外すと杵が石臼に落ちるという仕掛けになっていた。
 柄はそれほど重そうには見えなかったが、その割に扱っている行者は随分力を込めているようだった。神秀にはそれが不思議に感じられた。
 よく見ると、行者の臀部と同じくらいの大きさの丸石が荒縄で編んだ網に包まれて腰に結い付けられていた。
——不自由なことをする。
 神秀は呆れた。何か意図でもあるのだろうかと見ていると、米搗きの音が止んだ。
 柄を踏み込む動作を止めた行者が猫背のままゆっくり振り返って神秀を見た。暗さに慣れた神秀の目にその行者の顔がはっきりと見えた。確かに本堂を追い出された獦䝤と呼ばれているあの行者、慧能に間違いなかった。
「仕事の邪魔をして申しわけない。そなたは慧能殿であるな」
 神秀が慇懃にそう訊くと慧能は少し驚き、汗にまみれた顔で頷いた。
「少し話をする時間をいただきたい、よろしいか」
 神秀がそう言うと、慧能は腰の荒縄を緩め、戒めのような石を床に置いてから頭を下げた。石が床に当たり、くぐもった音を発した。
 神秀は慧能の近くまで進んだ。
「私は神秀と言います」
「存じ上げております、神首座。私は行者の慧能です」
 神秀はいつものように表情を崩すことなく、頭を下げる慧能を見た。
 皆の言う通り、その見かけだけからすると確かに獦䝤と呼ばれるのも仕方がないように思われた。しかし、その振る舞いや言葉遣いから判断すると、とても人間に劣るようには見えなかった。
 それどころか、慧能の目の中には他の弟子たちにはない知性の強い炎さえ揺らめいているように見えた。しかし、それが悟了の証だとは思えなかった。
 神秀は足元の木箱に腰を下ろし、慧能に相対した。
 そこは弘忍が蔵に来た時に慧能がいる場所だった。そして、今慧能のいる辺りがいつも弘忍のいる場所だった。神秀は顔が明り取りの光を受けていて眩しかった。
「春頃、嶺南より参られて入山されたと聞いているが」
「さようでございます。まだ雪が斑らに残っている時分に訪ねて参りました」
「入門を果たすために」
 慧能は頷いた。
 そして、神秀は慧能のそれまでの生活や育ちについて尋ねた。
 里での厳しく貧しい自給自足の半生を知って慧能に精神修養のための学びを得る機会はなかったと神秀は思った。
 幼い頃より大寺で修行して来た神秀たちと比べれば、それはまさしく獦䝤としての生き方のようだった。したがって、そこからも慧能が悟了したとの証は見つけられなかった。
 彼はなおも尋ねた。
「『金剛経』はどこで学ばれた」
 慧能は答えなかった。神秀は慧能がそのことを隠そうとしているのではないかと思った。神秀は続けた。
「ここに立ち寄った理由は、大師より『金剛経』によって悟了した者がこの憑茂山中にいるということを聞いたからである。しかし、それは修行者の中にはいないと言われた。とすると、修行者以外の誰かということになるのだが、当然、その人物は大師と語り合える者のはずである」
 そこまで言って神秀は口をつぐんだ。慧能の表情が影になっており、そこにどんな感情が現れているのか神秀には読み取れなかった。
「大師は時折、ここに立ち寄ってそなたと語り合うことがあると聞いた。そなたがただの行者であれば、わざわざ大師が立ち寄り、語り合うことなどないはず。それは、そなたが大師にとって何か語るに足る人物だからなのではないか。
 それともう一つ、そなたの入門理由が『金剛経』を学ぶためだと私は聞いている。そなたは『金剛経』に何か特別な思いを抱いているのであろう。
 つまり、そなたこそがこの山内で『金剛経』によって悟了したという人物なのではないかと私は考えているのだ」
 神秀は思い切って問い詰めるように尋ねた。間を置いて慧能は言った。
「確かに、私は街でたまたま耳にした『金剛経』について深く学びたいと思い、入門いたしました。しかし、学びたいと思っているだけであり、『金剛経』による悟了とはとてもあり得ぬことでございます」
 慧能は頭を下げた。
「慧能殿、なぜに隠す。お会いした途端、私にはそなたがただの行者ではないことを感得した。悟了については自覚されているのではないのか」そして続けた。「『金剛経』について何を学ばれて悟了されたのであろうか」
 神秀は改めて慧能は如来を蔵しているばかりではなく、すでに如来を顕現しようとしていることを感じた。再び、慧能への嫉妬心が湧き上がって来た。
「いかがであろう。そなたの学びを私にご教授いただけぬか」
 神秀が目の前で頭を下げていることを見て慧能は驚いた。
 そして同時に、自分の心中に温かな感情が満ちてくることを慧能は感じた。
 これまでこれと同じ感情を抱いたのは、この山内では弘忍大師と会話している時だけだった。目の前で頭を下げる神秀にも師と通じる何かを持っているようだと慧能は思った。
「神首座、どうぞ頭をお上げください。私は文字すら知らぬ男。世間は私を獦䝤と呼んでいます。学ある人、高貴な人からすれば、私は人たるに値しない存在です」
 慧能は一度言葉を抑え、そしてまた口を開いた。
「しかし、ある時、私も人間であるという誇りを持つことができました。それがこの『金剛経』のお陰だと思うのです」
 神秀はゆっくり頭を戻した。赤らんだ顔が光を受けていた。慧能は続けた。
「『応無所住、而生其心』……。耳にしたこの一節が私に何かを伝えようとしてくれたことで、私は大師様や神首座同様に仏性ある「人間」なのであることをしっかり理解させてくれたのです」
 神秀は心の中で「応無所住、而生其心」とつぶやいた。経のどの辺りに記されているのかはすぐに分かった。
 しかし、その一節だけでは慧能の心の中を窺い知ることはできなかった。
「先日、大師の説教の時に本堂にいて、その後、大師より退出させられたようだが、なぜ、そういう仕打ちを受けられたのであろうか」
 慧能は少し考えて言った。
「そこにいるべきではなかったからなのでしょう」
「それはまたなぜ」
 確かに行者は本堂にいるべきではない。しかし、悟了している者を学びの場から追い出すとはどういうお考えなのであろうかと神秀は疑問に思った。
「恐らくは、大師様の『務めよ』という言いつけを破ったからだと思います」
「『務めよ』……それはつまり、この米搗蔵で行者としての作務に専念せよということであろうか」
 慧能は頷いた。その時、神秀は慧能のそばに置かれた丸石を見た。慧能の腰に結えられていた部分が汗で濡れて黒くなっていた。慧能もその丸石に視線をやった。
「腰にこのような重い石を結えていては、務めができないのではないか……これもまた大師の言いつけであろうか」
 慧能は首を振った。
「これは大師様への私の答えです」
——答え。
 それを耳にした途端、神秀には消えようとしていた嫉妬の感情が改めて湧き上がって来ることを感じた。
 神秀は米搗蔵を離れ、自室に戻った。
 果たして慧能は本当に悟了していたのか。神秀にはよく分からなかった。しかし、師が慧能に格別な期待を寄せていることだけはよく分かった。
 経机の前に座し、「金剛経」を繰って慧能が言った一節を確認した。
——「応無所住、而生其心」、まさに住する所なくして、しかもその心を生ず。
 神秀はこの一節の意味を理解しているつもりだった。しかし、そこまで慧能、そして師までもがこだわる理由が理解できなかった。
 とてもそこに悟了への道筋があるとは考えられなかった。
 

