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マイケルジャクソンに導かれたスペイン語の世界

私は、岡山県出身です。岡山県は、県北と県南に別れていて、岡山市や倉敷市がある県南が栄えています。私は、県北出身。県北の中でも田舎で、最寄り駅まで8キロというド田舎で生まれ育ちました。


私は、とても負けず嫌いな性格で、さらに勉強もきらいではなかったので、成績は良く、高校は学区外の県北一の進学校、津山高校に入りました。B'zの稲葉さんの母校です。津山市は、私の家から20キロ離れていて、当時の私からしたら、同じ県北でも津山市ですら都会でした。


郡出身の私は、津山市出身の人に比べて、田舎者という劣等感があり、さらに私は自分の外見も全く自信がありませんでした。この劣等感から高校時代は、同級生の男子とほとんど話すことができませんでした。でも、高校が全く楽しくなかったかというとそうではなく、バレーボールが大好きで部活動に明け暮れていました。


勉強は特に面白いとは思わなかったけど、教わったことが理解できないのは苦痛で、さらに負けず嫌いな性格があいまって、中間・期末試験全科目90点以上が当たり前という意識で勉強していました。


私は、小さい頃から、異常に偉大な人にならなくてはという思いが強く、どんな職業に就こうかと、我が家が購読していた読売新聞に連載されていた活躍する人の記事を欠かさず読んでいました。でも、ピンとくるものはなく、将来したいことがわからない。今振り返ると、田舎で高校と家の往復で、勉強以外はバレーボールしかしていないから、やりたいことがわからなくて当然だったと思います。


部活を引退した高校3年の8月。成績は良いものの、大学で何を勉強したいかわからない。私は文系だったのですが、理系の教科も成績がよかったので、担任の先生からは、医学部を勧められました。でも、いまいち腑に落ちない。

当時、映画インディー・ジョーンズが大好きだったので、考古学に関心を持ったけど、周囲からは、お金にならないとあまり応援されない。

どうしようかと悩んでいた頃、アメリカの音楽やMTVに詳しい同級生と仲良くなり、彼女の影響から、遅ればせながらマイケルジャクソンの存在を知りました。

マイケルジャクソンのミュージックビデオに虜になった私は、持っているお金を全てマイケルに費やし、アルバムを買ったり、英語があまりわからないのに、マイケルジャクソンのファンクラブに入りました。


そして、私の将来の夢はマイケルジャクソンのマネージャーになると決まりました。それならまず英語と思い、外国語学部を受験することにしました。


外国語学部のある大学のうち、どの大学に行こうかと考えていた時に、保育園からの幼なじみに受験先を聞いてみました。彼女は、東京外大を受けるというので、私も彼女についていこうと、東京外大英米科を受験したいと担任の先生に伝えました。先生からは、あなたの英語の偏差値では、東京外大の英米は難しいと言われました。そして、先生から次の一言が。


スペイン語はどう?同じアルファベットだし、話されている国も多いから、習っておけば、将来性はあるわよ。」


この一声が私の半生を決めてしまうとはその時は予想すらしませんでした。


先生の一言に、特に深く考えることもなく従い、スペイン語科を受験しました。


私は、英語がそこまで得意ではなく、東京外大の試験は英語のみ。入学試験では私は前期も後期も落ちました。でも、後期の補欠合格になり、入学できたんです。


津山市の人に対しても田舎者の劣等感がある私が上京して、さらに田舎者の劣等感を強くなりました。さらに、補欠で入ったこともあり、私は特にスペイン語に関心があった訳でもないのに、勉強以外で自分を誇れるものがないと思いこんでいて、大学に入っても勉強だけはがんばる日々を送ることになります。








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