Kaori Orita

アルゼンチンタンゴの歌のお勉強をすべく、ブエノスアイレスで修行中。 「本当の豊かさとは…

Kaori Orita

アルゼンチンタンゴの歌のお勉強をすべく、ブエノスアイレスで修行中。 「本当の豊かさとは何か?」 異文化交流、文化芸術にその答えを求めて生きてます。 「人生は一度きりだから、好きなコトをしなさい。」

マガジン

  • わたしたちの往復書簡

    • 29本

    ブエノスアイレスに住むKaoriと福岡に住むMikaによる私的往復書簡。生きるとは、愛とは、自分とは...。答えのない人生に、問いを持ち続ける強さを持とう。

  • 想い出を喰って生きる

    たくさんの恋の想い出達を、世界の色んな国の風景に解け合わせながらお届けします♪

  • イケイケ・キラキラ男子達がアルゼンチンへやってきた!

最近の記事

「本当の豊かさ」とは何か。ブエノスアイレス→北海道・富良野で考えた

私は今、まさに「北の国から」の舞台、富良野にいる。 日本の南端、鹿児島と宮崎で生まれ育った私にとって、この北の大地はまるで外国だ。 今、目の前には雄大な十勝連峰と、奥には大雪山が雄大に広がり、真夏の日差しとはいえ、北海道らしい冷やりとした風が、大きな青空の下、どこまでも広がる大地を自転車で進む私の背中を押してくる。 ブエノスアイレスでヘトヘトに擦り切れて、長年の夢だった「応援してくれた皆に日本で Tango を歌う」というコトを叶えるべく帰国したのが春。 一時帰国の予

    • アンデスの峰で未だ影を落とす征服の歴史と、現代社会、国、人について考えた

      標高4000m超えの「雲上の列車」を楽しみにアルゼンチン北西部の街 Salta からアンデス山脈を登っていく道中、現地の若くてキレイなガイドさんが語ってくれた現地の数々の歴史と現状は、本当に驚くべきものだった。 Salta からバスで19時間の首都ブエノスアイレスに住む私にとって、アルゼンチン北部の州というのは全く別世界で違う国に思えていたくらい。 どこまでも延々と続く霧深い渓谷を登っていくと、ふいに見慣れた緑の中に山程のサボテンが山肌を覆う。 更に標高3000mを超え

      • 8年アルゼンチンに暮らして想うこの国とタンゴと日本

        この地球の反対側という、遠く遠く離れた地で日本を恋しく想うことはなんですか?と聞かれたら、その全てが詰まっているのがお正月(年末年始)な気がする。 日本の静寂さ、精神性、自然と生きる姿。 大晦日は、大掃除を必ず終えて迎えるもの(“お正月を迎える”ではなくて!)。一年の埃を払った状態、つまり全てを清らかにした状態で「一年」というものを敬意をもって送り出し「新年」を迎えるなんて、目に見えないものを大切に、清く正しく美しい姿で生きていきたいという気持ちの表れの最たるものではないだ

        • 虚栄心と適正な自尊心と自己肯定感とプライドと。SNSの罠とアーティスト

          誰もがSNSで “アーティスト的な” コトができる昨今。 誰もがアーティストでもあると思うと同時に、適正な自尊心と自己肯定感がないと、虚栄心や自信のなさに潰されてしまうという罠。 ブエノスアイレスの人達は植物が大好き。 街を歩けば数ブロック毎にお花屋さんのスタンドが立っているし、通りで目を上げると、バルコニーから沢山の植物が顔をのぞかせている。 日本みたいにキレイにまとめるという発想の人は少なく、雑然と自然の美しさを楽しんでいる感じ。 本当にお金がなかった、Tang

        「本当の豊かさ」とは何か。ブエノスアイレス→北海道・富良野で考えた

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        記事

          芸能人が自○する理由が少し分かった話。アルゼンチン・エンタメ業界体験記

          日本で誰もが知るような大物俳優達を生み出した老舗劇団で働いていたコトがある。 そしてアルゼンチンのテレビ業界にちょっと足を突っ込んで痛い目にあった(笑)。 長年、現場でマネージャーをやっていた上司が「売れる子ってのはね、才能でパッ!と抜きん出てて分かるのは勿論なんだけど、とにかく体力と根性だよ」と言ってたのと、「芸能人なんて所詮、人寄せパンダなんだよ」(この表現、今も嫌いだけど、利益を得る立場の運営サイドからすると妥当)と言ってた意味が、ある意味良く分かった。 「テレビ