 七

 厳しい夏もようやく盛りを過ぎ、この憑茂山の周囲にも秋の風が混じるようになった。
 四季は現れ、消えていく。春の「因」は夏の「果」へと、そして、夏の「因」は秋の「果」へと移り行く。そこに「能変」はない。種子(しゅうじ)を残すこともない。ありのままの季節の移り行きだった。
 ある日、弘忍は寺男より慧能が怪我をしたという報告を聞いた。
 怪我というより腰と足を傷めたということであり、命に関わるほどのことではないようだったが、彼は寺男とともにすぐ米搗蔵を訪ねて行った。
 米搗蔵の出入り口は閉まっていた。いつもの米搗きの音がせず、そのせいでこの蔵全体が命を失ったように弘忍には感じられた。
 寺男が出入り口を開くと、弘忍は筵の上に横たわっている慧能を見た。
弘忍たちが入って来たことに慧能は気付いた。そっと上半身を起こして弘忍に向き直り、頭を下げた。弘忍には慧能が痛みに耐えていることが分かった。
「無理せずともよい」
「大師様、申し訳ありません」
 慧能は頭を下げたまま掠れた声で答えた。
「腰と足を傷めたと聞いた。無理をしたか、慧能」
 慧能はどう答えればいいか逡巡していた。その時、弘忍は慧能の傍に荒縄が付いた丸石が置いてあることに気が付いた。
「これを使っておったか」
「はい。腰に巻いて使っておりました」
 弘忍は自身も同じことを行っていたことを思い出し、同時に彼の師である道信より「務めよ」と命ぜられたことを思い出した。
 道信が四祖となって大法を継いだ際、彼は遊行を止め、弟子たちとともに東山の地に留まった。そして、作務を修行の中心に据えることを弟子たちに伝え、弘忍に対しても米搗きを命じたのだった。
 弘忍も慧能ほどではないが、小柄であった。
 そのため、米搗きはあまり上手くできなかった。そこで、彼は腰に石を巻いて体重を増し、重さに耐えながら作業をしたのだった。
 おそらくそのせいで慧能は腰と足を傷めたのであろうと弘忍は思った。
 彼はこのやり方の辛苦を分かっているだけに、慧能を労わる気持ちはとても強かった。
「慧能、痛むであろう」
 弘忍は優しく声をかけた。すると、慧能は背筋を伸ばし、表情を引き締めた。
「身体という何ものかが私にあるわけではありません。身体がないわけですから、痛むということもありませぬ」
 そう言って慧能は合掌礼拝した。
 弘忍は驚き、慧能が窓からの光を強く輝かせ始めたように見えた。
 弘忍には慧能のその姿がまるで如来の現出のように見えた。彼は思わず合掌礼拝した。
——より深い見性に至ったか、慧能。
 弘忍は顔を上げ、丸石を見やった。そして、立ち上がった。
「体を傷つける行は世尊も遠ざけられた。それはもう止めよ。よいな、慧能」
 誰かを治療に寄越すと弘忍は伝え、米搗蔵を出て行った。
 弘忍は自室に戻り、卓上の「金剛経」に目をやりつつ、心を落ち着かせていた。
 慧能は「獦䝤」としてこの山にやって来て、米搗蔵にて作務だけを行なっていた。そして、時間とともに「金剛経」によって呼び覚まされていた「如来」としての本覚が彼にその姿を現し始めたと弘忍は思った。
 道信大師の言う「務め」の中で真意をつかみ取る行が慧能にして成し遂げられたのであった。
 弘忍は師の教えを元にして、今王朝でその存在を高めつつある武人たちの求めに合致した、瞬時に悟了するための新しい教えを説かねばならなかった。
 それは今の時代には危険な教えなのかも知れなかった。「金剛経」の必要性を説いた時の神秀の気色ばんだ表情を見て、弘忍はそれを強く感じたのだった。
——瞬時に悟了する教え、私はそれを説くことができなかった。しかし、慧能ならそれを成し遂げられるだろう。
 そして、弘忍は神秀のことを考えた。
 文盲である慧能に引き替え、知識や仏法修行という点では慧能に遥かに優っている神秀ではあったが、学びを重視し過ぎているため「とらわれ」や「分別」の因である言葉に溺れてしまい、彼はいまだに般若の知恵をつかめていなかった。
 とは言うものの、学びの頂きで悟りを得るという神秀の信じるその教えを排除することは、弘忍にはできそうになかった。
 弘忍は苦慮した。
 そして、弘忍に一つの考えが浮かんだ。
——それも一つの灯火となるか。
 神秀がそれを極めたいのであれば、否定することなくそれを灯火にしてそのまま道を歩ませることが師としての務めなのではないかと弘忍は思った。
 そして、ある意図が大きく広がり始めた。
 かねてより、弘忍には王朝による仏法迫害への危機感があった。
 時の王朝の都合により、政治すらも左右していた仏法がその王らの恣意により一夜にして否定されたことは一度や二度のことではなかった。
 これらの迫害から我が大法の灯火を消してしまわないようにするためには、その進む道をいくつか持っておけばよいのではないかと弘忍は考えた。
——王が左を誤りとすれば右が正となる。王が右を罰すれば左が義を得る。慧能の進む道とは別に神秀の道も必要かも知れぬ。
 弘忍はしばらく考えた後、立ち上がった。そして、室に掛けてある衣法の袈裟に近寄った。
 中天竺の青黒色の木綿地のそれは長年の使用によって色褪せ、傷みを見せていた。しかし、四人の先師による大法への強い思いに支えられ、その命を長らえていた。
 弘忍も大切な法会の際や王朝に出向く際には、この法衣を必ず着用していた。
 彼は裏地の碧く柔らかな輝きを目にした。それは表地の沈み込むような深い墨染色に相反するように輝いていた。
 その輝きは大法の理念そのもののように彼の目に映った。
——この袈裟が似合うのはどちらか。
 弘忍はその方途について考えを巡らせ始めた。


