見出し画像

デートとは「幹事ひとり・参加者ひとりのオフ会」である

2021年12月21日のツイートまとめ。「婚活/マチアプ初顔合わせデートでの『どうしても男が女に奢らなくてはならんのか』問題や『誘っておいてノープランってどういうこと』問題」がタイムラインを席巻していた頃の話。つらつら眺めているうちにふと「そうか、『デート』って『幹事がひとり・参加者がひとりのオフ会』か」と思った話。そして「そもそも『飲食店でのデート』って『自宅でのお茶やお食事へ招き招かれすること』の代わりだったんだな。だから『ホスト(お招きする側・茶道でいう亭主)』と『ゲスト(お招きされる側)』があるものなんだよな」という理解に至ったという話。以下、当時のツリー。

「会おうと誘ってくるのにデートプランを相手に丸投げノープラン問題」、当番も(友人とのお出かけで)経験あるなあと思い出した。お互いに遠慮があったりすると、たとえ事前に「どうする?」「どこいく?」と相談タイムがあったとしても双方が自分の意見を言えなくてノープランになったりする。

デートプランをどうするかって、「誰がリードするか」「誰が奢るか」問題に話が転がると超面倒になるのだけれど。当番、去年いきなり覚醒して「あ、デートって幹事(ホスト/ホステス)がひとり・参加者(ゲスト)がひとりのおもてなしか!」と気付いたらとてもすっきりした。きっかけはジェイン・オースティンの『高慢と偏見』。

まさか『高慢と偏見』でデートプランについて覚醒するとは自分でも予想外だった。や、たまたま『高慢と偏見』を真面目に読んだことがないので読むことにして、その後いくつか似たような舞台似たような時代を描いた作品を読んで、をやっていたんだが。

『高慢と偏見』くらいの時代(18世紀末から19世紀初頭)の小金持ち~中・大金持ちの社交や男女交際って、よほど都市部でない限り「自宅に呼んだり呼ばれたり」なのよね。「ホテル」や「喫茶店」や「レストラン」がないから。そして「自宅に呼んだり呼ばれたり」だと「招待主(ホスト)」と「賓客(ゲスト)」の関係になる。

自宅に呼んだ側は、自宅でお茶も出せば食事も振舞うから「人を招いたのに何も準備しない。客が来たら相手に何がいいか聞こう」ってことは基本的にないのね。予定外の客が予定のない日にアポなしで来たなら別だけど。

街に飲食店が沢山できるまで、「人と会う」はだいたい「家にお呼ばれする/される」だったし、お呼びできないような家だったりする人が外で誰かと会おうとしたら村の宿屋の食堂とかを「自分ちの客間」代わりとして使ってた。で、当番は「ああ外の店でやる飲み会やデートは自宅に招く代わりなのか」と。

「飲み会やパーティーの幹事」は「自宅を会場にする代わりに外で『人を招いて会を主催し司会する主(ホスト/ホステス)』」だし、「幹事(主催者・司会・招待主)」が客を呼んでおいて何も計画しない、何も用意しないのは「ない」よな、と当番思ったわけ。「客の希望はある程度聞く」にしたって、の話。

で、一対一の会合(友人とのお出かけだろうがデートだろうが)でも、そこに「誘った人と誘われた人」「お出かけを提案した人とされた人」がいるのなら、それは「ホストひとりゲストひとりの最小人数のお呼ばれ」であるな、と整理をつけたら個人的にすっきりしたんだ。誘った側がホスト、来た側がゲスト。

それでね、友人とのお出かけでもおデートでも「幹事(誘って大枠のプランニングをしてお店の予約ほかの采配をする人)は回り持ち」の方がいいと当番思うよ。友人同士のお出かけでも「他人に全部投げて自分はついていく気だけの人(幹事のチョイスに文句だけは言う)」って厄介だもの(そんな友人いた)。

おデートのホストとゲスト、毎回交代すればいいんじゃないかな。職場の飲み会でさえ、幹事は回り持ち。況やおデートにおいてをや。

「めんどくせー!何で『何日遊ぼうぜ!何時に公園な!』で何も決めてないけど集まって自由に遊ぶみたいにできないんだ?」と思うかもしれないが、そういうノープラン集まりができるのってよっぽど仲がよくて気心知れてる間柄だけだし、誘う相手が「まだそういう仲ではない」ならそれはできないわけで。

中島でさえ「磯野ー、野球しようぜ!」程度のプランは提案するし、最低限野球をする場所のアテくらいは持ってカツオを誘いに来るわけであるよ。

【関連記事】

とは言え、デートに誘っておいて相手へ試し行為をぶちかますのはやめようねって話


お気が向いたらサポートをお願いします!サポートは当番の紅茶代となり、ひいては明日への活力となります