          芸能人が自○する理由が少し分かった話。アルゼンチン・エンタメ業界体験記

          「Tango」が降りてくる瞬間

          ブエノスアイレスは春。 アルゼンチンならではの広くて高い空が抜けるように青くて深い。 新緑の柔らかさはニホンとはちょっと違って、やっぱりあの優しさや湿度や情緒には欠けるけど、キラキラと可愛く輝いている。 どうしようもない哀しみが襲ってきたのは、お腹に宿った命の灯火が消えた傷がまだ癒えないからなのか、Tango という人生をかけた私の情熱が帰ってこないからなのか、終わりのないコンプレックスと戦い続けないといけない現実に、何かを口にする度に直面させられるからなのか(笑)。 あ

          「Tango」が降りてくる瞬間

          「哀しみと強さと美しさを秘めた Tango から生まれたもの」

          Juampy Ramirez、ブエノスアイレスのタンゴ人なら誰でも知っている名前。 失礼な話、お猿ちゃんのような風貌でもなくはないのだけど、彼=彼女が踊っている姿を見ると、きっと誰だって目を奪われると思う。 そう、彼=彼女はゲイなのだ。 ミロンガで踊っている姿を見ると、そこら辺の女より断然セクシーで、今はペアを解消してしまったけど、イケメンで長身のナイスバディな Daniel と、上半身裸で、ピッチピチの皮のパンツに網タイツにドラッグクイーンのド派手なメイクで現れるエキシビ

          「哀しみと強さと美しさを秘めた Tango から生まれたもの」

          「泣いていた彼女が美しかったお話」

          私と彼女は同じ男に恋をした。 私は5年、彼女は8年。 勿論、その間に二人とも他の恋をした。 けれども、それは決して手に入られない愛を埋め合わせるための様なものだったのかもしれない。 彼女が彼とそういう関係にあったことは、彼から聞いていた。 でも、それは私が彼に会う前のもっと前に既に終わっていて(実際、彼の定義はそうだったのかもしれない)、まさか彼女がそんな想いを持ち続けていたなんて思いもしなかった。 私たちは、ぬるい夜気の漂うクリスマス前の石畳のサンテルモ地区にタンゴ歌

          「泣いていた彼女が美しかったお話」

          「何度だって恋に落ちるためにミロンガに行く」注:幻想と知りつつ

          私がミロンガに行く理由はいたって不純。 「あの人に会いたくて」「あの人に抱きしめられたくて」「あの人と熱を帯びた呼吸を分かち合いたくて」 そしてその“あの人”は、一人ではなかったり、すぐに入れ替わったりする。 そんなコトを私の大好きな、感情を駆り立てたり心を締め付けてくれたりしやがる Tango を一緒に聴きながら、一緒に踊りながら可能にしてくれるのである。 こんな素敵な場所が他にあるはずがない… 踊りを真剣にやっている人からしたら私の動機が「不純」だと分かっているので、

          「何度だって恋に落ちるためにミロンガに行く」注:幻想と知りつつ

          「感謝の力」で豊かになったブエノスアイレス生活

          Feliz navidad, Mikaち! 騒がしいブエノスアイレスが一番静まり返るクリスマスの朝(ちょうど日本の元旦の朝の様な感じ)に、何をして過ごそうかと思って、みかちに久しぶりにお手紙書くことにしたよ! みかちに手紙を書かなかった間に私の考え方や生き方、環境は大きく変わったよ。 今は、可愛らしくて明るいパティオとバルコニーで、引っ越しの度に連れて周ってる私の可愛い植物たちがすくすくと育つのを、身体がすっぽりおさまるアカプルコ・チェアにうずまって眺めるのが一番の幸せ時間