 八

 突然、弘忍が説教を止めた。その時、それに気付いていない弟子たちが数人いた。
 弘忍は曲彔から立ち上がり、堂の後方のあたりに目をやった。彼のすぐ近くにいる神秀や高弟たちも師が目をやっている方に視線を送った。
 風のない静かな初秋の昼下がりであった。
 この静寂を破るのは、何かに驚いた鵯の甲高い鳴き声だけだったが、今は数名の鼾が加わっていた。
 弘忍の見つめる先で三名の弟子たちが居眠りをしていた。
 三人揃って同じようにうなだれていた。説教中にも関わらず無防備な姿だった。「目を覚ませてやれ」
 弘忍がそう言うと、周囲の者が慌てて肩を叩いたり、衣の肘を引いたりして起こした。
 目覚めた弟子たちは説教中であることに気付き、罰悪そうに身体をすくめた。「目が覚めたか」
 弘忍が強く言った。
「申し訳ございませぬ」
 三名は声を揃えて言い、額付いた。
 弘忍は曲彔に腰を下ろし、視線を弟子たち全員に向けた。
「この世に生を享け、生きながらえて行くことは、世人にとっての一大事である。日々生起し、消滅しゆく事物に対して彼らは皆待ったなしの判断を行わなければならない。皆様々に悩み、苦しみつつ生きるために困難な判断を行っているのだ。
 それに対して我々は日々仏菩薩に礼拝供養することで広大無辺な恵みを頂戴し、その一大事を和らげている……何と恵まれていることであろうか。そなたたちはそう思っておらぬのか」
 弘忍は再び居眠りをしていた弟子たちに視線を向けた。三名は再び謝罪の声を上げ、額付いた。
「仏菩薩より福田を得るばかりであり、生死の苦海に出るために己を磨こうとしておらぬのではないか」
 弘忍は珍しく声を張り上げた。そして、また弟子たち全員に視線を向けた。
「昨今のそなたたちの志の低さや、師の教えに対する斜に構えた態度について、これまで苦々しく感じながらも私はずっと許していた。しかし、もはや許しおくべき次元を超えてしまった」
 弘忍はまた立ち上がった。そして言った。
「しばし、説教を中断する。そなたたちは皆房に籠り、自ら学ぶことを命ずる」
 弟子たちは皆大いに困惑の表情を見せた。
「そして、学びの証として私に『心偈』を呈することを命ずる。ただし、その内容如何によってはこの山を去らねばならぬことも覚悟せよ」
 弘忍は弟子たちを睨みつけた。
「もう一つ伝えておく」弘忍は続けた。「その内容如何によっては、この大法の後継者が決まることになる」
 弟子たちすべての表情に強い緊張感が走った。
 弘忍が去った後、堂内には主だった高弟たちが残り、心偈について話し合っていた。
 心偈の出来が悪ければ、つまり、弘忍の教えをしっかり理解できていなければ、すなわち破門。その逆に弘忍の教えを正しく理解していれば、師の跡を継ぐ者に選ばれる。
「伝法のためとも言われたが、やはり大師の本心は懈怠への叱責かと思うが……いかがか、神首座」
 仲間の弟子の一人からそう言われ、神秀は苦い表情で口を開いた。
「叱責については大師もお考えのことかと思うが、内容如何で破門という厳しい扱いにまではならぬと思う」
 それを聞いて皆難しい表情をした。別な一人が言った。
「私が思うに……大師は呈心する人によってその扱いの目的を変えるおつもりではないだろうか」
 それを聞いて神秀は首を傾げた。
「扱いの目的、とは」
「つまり、我々のように理解の至っていない者には叱責を目的とされているのであろうが、神首座に対してだけは」
 神秀が怪訝な表情をした。
「神首座に対してだけは、叱責が目的であるはずはない。あくまでも伝法が目的のはずだと思う」
「つまり、私に法を受ける資格があるかどうかお試しになっているということか」
 神秀がそう問うと、皆真剣な表情で頷いた。
「神首座」
 また別の一人が言った。
「我々は呈心を遠慮すべきかと思います」
 神秀はまたしても怪訝な表情をした。
「今回のことは大師のお計らいなのではないかと思われます。神首座の心偈によって弟子全員に伝法を納得させようというお計らいなのではないでしょうか」
——計らい。
 その言葉に神秀は憤りを感じた。否定しようとしたが、別な者の発言で遮られた。
「私もその通りだと思います。神首座に伝法の道が開かれるために我々は遠慮すべきであると考えます。どうか呈心願いたい」
「そして、神首座の極上の心偈ならば、我々不肖の者どもは皆許しを得られるでありましょう」
 他の者も皆賛意を示し、神秀に頭を下げた。
 いつの間にか夜が更け、開いた窓から冷えが忍び込んで来ていた。
 神秀は窓を閉めようと立ち上がり、窓際まで進んだ。
 あれほど盛んであった虫たちのすだきは日に日に弱まっていた。今は一匹の蟋蟀だけが、思い出したかのように時折短く鳴くだけだった。それはまるで助命の訴えのようだった。
 彼は心偈について考えていた。
 何をしたためるかではなく、その前になぜ呈心しようとするのかについて考えていた。
 彼はこの機会こそ、自らの行く末を決める一大事だと強く意識していた。
 呈心を勧めたほかの弟子たちの本心は神秀にも分かっていた。何のことはない、彼らは自分たちの大悟への遅れを師に叱責されぬよう退いただけのことであった。「計らい」などと持ち上げ、責任を神秀一人に押し付けただけに過ぎなかった。
 しかし、そのことは取りも直さず、伝法の権利が自分一人だけに与えられたという栄誉なのであったが、逆にそれが彼を悩みの淵に追い込んでいた。
 彼は師の思いについて考えた。師はなぜ今この時に心偈を求められたのであろうか。
 不逞な弟子たちへの懲らしめとともに、修行の一区切りにされようとしておられるのだろうか。
 神秀は今こそ入門以来十数年の修行の成果を師に示さねばならないと思った。
 たとえ心偈が師に受け入れられなかったとしても、それはそれでまた一つ新しい師の教えを受けたわけであり、それからまた修行を再開するだけのことだと素朴に考えていた。
 しかし、彼は呈心すること自体に一つの懸念を抱いていた。
 師の命に基づく呈心とはいえ、それに従うことはつまり、自分が六祖になりたいのだという卑しくもまた大それた心根を顕わしたと受け取られてしまうのではないかということだった。
 神秀は自分の気持ちの中にそのような不浄な心根がないことを改めて確かめた。彼の呈心の理由は、ひとえに法を追求したいためだった。
 蟋蟀がまたしてもか細く鳴いた。まだ命脈は尽きていないようだった。
——五祖には、大師には、誤解することなく理解していただけるだろうか。
 それは、自分の心偈がどれほど強く師に響くかに尽きると神秀は思った。
 彼は一層冷えを感じた。窓を閉め、経机に向かった。


