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冬のブエノスアイレスの暖かい午後に

日曜日のブエノスアイレスの午前中ほど、本当に落ち着く時間というものはなくて、常に喧騒という言葉の意味をしみじみ感じさせられる様なセントロに住んでいる私は、バスの音一つしない静かな路地を歩いて人のまだいないカフェに行くのは本当に幸せなのです。

ここ数日、この街は春が近づいているような陽の光の暖かさがあるけれど、日本は梅雨明け、夏本番!みたいだね。
夏と冬ほど、自分が地球の反対側にいることを実感する時はないです。

この街の街路樹はとっても大きくて、プラタナスというと思うんだけど、白い木肌にグレーや優しい茶色の表皮が可愛いシミのようにくっついているそれは、今、二階にいる私の目線より更に高く伸びていて、日曜日の午後の陽射しを更に美しいものにしています。

その木についた、これまた可愛らしいとげとげの丸い実が地面に落ちると、パカっと割れて綿帽子の種たちがふわっと広がるのを先日目にしました。
ふうちゃんが見たら、喜んでくれる気がするよ。

最近、色んなコトで一喜一憂する感情のふり幅を小さくしても尚、幸せを感じる術を覚えてきたかも。
色んなコトは、どんなに夢見ていたコトでも、憧れていたコトでも日常になると当たり前になるんだな、なんてコトを考えつつ。

例えばね、この前ミロンガに行った時、フランスから”バケーション” で来ている(しかも二カ月!さすがよねw)という人と踊ったんだけど、生演奏に目をキラキラさせて「このためにこの街に来たんだよ!」って。

それとかブラジル人と踊った時は「すごいよね!ブエノスアイレスのミロンガに来れば世界中の人と知り合えるんだもん!!」とか。

考えてみれば、私も初めてこの街に来た頃は大興奮していたなあ、って。
違う国の人に会って話すのが大好きだったし、バンドネオンの音が聴こえるだけで大感動していたけど、それは今は普通のコトになっちゃった。

だからきっと、今夢見ているコトもいつか "当たり前のコト" になるんだろうから、あまり大きく期待したり、大げさに落ち込んだりせずに、今やるべきことをこなしながらその日を待てばいいんだろうなって。

なんていうんだろう、昔思ってた「刺激のない人生なんて退屈すぎる!」っていう感じから、刺激を求めて一喜一憂するよりは、「どのみち、自分の願った道にいくんだから大丈夫」って思えるようになった感じかな。

でもそれも、「自分の好きなコト」に集中する生き方を選んできたから、そう思えるようになったのかな。
夢を叶えて来た日々が自信をくれてるのかもしれないけど。

希望しか見えないようなふうちゃんの輝きを、あなたがどんなまなざしで眺めているんだろう、と想像してしまいました。
また話そうね!

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