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SDGsの和名を考えよう。 ある事象が「あたりまえ」になるには、ピッとわかりやすい名前が必要だ。

来年出版予定のムック本の取材に行ってきた。比較的、わかっているつもりジャンルのお話なので、確認も兼ねて伺いに…という感じだったのだけど、今日もまた、「そうか~、そうだったのか~」と新たな発見をもらってきた。

これだから、取材仕事は楽しいよ。

取材が終わったあと、取材先を出て、編集長と二人で遅いランチと打ち合わせのためにカフェに入る。最近できたらしい、カジュアルでオーガニックな雰囲気のカフェは、店内は黒っぽく塗られた柱、濃いめの色のフロア、ナチュラルな調度品、甘さよりもほろ苦さが勝っているインテリア。ゆったりめに配されたテーブルもいい距離感。

しばし、ムックの今後の作業スケジュールの打ち合わせをしたあと、ご飯を食べながら話していたのは、SDGsの話題。編集長は私よりも若い女性で、このテーマに非常に関心が高い。そういうと、なんだか「意識高い系」に聞こえるけれど、もっと肩の力が抜けていて、「だってこれから必要なことだと思うんですよ」と言う。

この秋、SDGs関連の冊子を編集していたそうで、「すごく楽しかった!おもしろかったー。だから読んでほしいの!」と。でもその一方で
「社内に理解者が少なくてがっかりした」
とも言っていた。とくに、おじさんたち。おじさん、と言っても、私よりも年下の男性たち。

なんでも、SDGsに関連した事、たとえばゴミの分別といった話題でも、引かれてしまうのだそうだ。なんでだろうね。
そうかと思うと、ものすごく難しい話の展開で、ゴリゴリSDGsについて「語る」人たちもいる。

もっと、生活についての考え方とか、行動なのにね。と話す私たち。
たとえば今日着ているセーターは、父の遺品だったり。
おうちではお肉は食べなくなった、そしたらまな板が汚れなくなったので、使い心地のいい木のまな板を、そんなに手入れに苦労せずに使えるようになった。
化学薬品系じゃない洗剤は、使いやすくてちゃんときれいになる。
ごみを分別する姿を大人がやって見せたら、次世代の子どもはふつうのことと思ってまねをして、当然のことになる。
大量生産と大量消費をやめても、回していく経済の考え方はある。そんなこと。


価値観の転換期のまっただなかにいる私たち。
新しい価値観には名前が必要で、エスディジーズというカタカナ語じゃなくて、もっと卑近でわかりやすい、なじめる言葉がほんとは必要。

「もったいない」はとてもいい言葉だけれど、どこか「けち」とか「がまん」という言葉と親和性が高い。
もっと楽しくて、面白くて、軽やかで、親し気なお名前が必要だなぁ。
考えて考えて、考えていくと名前は生まれる。

SDGsの和名、考えよう!


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