 九

 数日が過ぎた。
 ある僧房の廊下の壁に紙が貼られていた。紙面には逡巡なく、それでいて抑制された達筆で心偈が記されていた。
 身是菩提樹 心如明鏡台
 時時勤払拭 莫使有払拭
 最初にその心偈に気付いたのは寺男であった。彼は早暁の務めに姿を見せた僧たちにそのことを伝えると、彼らはその壁に走り寄り、睨み付けるようにしてその心偈を読んだ。
 読み終えるや否や、皆何かに打たれたかのように急ぎ足で各自の僧房に戻って行った。
 しばらくして弘忍が寺男に連れられてその房廊にやって来た。そこはすでに数十人の弟子たちでごった返していた。
 皆口々にこの心偈を読んでは感想を述べ合っていた。その感想はどれもこの心偈が悟了の証であることを讃えるものであった。
 寺男が弘忍の来着を弟子たちに伝えると、彼らは心偈の前から退いて座した。
 弘忍はゆっくりと心偈の前に立って目を細め、無言のまま文字を追った。弟子たちは黙って弘忍を見つめていた。
 弘忍は文字を追うのをやめ、少し考えるような顔つきをして頷いた。
 そして、周囲の弟子たちに対して「すべての弟子は今すぐここに集まるように」と静かに言った。
 弘忍の元にすべての弟子が集った。久し振りのことであった。
 すでに皆この心偈を読んでおり、それぞれ一様に感服していた。弘忍は全員揃ったと弟子から報告を受け、おもむろに心偈の前に進んだ。
「ここに心偈が書かれておる。そなたたち全員で読んでもらいたい」
 弘忍は手にしていた払子を振るって心偈を指し示した。
「誰か誦してもらえぬか」
 弘忍の傍の弟子が立ち上がり、読み上げた。
 身是菩提樹 心如明鏡台
 時時勤払拭 莫使有塵埃
(身は是れ菩提樹、心は明鏡の台の如し。
 時々に勤めて払拭し、塵埃を有らしむること莫れ。)
「そなた、意味は分かるか」
 弘忍は誦した弟子を促したが、彼は体をこわばらせ、口籠った。弘忍は苦笑し、座らせた。
 弘忍は再び払子を上げ、心偈を差して言った。 
「心はそもそも汚れているわけではない。だが、放っておくと汚れに覆われて来る。だから、修行を絶やさず、汚れのないように勤めなければならない」
 弘忍の少し離れた位置に神秀がいた。彼は静かに師の言葉を聞いていた。
「よくできておる」弘忍が言った。そして、続けた。「この心偈を呈した者は……神秀、そなたではないか」
 弘忍は神秀の方に向かって言った。神秀は立ち上がって合掌礼拝した。
「私が呈心いたしました」
「さすがは首座である。我が弟子たちよ、皆この心偈の示す通り修行することだ。そうすれば、誰一人として三悪に堕することなく大法を修めることができる」
 弘忍は房廊に響く張りのある声で言った。
「これより日々、全員一同この心偈を誦せよ」
 そう言って弘忍はその場を去った。
 やがて弘忍の後方から心偈を誦する大音声が響いて来た。
 その夜、神秀は弘忍に呼ばれた。
 師の面会室に入り、すでに待っていた弘忍の前に座った。いつもより肘を張るように合掌礼拝した。
 一台の燭台がその皿の上に楠の葉に似た炎を浮かべていた。その炎は時折、駄々をこねるかのようによじり、止まった。
 神秀が顔を上げると、いつものように無表情の弘忍が見つめていた。
「よくできた心偈であった」
 一呼吸置いて弘忍はそう言った。神秀は恭しく頭を下げた。
「ありがたく存じます」
「よくぞ境地にまで至った。修行の賜物だと言わせてもらおう」
「はっ」
 神秀は肺中の息をすべて吐き出すように応え、額付いた。
「しかし、神秀。心偈から察するに、そなたはこの大法を継ぐ気はないようだな」
 弘忍にそう言われて神秀は安堵した。自分にその思惑のないことが曲解なく師に伝えられたようだった。
「おっしゃる通り、そのような存念はございませぬ」
 きっぱり否定した神秀の表情から、弘忍は彼の倫理意識の高さを強く感じた。
 やはり、逸材であると弘忍は改めて思った。神秀が国内のどの大寺においても大師と呼ばれ、将来国師の諡号を得たとしても不思議ではないだろうと思った。
「ないと申すか。それはなぜであろう」
「我が心偈は求法の思いのみを託したものでございます」
「改めて訊く。法を継がぬともよいと申すか」
「はっ」
 神秀は再び額付いた。弘忍は細かく震えている彼の首筋から背中にかけて見つめた。
 ジッと音を立て、燭台の楠の葉の炎が大きくよじれた。
「神秀、顔を上げよ。そして、聞け」
 弘忍は神秀の額が戻るのを待ち、そして続けた。神秀の表情は固かった。
「そなたの思いはよく分かった。伝法については我が大法の一大事である。そなたがそこまで言われるのであれば、今しばらく留保いたそう。
 しかし、そなたの心偈、私はよくできているとは言ったが、まだ満足してはおらぬ。そなたはようやく悟了への門前に到ったまでである。まだ門内に足を踏み入れてはおらぬ」
 弘忍は一呼吸置いた。
「門内に入るのだ。そのために自らの本性をもっと見つめるのだ」
 神秀は硬い表情のまま聞いた。
「神秀、ここからはそなたが気付くことだ。そして、一両日のうちに改めて私に心偈を呈せよ。その心偈にて門内に入り、自らの本性を見つめ切ったということが明らかになれば、私は衣法をお前に譲ろうではないか」
 弘忍は静かにそう言った。
「かしこまりました」
 神秀は答え、室を出た。その後ろ姿は弱々しかった。
——いまだ「とらわれ」ということが分かっておらぬ。
 彼は神秀の悟境は開かれておらず、その位置は遠いことを知った。
——もはや神秀は心偈を呈せられぬであろう。
 弘忍はそう思った。
そして、一両日が過ぎた。
 弘忍の思った通り、神秀が次なる心偈を呈することはなかった。
——大法存続の一灯は成った。
 弘忍はそう考え、慧能のことを思った。
 慧能がどういう心偈を示すのか、彼は早く知りたかった。


