見出し画像

試着しない服は驚くほど似合わない

わざとかな?
と勘繰るくらい、似合わせにこようとしない。

数年前に通販で見本のような大失敗をした。
中国系の、でもオシャレに作ってあるサイトで、とても素敵に見える洋服が並んでいて、よりによって私は厚手のアウターを買って、海外からの発送を待ち侘びて楽しみにしていたのに、届いたのは画像とは似ても似つかないペラペラのケミカルの匂いがプンプンするクソみたいな代物だった。
すぐに返品すると連絡して返金を求めたけれど結局商品は発払いで返品しなくちゃいけなかった。
あのEMSの4000円は、深く沁みた。

その時、もう二度と通販で買うまい、と決めた。
どんな洋服でも、絶対試着してから決断するのだと心に誓った。

もし通販でしか買えない素敵な商品があった場合には、購入前に返品ポリシーを調べることにした。
その商品が前述のクソみたいな代物である前提で、発払いで返品などしなくてもいいという保証があればいいけど、もしそうでなければ金をドブに捨てる買い物になる可能性が高い。
胡散臭い韓国系と中国系のサイトからは、絶対に、買わない。
発送元が日本でも、発送まで1〜3週間とか書かれている場合は、即アウト。
などなど、痛い経験からいろいろ学び、自分のルールを確固たるものにした結果、よかった、それ以降一度も失敗しなくなった。

実際には、店頭で試着する、というのは、非常に面倒である。
まず、わざわざその店に行かないといけない。
平日の夜にそんな足取り軽く買い物に行くエナジーは残っていない。
とは言え、週末なんて昼間から試着室に行列ができている有り様だ。
それでいて、長い時間待って、やっと試着できたと思ったら、信じられないくらい似合わなかったりするので、2倍びっくりする。

購入を決めるのは、こんまりじゃないけど、でもやっぱり、ときめくか、ときめかないか、だ。
試着室で感じたちょっとの違和感は、帰宅後からむくむく膨れ上がり、翌日には後悔に変化する。
このブランドだから、とか、人気だから、とか、全く関係ない。

値段ではない。
心躍るか、躍らないか、だけなのである。

たくさん試着して買わなかった服から学ぶことも多々ある。
襟があるシャツやタートルネックが死ぬほど似合わないこと。
色物は笑っちゃうくらいしっくりこないこと。
太めのパンツはダメ。
手入れに毎度ケアが必要なデリケートなものはやってらんない。
誰かの素敵なお洋服のスパンコールがちょっと剥がれているのを見ると悲しくなるもんね。

想像力も鍛えられた。
かわいいけど、これどこに着ていく?
誰と、どういうシチュエーションでこれ着る?
てか、そんな予定、ある?

基本的に、服屋で買う服は、通販で買う服よりも愛せる。
一度袖や足を通して、私なりの洗礼を受けた精鋭部隊なのだから。
通販でしか買えなくて、そうして手に入れた服は、その洗礼を受けていない分、中途入社みたいな、ちょっと居心地の悪そうな、そんな佇まいだ。

最近気付いたのは、至極当然なことなのだけど、捨てる勇気。
洋服は生まれて死んでを繰り返し続けている。
悲しいけれど、数年前に心の底からときめいて、今も大切にしている洋服が、実は今やもうどこにも着て行けないレガシーになったりしている。
いちいち購入理由を思い出して、でもやっぱり大事だから、などと言っても、結果的には箪笥の肥やしでしかない。
なので積極的に捨てたり売るようになった。
良い服は良い値段で売れるし、良くない服は売れない。
そんなことを繰り返すうちに、もういよいよ良くない服を買わなくなった。
良い服さえ買っていれば、永遠に幸せなのである。
手間暇や金がかかっても、愛おしく思える服。
目指すは一切の妥協を許さない、精鋭揃いのクローゼット。
ほぼそれが完成した今、毎朝洋服を選ぶのが幸せになった。

そうして私は懲りずに買い物に出るのだ。
たとえ半分以上の日を手ぶらで帰宅しようとも、運命の出会いを探し続けてる。
戦士みたいだ、と思う。

いただいたサポートは、ジャックになり、私の血肉になります。