          「感謝の力」で豊かになったブエノスアイレス生活

          ブエノスアイレスで日本人タンゴ歌手である葛藤の先に見えてきたもの

          実は私が「日本人のままで Tango を歌っていい」と理解させてくれたのは、もう一人の師、Lidia Borda だ。 「アルゼンチンなんて移民の塊なのよ、皆のスペイン語が変なのよ。それに、あなたが日本人であることを否定したら、あなたの歌じゃなくなるわ。」と。 ずっとアルゼンチン人になりたかった。 歴史的な背景も、どんな国民で、どんな感情表現をして、それをどう言葉に乗せるかも血に入っていた上で、Tango を表現することができるアルゼンチン人に。 (私達が、好きか嫌いかは別

          ブエノスアイレスで日本人タンゴ歌手である葛藤の先に見えてきたもの

          ブエノスアイレスで日本人タンゴ歌手であるということ

          どんな歌手(表現者)になりたいか、というのは、どんな人間でありたいか、というコトなんだとは思う…。 怒涛のCDレコーディングを終え、燃え尽きる暇もなく、ピアノとのデュオ、カルテットとのコンサートの撮影・録音が待っている、というのは本当に恵まれたコトだと思う。(とはこの記事を書き始めた頃の話) ブエノスアイレスで楽団と歌うコトを夢見ている、私くらい歌える歌手なんて山ほどいる。 そんな中で、私がこれ程の幸福を享受できているのは、一重に日本という後ろ盾あってこそ。「あなたは全て

          ブエノスアイレスで日本人タンゴ歌手であるということ

          「夢を邪魔するもの=コンプレックス」というお話

          ブエノスアイレスのお洒落なカフェを楽しむなら朝がいい。 もしくは早めのお昼。 この街が一度動き出すと、とても騒がしいから。 ブエノスアイレス中の多くの Tango ミュージシャンや、ダンサー達がコロナ禍で大変な状況にある中、私は申し訳なくなるくらい、日本から様々な依頼を頂いたりして絶好調の様に見えるかもしれないし、有り難いことに実際そうだとは思う。 皆に応援してもらって制作が可能になった1st CD も完成間近、Tango 歌手としての自身のHPの準備にも入って、全てが順

          「夢を邪魔するもの=コンプレックス」というお話

          ブエノスアイレスで手に入れた自由

          真夏のアルゼンチンの空は抜けるような青さで本当に気持ちが良い。 連日、34度を越えるこの街も、朝の空気は爽やかだ。 会社に行く時間というものから解放されて早何年だろう、アルコール入りのアイスコーヒーを通りに面した気持ち良いテラス席で注文すると「ちなみに、Tía María はアルコールだけど⁈」。「だからなの。今日は私には休日なの」。「あら、そんな素敵な一日の始め方良いわね!」と人懐こい店の子が話しかけてくれる。 40歳を機に、あれだけ憧れていた「幸せな家庭を持つこと」に

          ブエノスアイレスで手に入れた自由

          えっ…!? もしかして人生って「楽しい」モノなの???

          困る!困るよ!! 40年もの長い間「人生は ”悲しい" 」が私の信念であったのに… しかもそれは私の愛する Tango の大テーマの一つなのに… 何を隠そう、このお気楽に見えるアルゼンチンは心理カウンセラーの国民一人当たりの数が世界一とか。 「あ、その日はカウンセリングだから。」とか「あ、その日はセラピー」とかで予定を断られるのは日常茶飯事。 このコロナ禍で苦しんでいる人も多いなか、こんなお気楽なタイトルで書くのは気が引けたのだけど、この時期だからこそ自分の内面と向き合う

          えっ…!? もしかして人生って「楽しい」モノなの???

          私が Tango を歌う本当の理由

          歌手になりたかった訳でもなければ、人前で何かをしたい訳でもない私が、なんでこんなコトになってるのだろう…。 と、考える日々なのですが、 先日のMika ちのコメントに答えが! 「大好きなコトを追いかけてると、もっと大きな本当の夢が叶うんだねぇ。」と。 私がテレビやラジオに呼ばれるのは、この疲弊し切ったアルゼンチンに「勇気」を与えるらしいから。 「本当の豊かさとは何か」 を、ずっと探し続けてきました。 また、私を通してそれまでTangoなんて聴きもしなかったアルゼンチン

          私が Tango を歌う本当の理由