 十 

 ある朝、慧能は僧房よりこれまで聞いたことのない偈が誦されていることに気が付いた。ちょうどその時、米搗蔵に糠を取りに来た寺男にその偈のことについて訊いてみた。
「大師様が弟子たちに心偈を作るよう命じられたそうだよ。何でもその心偈から悟了の証を認められたら、大師様はその方を六祖にするのだと」
 その後、神秀の呈した心偈を弘忍がほめたのですべての弟子たちが誦するようになった、と続けた。
「では、神首座が六祖になるのか」
 慧能は尋ねたが、寺男は首を振った。
「いや、そうではないらしい。まだ十分ではないと神首座は大師様から言われたそうだ」
「どう十分でないのか」
「わしに分かるわけがないであろう」
 その後、寺男は心偈がある僧房の廊下に貼られていると言い、米糠の大きな袋を背にして蔵を去った。
 慧能は仕事がひと段落着いた頃、寺男から教えてもらった僧房に行った。
 廊下に入ると一人の僧が立っていた。慧能はその僧の傍に近付いた。その足元には経机が置かれ、香が焚かれていた。
 そして、その上に心偈の書かれた紙が貼られていた。
「これが、神首座の呈された心偈でございますか」
 慧能はその僧に訊いた。僧は頷き、訊いて来た者が米搗蔵の行者であることを知ると、無表情に視線をまた心偈に戻した。
 慧能は壁に貼ってある紙を見た。それには五言絶句が記されていることが彼にも見て取れた。
 しかし、いまだ文盲である彼にはそれが読めなかった。慧能はその心偈に向かって一礼した後、その僧に読んでもらうよう頼んだ。
「ふん、文盲はいろいろ大変なことだ」
 僧は嘲るように言い、すらすらと読み上げた。
「どうだ、これは大師様がほめられた素晴らしい神首座の心偈なのだぞ」
 そう言って彼は慧能を見た。
 慧能の表情が厳しくなった。
 彼は即座にこの心偈の大意を理解した。そればかりではなく、その内容の未熟さをも即座に理解した。
「行者のお前には難し過ぎるであろう。意味を知りたいか」
 僧は慧能に親切心を示そうとしたが、慧能は首を振った。米糠の匂いが漂った。
「滅相もないことです。ところで、ここに心偈を書いて貼っておけば、大師様に読んでいただけるということでしょうか」
「そうだ。大師様が『心偈を呈せよ』と申されたのだ。ちゃんと見られるはずだ」
 僧は嘲笑を浮かべて言った。
「お願いがあります」
「何だ」
「私にも呈心させていただきとうございます。しかし、私は字を知りません。どうか私の代わりに心偈を書いていただくわけにはいかないでしょうか」
 慧能はそう言った。僧は彼がふざけたことを言っていると思い、叱りつけようかと思ったが、その表情があまりにも真剣なものであったため、つい頷いてしまった。
 慧能は僧に深く一礼し、心偈を誦し始めた。
 その日の午後、房廊の壁にもう一枚の紙が貼られ、そこに次の心偈が記されていた。

