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新しいカニを飼う話⑧白髪を染めるのをやめたときに古い価値観は捨てたはずだった

入院の1カ月前に髪を切った。
忙しくて切りに行けなかったのでだいぶ伸びていたのを、バッサリとショートカットにした。
友だちから紹介してもらった美容師さんは、腕もいいし、穏やかな話し方も好きなんだ。かれこれ2年くらい通っている。
私が髪を染めるのをやめて、素髪にしていく様子も見守ってくれた人だ。そうだ、この「素髪(すがみ)」という言い方も、彼女が言ったことばだった。グレイへアでもない、シルバーでもプラチナでもない。私にしかない色だから素髪というのがしっくりくる。
カニの話をして、入院することを伝えたら、シャンプーとコンディショナーの試供品セットをくれた。
彼女は、ひとのことをいたわりつつ過度には心配しすぎない人だ。それがわかっているから、話したんだと思う。

髪を切ったのは、入院中しばらく髪を洗えない期間があるからでもあった。もちろん、暑くてさっぱりしたかったということもある。
素髪にし始めたときに、白髪でショートヘアって、特に私のようなガタイのいい人の場合はなんだか強い女のイメージになりすぎる気がして、避けていた。
でも…、なんだろうなぁ、私は私だし、イメージがどうであろうと、自分が居心地悪くなければ、いいか、と思うようになった。

髪を染めるのをやめたきっかけは、最初はコロナだった。ほんとは2020年の夏にも、素髪にしかけたときがあった。
デルタ株が流行っていたとき、美容院にも行きづらくてだんだん白髪が増えたのだ。だから、意図的にではなく仕方なくだった。
鏡を見るたびに、無意識にため息をついていたようだ。ある日、夢の中で髪を染め直した自分の姿を見てホッとして目が覚めた。そのときに「ダメだ、ストレスになっている」と気づいて、自分でヘナで染めることにしたのだった。

翌年の2021年の夏、仕事が忙しかったこともあり(なぜか毎年夏はとても忙しい、ありがたいことに)、白髪がずいぶん伸びてきた。
前の年よりも、白い部分がずっと多いことにも気づいた。白髪はまとまって生えている部分がある。なんだかメッシュを入れたみたいだ。
若い人たちの間で、白髪のようなグレイに染めるのが流行っていたこともあった。それはかっこよかった。
中高年の白髪とは何が違うのかも研究してみた。
艶だな、とわかったので、手入れはよくするようにした。そしたら、案外いい感じに伸ばすことができた。

白髪を育てる間に、ずいぶん自問自答したのだ。
女性らしい見た目とはなんなのか。
いっそ性別も関係なく、見た目とは何だろうか、と。
ちょうど、ダイアログ・イン・ザ・ダークの広報の仕事も始めたころでもあったので、ますます。
自分らしくありさえすればいいんだな。古い価値観は捨てて行けばいいとも思うようになった。

髪に関しては、そんな風に自分自身で納得して、積極的に素髪にしたのだ。
でも…、乳房はどうだろうか。
その答えはまだない。
部分切除の予定だし、ドクターからもそう大きく形が変わることはないとは言われている。     けれど。
たいして大きくも小さくもなく、年相応に重力にも逆らわない形。
変わるのかもしれないと思ったら、初めて、悲しくなった。
命は大丈夫だろう。治療も過酷なものではない、とわかったあとに、姿かたちのことを気にするのだな、とわかった。
ここでもまた、古い価値観を捨てれば大丈夫なのだろうか。
いや…少し違う。プライベートパーツなのだから。特別なパーツだから。いや、違う。私の体だからだ。髪も体の一部だけど、切ってもまた伸びてくるし、染めることもできる。ああ、ぐるぐるする。

こればかりは、術後にならないと、自分の気持ちの動き方はわからない。どうしようもないことなので、今は考えないことにする。

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