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傷つくかどうか自分で決める

私は傷つきやすいほうだと思う。少しのことで大袈裟に悲しんでしまう。

周りからは、楽しそう、おもしろい、適当、悩みがなさそう、ポジティブ、タフ、強いと思われることがある。適当というのは褒め言葉かどうかわからないが、他は褒め言葉だと理解している。

しかし、実際は少しキツイことを言われるとしゅんとなってしまうし、人に攻撃されると一瞬で傷ついてしまう。

海外生活で得た社交性

海外生活では、いろんな人に出会う。初対面の人と交流する機会も多かったので、大抵の場合、どんな人とでも会話するのが平気になった。

人はみんな同じ、どんなにすごい肩書きでも、怖そうな人でも、話してみればみんな同じ人間。

こう思えるようになった。

こういう経験を何度もすると、次第に

人間っていいな~。きれいな心を持っている人は多いな~。人のことを悪くいう人なんていないんじゃないか。

と思えてきた。

周りのおかげ

私が人間って素晴らしいと思えたのは、周りにいた素晴らしい人々のおかげだった。

気持ちのいいやり取りができる人が多かった。

そのため、グサッとくる言葉を受け取ると対処方法がわからない。一瞬、頭の中で言葉が理解できなくフリーズすることもある。笑

もちろん注意されたり叱られたり、そういう経験はある。ただ悪意ある言葉や嫌味、攻撃的な言葉に対してどうしたらいいかわからなかったということだ。こういった言葉に免疫がついていなかった。

これは今までどれだけ人に恵まれていたかを知るきっかけにもなった。

傷つく

最近、今まで経験したことのないタイプの人と出会った。この人との会話では、思いがけないタイミングで思いがけない攻撃的な言葉を受け取ったり、自分の言葉が全く真逆の意図に捉えられて攻撃的なかたちで帰ってきたりする。例えば、「今回これはこういう理由でしなくてもいいと思います。」と言えば、「しろ」と命令されていると捉え、はっきり言えと文句を言ってくる。

夫に相談すると、大したことない。放っておいたら?と言う。確かに今思うと変な人だで済ませられるかもしれない。そのときの私は傷ついてしまった。

それ以降、その人と会話をするのが怖くなった。その人と話すとき、また攻撃されたらどうしようと不安がよぎり、心臓の鼓動が速くなることもあった。

傷つくかどうかは自分が決める

一体これはどうしたものか、、、。こんな風に自分の心が乱されるなんて時間の無駄だ。どうにか克服しなきゃ、、、と思った。そんなある日、言葉を見つけた。

傷つくかどうかは自分で選択できる

という言葉だった。

なるほど。

傷つくような言葉を受け取った時、それを一旦心の前で止める。この言葉は傷つく価値があるのか、ないのか。考える。ないと判断した場合ポーンと跳ね返す。こういうイメージが頭に浮かんだ。

恋愛でフラれたときはとことん落ち込んで、傷ついて、開き直るという選択を自分でしてもいいかもしれない。しかし、悪意のある攻撃的な言葉に傷つく価値なんてない

相手も相手で必死。自分を守りたいから出た言葉だろう。でもだからといって人を傷付けてはいけない。

でもどこにでも人間関係のトラブルはある。人を変えることは難しい。だからこそ、自分で自分の心を守りコントロールしていこうと思った。

もちろん自分の言動を振り返ることは大切

自分の言動が人に誤解を与えたりしていないか、人に不快な思いをさせていないか、もちろん振り返る。

しかし、考えてもどうしようもない場合もある。

極端な例を言えば、「今日はいい天気ですね。」と言ったとしよう。

声をかけた相手が「どうして私に天気の話なんかするんですか?私のことそんなに暇人だと思ってるんですか?」とびっくり仰天する返しをしてくることがある。

これは極端な例だが、実際これに近しいことがあった。つまり、あなたに非がないことだってある。

それであれば尚更自分の貴重な時間をこんなことに悩まされるのはもったいない。



と、頭では理解している今日この頃😂まだまだ修行が足りません!




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