 菩提本非樹 明鏡亦非台
 本来無一物 何処有塵埃

  (菩提本より樹に非ず、明鏡も亦た台に非ず。
   本来無一物、何処にか塵埃有らん。)

 米搗蔵の行者が心偈を呈したという話はすぐにすべての僧房に広がり、僧たちは興味本位でそれを見に集まった。笑い飛ばしてやろうという魂胆であったが、彼らは皆心偈を読んで首を捻った。
 この心偈の意味が皆よく分からなかったのだった。
「神首座の心偈に対抗している」
 多くの者たちはそう思ったが、どう対抗しているのか説明できなかった。
「神首座を馬鹿にしているのではないか」
 そう憤る者もいたが、これまたどう馬鹿にしているのか答えられなかった。
 結局、奇妙な心偈だということしか言い得なかった。
 神秀もこの心偈を見にやって来た。ただの行者ではない、「金剛経」の一節で悟了したとされる慧能の心偈であるということに彼は強い関心を抱いていた。
 そして、彼もまたその心偈を前にして理解に苦しんだ。
 この心偈が自分の心偈に対抗する内容であり、なおかつそれを根こそぎ否定していることは理解できた。
 しかし、そこからの理解が進まなかった。
——「本来無一物」、ここまで否定して何が得られるというのか。
 そして、師がこの心偈をどう読み取るか気になった。神秀はその場面を想像するとなぜかしら背筋が寒くなった。
 弘忍が慧能の心偈を見に来たのは、その日の夕刻近くになってからのことであった。
 寺男から「新しい心偈が貼り出されました」という報告を受け、彼はすぐそれが慧能による呈心だと想像がついた。
 弘忍は僧房へ向かった。
 そこにはもう誰もいなかったが、弘忍が見に来るということを聞きつけて弟子たちが集まり、何十人もの人だかりになった。
 弘忍は心偈を一読し、心中で大いに得心した。しかし、そのことを表情に出すことはなく、いつもと同じく凪のような無表情だった。
「これを呈した者は誰であるか」
 弘忍は集まっている弟子たちに訊いた。誰かが「米搗蔵の行者にございます」と言った。
「ほう、あの行者であるか」
 彼は意外そうに言った。
「思わぬほどの出来である。しかし、これもまた達してはおらぬようだ」
 弘忍はもう一度、その心偈に視線を送った。
——よくぞ達したものよ、慧能。
 弘忍は、腰に丸石を巻いて米搗きをする慧能の姿を思い出しながら、何食わぬ顔でその場を去った。
 弟子たちには師の評価や態度を理解することができず、ただ困惑するだけだった。


