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誰のための"欲望"なのか from Buenos Aires

Hola, Mika ち!ひさしぶり☆
素敵なGW を過ごしてたようで、美しい日本の新緑の中で過ごす家族の姿を素敵だなと眺めていたよ。

優雅でオシャレな場所モノが好きらしい天秤座としては、無駄に素敵なカフェを見つけては、そこで文章を書くということをしてしまうのだけど、この秋の陽射しに映える店内のお花や、キラキラと陽射しを反射している街路樹の葉っぱの美しさをどうやったら伝えられるかな、と考えていたよ。

さてさて、この往復書簡ではなかったけど、Mika ちの「セックスは誰のもの?」は、タイムリーすぎてすぐにでも参戦したかったんだけど、今になって更に内容熟成しました(笑)。

タイトルを「誰のためのセックスなのか」にせず ”欲望” という言葉にしたのはね、まさにその問いを Mariano からも、ここ数週間?数カ月?の自分からも問いかけられているからなのだよね。

本当に仲良く平和に暮らしていたと思っていた Mariano 君と私なのだけど、ここ数週間?数カ月?、この問題にぶち当たっている訳ですよ。
結論から言うと、「Kaori から僕に対する Deseo(欲望と訳すのが正しいのかどうかというのはあるのだけど)を感じない。」と、彼にとっては大問題らしいのですよ。。。

「怒っているという訳ではなくて、僕は君に ”求められている感”(性的に)が欲しいんだ。それが無いなら、友達でいいじゃない。」と。

セックスがラテン人にとって重要なコトは聞いていたけれど、この理解の差というか、文化的な差?を埋めるのが大変、と他のカップルから聞いたこともあったのだけど、これですか…って感じ。

日本男子もそうなんだろうけど、「だってね、良いセックスだとね、世界が違って見えるんだよ、全てが輝いてみえるんだよ!」と力説され、その話をとある日本人女子(彼氏はアルゼンチン人)に話したら、「同じコト言ってた!」と爆笑してたの。

付き合ってる二人の間で正直にお互いの欲望について話したりする文化や、女子からガンガンいく感じは少ないコトを説明したりしながら、長~いディスカッションが毎回始まり、少しずつ溝を埋められるんだか埋められないんだか、な日々ですよ。

Mariano 君曰く、Kaori の Tango に対する情熱は自然に生まれてくるものだろうから、自然に生まれてこない欲望に対してどうこう言えないから、本当に自分が何を欲しているのか考えてみて。
という宿題を出されて数週間。

コンクールや学校、レッスンで忙しすぎて考えられなかったんだけど、そろそろ向き合ってみようかと思うよ。
そもそも忙し過ぎたのが全てに影響してると思うのだけど、もはや Tango への情熱もあるのだか分からなくなりそうなのだよね。

というのは、やっぱり「誰かに認められたい」とかいう思いが勝るとだめだよね。自分の ”欲望” ではなくなる訳だから。
ここに来るに至った「人生は一度きりだから好きなことをしなさい。」という、”好きなコト”=自分の正直な欲望、欲求というものは、時々向き合っていかないといけないのだなと改めて。

昔なら、放り出してたと思うのだけど、「誰かと関係を”築く”」ということも私がやりたいことな気がするから、もう少し向き合ってみようと思うけど、本当に疲れたら潔くやめることにします。
だって、疲れるってコトは本当にやりたいことじゃないんだろうから。

ただ、日本文化でどこまで良しとするかは分からないけど、Mariano の言うように「セックスも食事とかと同じ欲求なんだから」話し合って当然のことなんだなとは理解したよ。

ふう。
なんか、「誰かに認められたい自分」とか「褒めてもらいたい自分」とか「愛されたい自分」とか面倒くさいね。
あ、でもこれも欲望か(笑)。
では、またね~!


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