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りーかお古代史雑記 ・(1)饒速日、徐福、富士王朝のメモ

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古代日本に何があったのか。マニアックな本を紐解きつつもアウトプットしないと整理がつかないので、逐次のメモ&解説です。 一般的な古代史研究にスッポリ抜けている「祭祀」と「エネルギー… もっと読む
りーかお総研独自の古代史探求。猛烈に更新するときはすると思われます。考察活動のサポートがてら購読い… もっと詳しく
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記事一覧

伝承の日本史18 〜 当時の中国大陸情勢、田道間守

2世紀の中国大陸は後漢皇室が堕落し、宦官政治となっていた。 民衆には道教が流行、革命集団…

伝承の日本史17 〜武内大田根つまり武内宿禰

ミマキイリヒコは都万に王宮を作り、西日本の都となって街が広がったので、北部には西都原の地…

伝承の日本史16 〜 海彦山彦の謎解き

豊玉姫(ヒミコ)が産んだ、王子と王女は「豊彦」と「豊姫」。 豊玉姫は、龍宮の乙姫に、ミマ…

伝承の日本史15 〜 ミマキイリヒコ、豊玉姫と海幸山幸の話

物部本家は筑後平野に住んでいた。 呉の襲来を恐れてのことか。(沖縄と九州攻略策が伝えられ…

伝承の日本史14 〜宇佐の豊王国

昔の日本は月の女神信仰が盛んだった。 太陰暦。月の満ち欠けで暦ができた。 太陽神を天道さま…

伝承の日本史13 〜 大田田根子、モモソ姫、豊玉姫

第9代大日日(開化)は物部氏の血を持つことから(→ あとで要チェック) 物部勢力と協調した…

伝承の日本史12 〜 尾張一族の分裂と海部氏

ヤマトの尾張勢も物部に追放され、一部は和歌山で高倉下の子孫と合流。 残りは摂津三島へ逃げた。 三島で尾張家と海家が分かれ、海家は先祖の地である丹波に去った。 崇神記に「日子坐(ひこいます)王を丹波に派遣し玖賀耳(くがみみ)之御笠を殺させた」と記され、玖賀耳は山賊とされているが、海家勢力のことだという説もあり。 玖賀とはクヌガ(国処=日本海側)の意味、御笠の「御」の字は敬語。旧大王家が匂わされている。海部系系図に笠水彦や笠津彦などの「笠」が多く見られる。 崇神記の記事の実際

伝承の日本史11 〜 伊豆、日高見国

クヌガの国(日本海沿岸)の富家同盟豪族もあり、大彦は息子と別れて北陸へ。 若狭や加賀で子…

伝承の日本史10 〜大彦と物部の宗教対立

宗教戦争 7代フトニ(孝霊)が吉備に去ったのちのヤマト磯城王朝は衰えた。磯城兵士は一部は…

伝承の日本史9 物部東征と熊野

1世紀ごろの物部王国のリーダーはイツセ。ナギサタケ王の子。 弟の三毛野と稲飯とともに、物…

伝承の日本史8  〜吉備王国の成立

大キビツ彦と若タケキビツ彦 キビ軍は神門家の領地である奥出雲、仁多郡と飯石郡を譲るよう要…

伝承の日本史7 〜第一次出雲戦争と吉備王国

ヒボコ勢が出雲領播磨を攻撃した際、出雲はヤマトのフトニ大王(記紀では孝霊天皇)に援軍を求…

伝承の日本史6 〜ヒボコの渡来

2世紀、辰韓の王子ヒボコの渡来集団が出雲の海岸に。 ヒボコと通訳は大名持と面会。移住の条…

伝承の日本史5 〜徐福の再来日、物部の郷

秦に帰国したホアカリ(徐福)はBC210年ころ、少年少女3000人と熟練工を連れて再渡来した。 肥前国北部から西海をめぐり、有明海に入り、筑後川下流の浮盃(ふばい)に上陸。 饒速日を名乗った。 丹波国でカゴヤマの父・ホアカリとして知られているため、先代旧事本紀で「天火明櫛玉饒速日」として1人の名前にしている。 徐福集団の子孫は筑後川流域に、さらに九州各地に勢力を伸ばした。 2回合わせて5000人以上の若い男女を連れてきた。BC3世紀末でその数だから、以降の人口に大きく影響し