 十一

その夜、三更。
 寺域の裏には柴を集め、山菜や果実を採集するための登山道がいくつか付いていた。
 そのうちの一つである谷寄りの道を選び、そこから尾根道を登ると、ほどなく沢に降りる脇道の分岐となる。脇道を選び、下って行くと、徐々に沢の音が大きくなった。
 突然、道を塞ぐほどの巨岩に出くわした。
 その巨岩は納屋ほどもあったが、よく見ると二つの巨岩が重なり合ってできており、その重なり合ったところには人が腰を屈めて入ることのできる間隙があった。
 普段その間隙には、人を通さないように覆いが置かれていたが、今それは外されていた。
 中には人が立居できるほどの広さの空間があった。
 そこには簡単な調度品が据えられ、この空間、というより石窟が人の居場所であることを示していた。
 今、燭の火に照らされて一人の僧が坐していた。
 弘忍であった。
 この石窟は「学僧」としての弘忍の専用の修行場であると同時に、彼が内面を曝け出すことのできる山内唯一の空間であった。
 やがて、沢の流れの音から、草をかき分け、地面を踏み締める音が聞こえて来た。それは石窟前で止まった。
「大師、慧能でございます」
「入って来るがよい」
 慧能が姿を見せ、弘忍の前に座って合掌礼拝した。
 もちろん、慧能がこの石窟に入るのは初めてのことだった。
 弘忍は神妙に座している慧能を見た。
 慧能の蓬髪弊衣は薄暗く湿ったこの場所に似つかわしかった。逆に、この石窟の主である弘忍の僧衣の方があまりにも不似合いであるように感じられた。
 彼はいまだに「獦䝤」姿の慧能が、その内面に如来の本覚を現しつつあることに改めて深い感慨を覚えた。彼は言った。
「今日、新しい心偈が房廊の壁に貼られてあった。あれはそなたの心偈であろう」
「その通りでございます」
 慧能は簡潔に答えた。
「それでは、もはやそなたは行者のままというわけにはいかなくなった」
「つまり、米搗蔵での務めが終わったということでしょうか」
 弘忍は頷いた。
「そなたをここに呼んだのは心偈の意味を知るためではない。私にはすぐあの心偈の意味が分かった。合わせてそなたの悟境の成長もはっきり理解した」
 慧能はじっと弘忍を見つめていた。弘忍は続けた。
「ようやく、そなたがこの憑茂山に来た目的をかなえることができるようになった」
 弘忍は経机の上にあった完成したばかりの「金剛経註解」を手にした。
「『応無所住、而生其心』まさに住する所なくして、しかもその心を生ず。さあ、しっかり聞くがよい、慧能」
 慧能は心に熱いもの感じながら頭を下げた。
 夜を徹する師の深く長い説教が始まった。
 ひんやりとした空気が間隙から忍び込み、石窟に籠る二人の思念と情感の熱を冷やし始めた。
 説教を終え、弘忍は言葉を止めた。
 そして、「金剛経註解」を慧能に手渡した。
 弘忍は数刻もの間、熱のこもった説教を続けたせいで両頬が赤らんでいた。
「私が説くまでもなく、十分理解しておる、慧能」
 慧能は憑茂山に来るまでの苦しかった日々、「金剛経」との出会い、安道誠の善意など、様々なことを思い出して感傷的になっていた。いつの間にか目が赤らんでいた。
「私の願いがようやくかなえられました」
「もう、私の教えられるものは何もない」
 弘忍がそう言って笑顔を見せた。
「大師、私はもはや獦䝤ではないと言ってもいいのでしょうか」
 思わず慧能は訊いた。彼の目からは今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
 弘忍は厳しい表情をした。
「獦䝤であろうはずがない。それはそなた自身が初めから理解しておることであろう」そして続けた。「さあ慧能よ、そなたはいよいよ僧を目指すのだ」
 弘忍はそう言って慧能の目を見つめた。涙に濡れてはいるが、その目は入門当時と変わらぬ汚れのない瑞々しい輝きを放っていた。
「私には優秀な弟子がいる……神秀、智洗、劉主簿、恵蔵、玄約、老安、法如、智徳、義法……この内、最も優秀な者は言うまでもなく首座の神秀である」
 弘忍は慧能に代わってここに神秀がいたらどうだろうかと考えたが、やはり相応しいものではないと感じた。
「神秀は『楞伽経』への知識はずば抜けている。彼自身もこの経の理論とその難解さに心惹かれ、わが大法が依拠すべき第一の経典であり続けるべきだと考えている」
 慧能には弘忍の言うことすべてに対して何のこだわりもなく受け止めることができた。
弘忍は訊いた。
「そなたは『楞伽経』についてはどう考えるか」
 慧能は少し考え、涙の消えた顔を師に向けた。
「私は行者であり、本日ようやく僧としての入門を果たしたばかりでございます。『楞伽経』への学びもこれからのことと存じます」
 そう言って笑い、また続けた。
「しかしながら、私が思うに『楞伽経』は学識を極めたる者にこそ合致した教え。民や無学文盲の私にはそぐわぬもののように感じます」
「ならば、『金剛経』であればよいのか」
 慧能は少し考え、そして、言った。
「経は『筏』のようなものであると私は考えています。筏はその速さゆえに、此岸より彼岸に移るに最も適した乗り物であり、また、やがては捨てられるものでもあります」
 弘忍は大きく頷いて言った。
「当今、世が禅に求めているものは、一瞬のうちに悟りを得る「頓」であり、それを説く教えである。しかし、神秀にそれは理解できなかった」
「禅は本来理屈ではなく、もっと自由なものだと私は考えております。自己を拘束する身や心というものすべてを失うところから始めねばならないとも考えております」
 弘忍は再び大きく頷いた。慧能のその考えは、四祖道信から聞き、自らも強く同意した大法の真の姿に合致していた。
「慧能、そなたに命ずる」
 弘忍はもう一度慧能の目の輝きを見た。そして、言った。
「この大法を受けよ。そして天下民衆のため弘通に精進せよ」
 慧能は戸惑った。
 禅に対する考えが師と一致していることは確認できた。しかし、この東山の法門を背負うにはあまりにも荷が重過ぎるように思った。
「文字さえ知らぬ私には難しい一大事でございます」
 それを聞き、弘忍は厳しい表情で言った。
「慧能、真如は文字を知らねば得られぬものではない。そなたは文字を知らずして仏性の理を身に付けたことを忘れたか」
 しかし、慧能はまだ返答できなかった。弘忍は慧能の困惑を十分理解していた。
「六祖とはなったが、そなたはまだ六祖を名乗るわけにはいかぬ。そなたはまだ僧になっておらぬゆえ」
「では、私はどうすればよろしいのでしょうか」
「もはや大法はそなたに移った。あとはそなたが僧として独り立ちすることが必要である」
 慧能は真っ直ぐ弘忍を見つめていた。
「よいか、慧能。今夜の内にこの東山の地を離れよ。そして、向後十年間、南地に身を隠して修行を積み、その後に僧となるための具足戒を受けよ」
 慧能は弘忍の目を見つめた。師と向かい合っている今、互いに行き交う温かな心情を改めて感じた。
「承知いたしました」
 慧能はそう言って合掌し、深々と礼拝した。
 弘忍は傍に置いてあった包みを慧能の前に置いた。そして、中から青黒色の袈裟を取り出した。
「代々の先師より受け継いだ袈裟である。たった今よりこれはそなたのものだ」
 慧能はそれを受け取った。その瞬間、彼は自らの心中の奥深くに強い光が灯ったように感じた。
「慧能よ、行くのだ。お前は獦䝤ではないのだ」
 弘忍は笑みを浮かべ、静かにそう言うと、慧能は額付いた。
 そして、「金剛経註解」と袈裟の包みを抱いて立ち上がった。
「仏性の永遠の発露を目指すのだ、人として、僧として」
 慧能は振り返り、師に礼拝した。両目に涙を湛えていた。


