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MY STORY2 病気の本当の意味を知る

自分の毎日を整える

病気をして思うようにならない現状に絶望し、闇の中をもがいていた頃、はじめて受けたアロマトリートメントがきっかけで、私の毎日に変化が起こりました。

セラピストさんの心のこもったあたたかいトリートメントによって、

「あ~私って大切なんだな」

って、理屈抜きに自分を大切に感じたことで、

「自分のために、もう一度自分を立てなおそう!絶対に自分を諦めない!!」 

とようやく覚悟することができたのです。


まずは自分の心と身体が心地よいことを日常の中に取り入れてみよう!と考え、日々の生活をひとつずつ見直すようになったのです。

ついつい忘れてしまう「自分を大切に愛する」という感覚をもって。

女性の健康に関する本を読みまくったり、ヒントを得られそうな講座に参加したり、主治医や漢方医、鍼灸師、カウンセラーなどの専門家に相談したり、今できることをやってみたのです。


トライ&エラー!


その中で、「食事を整える」ということから始めてみました。

体調や体質、季節などを考慮して食事をする「マクロビオティック」という食事療法に興味を持ち、マクロビスクールの老舗のようなスクールで夢中になって学び、食事と向き合いました。

とても恥ずかしいのですが、食事は空腹を満たし、ストレスを発散するために摂っていたようなもだったので、ジャンクフードやコンビニのお弁当、スナック菓子が日常。

丁寧に感謝して食事をすることがなかったのです。

食事を整えていくと、「今日はなんとなく疲れにくいなぁ」「なんとなく動悸が少ないなぁ」、こんな変化が。

最先端の治療を受けても変わらなかった身体が、食事によって変化したとき、ものすごくうれしかった!!

丁寧に作った食事を感謝していただく、それだけで、全身にあたたかい血液が巡る感覚が生まれたり、自分を大切に感じたり、自然と笑えていたり。

食事を大切にするって、自分自身の命を大切にするということだと理解したのです。

当時読んだ本にあった「私たちの身体は食べたものからできている」という言葉を、身をもって感じた瞬間でした。


よし!!私は大丈夫!!

少しずつではありましたが、自分と繋がる感覚を取り戻すことができるように。


食事の次は、睡眠を見直しました。

まずは寝る時間を決める、ということから始め、寝ることを最優先事項に。

忙しいと言いつつ、無駄な時間があるはず。
だらだらネットサーフィンをしたり、目的なくテレビをみたり。

無駄な時間を意識して減らし、心地よい睡眠を得るためにできることを実践していったのです。

そうすると、「今日は笑顔で仕事をやりきれた!」「生理前に増える動悸が今期は落ち着いていた」こんな変化が。

睡眠を大切にしない、というのは、自分の命を削るようなものなんだなと実感したのです。


食事、睡眠を見直し、さらには、地元にあったサーキットトレーニングができるジムに入り、軽い運動によって、気持ちのよい汗をかくことを意識しました。

元サッカー部としては、ちょっと意地になるようなところもあり、運動部魂によって夢中になって身体を動かすことをやっていったのです。

運動をすることで、心と身体に溜まった不要なものが出ていく感覚があって、運動後はすっきり爽快!!


ずっと、過去ばかりをみて、自分自身を否定し、ネガティブなことばかりを考えていた私が、いつしか、ワクワクする未来を創造していることに気づいたのです。

心地よい運動は、何より気持ちを元気にしてくれた!


そして、最先端の医療を繰り返し受けても変わらなかった自分の身体が、生活を整えていくことで、少しずつ少しずつ変わっていき、その変化の中で、大切なことに気がついたのです。

それは、これまで「病気になった意味」というものに、ずーーーっと向き合ってこなかったということ。

症状という病気の表面だけを見て、病気の根本を見てこなかったのです。

そして、ようやく病気になった本当の意味を理解することができたのです。



なぜ病気になったのか・・・

病気の原因は、長いこと自分の心と身体の悲鳴を無視した、めちゃくちゃな生活習慣にあった、

そして、その根本には、

「どうせ私なんか・・・」
「私には大した価値がない」

こんな自分自身の見方があるのだと気づいたのです。


慌ただしくストレスフルな毎日に呑み込まれ、心の余裕を失い、いつの間にか、自分との繋がりを忘れ、自分を大切に感じる心を失い、自分を雑に扱い、自分の毎日を投げやりに生きてきたのだ。

