下北沢1967-2020
生まれてからの3年近く、下北沢に住んでいた。
原風景は、祖母に背負われて見ていた、土手の上の電車。井の頭線だった。
金子葬儀店のあたりにあった空き地のような場所で遊んでいた。クリーニング屋の姉・弟と、今思えば知的障害のあったよっちゃんと、何をしていたかはあまり覚えていないけれど、よく一緒にいた。近所のラーメン屋さんは、なぜかよく餃子をくれた、1個とか2個とか。握りしめて、家に帰って焼いてもらったりしていた。
3歳になるころに、武蔵小金井に引っ越したが、その後、私立の中学校に通うため、下北沢駅は乗り換え駅となり、やがて再び私の遊び場になった。あれからもう40年も、下北沢は私の遊び場。
昨日の仕事帰り、下北沢に寄った。駅も、駅周辺も、立ち寄るたびに姿を変えている。だからいまさら驚かない、つもりだった。
だけど、やっぱり驚いた。
ピーコック側から、オオゼキが見える。ほんの1~2分で、かつての「駅向こう」から移動ができる、しかも階段を上ったり下りたりもしない。見渡せる、それだけでなんだかびっくりする。
一番街のできるだけコキタナイ店で、日本酒が飲みたかった。懐かしの「陣太鼓(づんでこ)」に入ろうとしたけど、そこそこ混んでいたのでやめた。いくつか、知っている店の健在と、なくなった店を確認したあと、赤ちょうちんが下がっている店に入った。入ってみたら、意外とコギレイだった。おいしかったし、居心地もよかったのだけど、入り口のイメージよりもずっとコギレイだったことが少し期待外れだった。勝手なことを思う。
駅に戻って、井の頭線のホームに上るエスカレーターに乗る。そしたら、まったく知らない空間が出現して、また驚いてしまった。
未来にいる
そう思った。私が中学・高校時代に、千何百回も通った場所。絶対に外が見えなかった位置から、外が見える。なんにもなかった、井の頭線のホームの上にたくさんの綺麗な店がある。なにこれ…。知らなかったよ、こんな未来都市になるなんて。
お父さん(急にお父さん出す)、あなたが勤めていた会社の、ちっぽけな社宅があったこの街は、こんなになっちゃったよ。びっくりだね。
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