 十二

 数日して憑茂山に二つの変化が起こった。
 一つは弘忍が説教を再開し、改めて「楞伽経」を教えることになったことである。
 弟子たちは皆不思議に思った。あれほど「金剛経」を推していた師が、なおざりにしていた「楞伽経」を再び取り上げるとは思ってもみなかったからである。
 淡々と進む師の説教に困惑の表情を浮かべる弟子たちも少なくなかった。特に前列に居並ぶ高弟たちは皆そういう表情であった。
 彼らはともかく説教が再開されたこと、しかもその内容が「楞伽経」であることに安堵を覚えたが、「金剛経」のことを忘れてしまったかのような師の姿勢に奇異なものを感じていた。
 もう一つの変化とは、一日中耳にしていた米搗きの音がいつの間にか聞こえなくなったということである。
 それに気付いた弟子たちが寺男に訊いてみると、行者の慧能が山を下りたということだった。
「尻尾を巻いて逃げ出したか」
 口性ない弟子たちがそう揶揄した。
 神秀も慧能の出奔を知って落胆したが、すぐにその出来事が師の「楞伽経」の説教再開と関係があるのではないかと考えた。
 その夕刻、神秀は弘忍に呼ばれた。
「神秀、入れ」
 弘忍はいつものように面会室ではなく、神秀を自室に入室させた。
 神秀が弘忍の自室に入るのは初めてだった。と言うより、今いる弟子たちの中でこの室に入ったのは神秀だけだった。
 初めて見る弘忍の室内はわずかな調度品だけで簡素に整えられていた。卓の上にしても、書き物は何もなく、硯箱しかなかった。
 深夜まで火を灯し、卓に向かって学び続けているということを耳にしていた神秀には、僧房の自室よりもさっぱりした室内に意外な印象を受けた。
 ただ、壁に掛かる僧の絵——おそらく、四祖道信大師であろう——だけがこの室に何らかな意志が存在することを強く感じさせていた。
 神秀は師に合掌礼拝した。
「説教を再開していただき、誠にありがたく存じます」
「何か訊きたいことがあるのではないか」
 相対して座した神秀に弘忍は微笑みながら言った。
 神秀は弘忍に呼ばれた時、再度の呈心が滞っていることへの叱責を覚悟したのだが、どうやらそういうことではなさそうだった。
「行者の慧能殿が山を下りたことを耳にしました。大師はその理由をご存じなのでしょうか」
 弘忍は無表情に頷いた。
「あの者には私から山を下りるように言ったのだ」
「それはまたなぜでございましょうか」
「もはや慧能は行者でもなければ、学僧でもない。そういう者は山にいる必要がない」
「いる必要がない……それは、学ぶことはもうないという意味でしょうか」
 弘忍は大きく頷いた。
 神秀は愕然とした。師が慧能に法を伝え、彼を六祖に指名したであろうことを神秀は理解した。
「しかし、慧能殿は山を下りる必要があるのでしょうか。学ぶ側ではなく、教える側になって残る必要があると私には思います」
「私が残ったというのが不服か」
 弘忍が苦笑しながら言うと、神秀は恐縮し、頭を下げた。
 弘忍は立ち上がり、小さな書棚より経典を取り出した。「楞伽経」だった。
「伝衣は終わった。袈裟はもはや慧能の手の中である」一呼吸置いて弘忍は続けた。「よく聞け、神秀。道信大師は祖師達磨大師以来受け継いで来た『楞伽経』を我が大法の依拠する経とし続けることに疑問を持たれ、『金剛経』の重要性を予見されておられた。そして、その予見通り、時代は『金剛経』に基づく教えを求め始めている。
 しかし、『楞伽経』の重要性を否定し、捨て去ることは私にはできぬ。何しろ我が弟子筆頭の神秀という俊秀が自らの物にしているのだからな」
 弘忍は少し口元を緩めたが、すぐにまた結び直して続けた。
「私は二つの経をそれぞれ別々の弟子に譲ることにしたのだ。大法を継ぐ灯火として、一人に『金剛経』を、もう一人に『楞伽経』を……その後は、それぞれの教えで大法を広めればよい」
 弘忍は手にしていた「楞伽経」を神秀に差し出した。それは随分と使い込まれ、古びていた。
 神秀は恭しく受け取った。
「慧能が一灯を守り、そなたはもう一灯を守る」
 神秀は理解した。
 大師の思いは一つである。慧能から見て、私は外道ではない。その逆も然り。登る道は異なれど、大悟ののち民衆を救うという道筋、頂きは同じである。
——私はこの教えで大法を守って行く。
 神秀は心を決めた。
「かしこまりました。私は『楞伽経』という船で大海を渡ります」
 神秀は合掌し、深く礼拝した。
「神秀、そなたは袈裟ではなく私と私の弟子たちを継ぐのだ。そして、そなたの教えを大いに発展させ、いつの日か慧能に袈裟を戻させるのだ」
 弘忍がそう神秀を励ました。神秀は立ち上がり、室を出た。
——経は船か。
 神秀が閉めた障子を見つめたまま弘忍は思った。

 * * *

 慧能は「金剛経註解」と袈裟の入った包みを抱いて石窟を出た。続いて、弘忍も出て来た。
 寒さが山を覆っていた。二人で沢に下りる脇道を登り返し、尾根道に出た。
 夜の闇は薄れつつあり、白々と夜明けが近付いていた。
 慧能は暁闇に慣れた目を凝らし、寺域を見やった。
 一角に米搗蔵があった。その時、米搗きに使用した丸石が脳裏に浮かんだ。その瞬間、彼は懐旧の情に包まれたが、振り払った。それはとらわれの元でしかなかった。
 尾根道を下りきると、寺男が馬の手綱を握って待っていた。馬の背には旅の荷が括り付けてあった。
 慧能は馬に跨り、頭を下げた。弘忍は言った。
「急げ、弟子たちが袈裟を奪いに来るかも知れぬ」
 それを聞いて慧能は少し狼狽し、手綱を回した。
「十年間、修行を続けよ。そして……」弘忍は言葉に詰まったが、続けた。「そなたの得たものを私と神秀に説教せよ。よいな、慧能」
 その言葉が慧能に聞こえたのかどうか分からなかったが、彼は振り返らなかった。
 馬の駆ける音が寺域に響き、やがて消えた。
 五年後、弘忍は遷化した。六十八歳だった。            (了)


  【参考文献】
角川書店「仏教の思想7 無の探求〈中国禅〉」柳田聖山・梅原猛著
大蔵出版「新国訳大蔵経 [中国撰述部]①−7 六祖壇経」齋藤智寛著
臨川書院「慧能 禅宗六祖像の形成と変容」田中良昭著
岩波書店「鈴木大拙全集 第五巻 楞伽経」鈴木大拙著
東京書籍「現代語訳大乗仏典1 金剛般若経」中村元著

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