長いこと、自分を大切にできなかった・・・


病気は、きっと
「あなたはとっても大切なんだよ」
そう伝えたかったのだ。

病気の本当の意味を理解した時、涙が止まりませんでした。

病気は、もしかしたら
自分らしく生きるチャンスなのかもしれない・・・



自分を見失った看護師としての私

私が看護師を志したのは、中学生の頃。

人の「生」「死」を支える看護師の仕事を純粋にかっこいいって感じたからでした。

それは、母親が看護師としてイキイキと働いていたことや、入院したときに看護師さんの存在にものすごく救われた経験があるから。

女性が自立して働くことにも、ものすごく憧れがあったのです。


4年間、看護師になるために必死に学び、東京都内の総合病院に就職が決まりました。

外科病棟に配属され、いつかは救命でバリバリ働いて、その道のスペシャリストになりたい! そんなあつい目標をもっていました。

しかし、現実は想像以上に過酷なものだったのです。

不規則な勤務体制、超過勤務が当たり前の長時間労働、慢性的な人手不足、そしてひとつひとつの判断が患者さんの尊い命に直結するという強い緊張感。

いつもいつも時間に追われ、プレッシャーに押しつぶされそうでした。

「どれだけ気をつけても、いつか大きな事故を起こすんじゃないか・・・」
こんな不安が一番苦しかった。

いつしか余裕のない毎日に、看護師としての夢や希望を見失い、苦しくなっている自分がいたのです。

もちろん楽しいこと、うれしいこと、感動することもたくさんあった。
でも苦しかったのです。

「どうか無事に一日が終わりますように」

病院に向かう早朝の静かな電車の中で、いつも祈っていました。


20代だった当時、病院には行くほどではない小さな不調がたくさんありました。

慢性的な全身のだるさ、ひどいむくみ、月経トラブル、気持ちの不安定さ、肌あれや激しい抜け毛、疲れているのに眠れない・・・

次第に不調が慢性化すると、不調があっても当たり前になり、次第に“身体がおかしい”といった感覚はマヒ状態に。

同じ環境下にある同僚も、いろんな不調を口にしていました。

でも、このままではまずい!といった危機感はなかったし、看護学生の頃も、働いていた病院でも、自らの健康を守るというような教育は受けてこなかったので、誰も不調を抱えているということを、問題としてとらえていなかったのです。


妊婦さんが大きなお腹で夜勤をこなすこと

慢性的な人手不足から体調が悪くても休めないこと

投薬しながらギリギリの状態で働くこと

弱音を吐いたら居場所がなくなる空気

病院という小さな箱の中の常識に怒りを感じていましたが、何もできなかったのです。


辛いのはみんな同じ。

目の前に溢れているたくさんのことを、やらない選択肢はない。

弱音を吐いたら、私の居場所も価値もなくなってしまう。
だから頑張るしかない!!


看護師だから仕方ない
私だから仕方ない


不思議なことに、当時はどれだけしんどくても、職場へ行くと強制的に仕事モードへと切り替えることができたので、仕事自体には支障はなかったのです。

スイッチを切り替えなければ、人の命に関わってしまうから。

自分で言うのもおこがましのですが、上司からは評価されたし、一緒に働く仲間からは頼りにしてもらえていたんじゃないかなと感じます。

きっと、看護師としての夢や希望は見失ってはいたけど、看護師としての使命感みたいなものから、目の前の患者さんに笑顔になっていただくことを、心から望んでいたからではないかなと思うのです。


でも仕事をやり切って、看護師ではない自分に戻った瞬間、心と身体は自分ではコントロールできない状態に。日々の強いストレスを打ち消すために、欲望にまかせたひどい生活をおくっていたのです。


私は当時、「病院は看護師の健康を何も考えていない」と心の中で怒っていたのですが、体調が整う中で感じたのは、自分が怒っていた相手というのは、「病院」ではなくて、「自分を大切にできない自分自身」だったのではないか、ということ。

「看護師だから仕方ない」「どうせ私なんか」って、現状を簡単に諦めて、それを誰かのせいにして、ひどい生活を選んだのは、誰でもない私自身だったのです。

自分の人生なのに・・・


自分と向き合いたくさんの気づきを得る中で、次第に、

かつての自分と同じような、様々な不調を抱えていてもどうしたらいのかわからずもがいている女性の力になりたい!

こんな気持ちが込み上げてきたのです。


病気や不調は、ネガティブなことなんじゃない!

自分らしく生きるチャンスなんだ!!


★つづきはこちら

https://note.com/kaori_takahashi/n/nc4cc2f8c1f73

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