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20年ぶりにドラクエVをして考えさせられた話

ドラゴンクエストV「天空の花嫁」
これは私が好きなゲームのひとつです。

どのシリーズもやったけど、私が一番好きなのはVです。
きっと、ドラクエに初めて出会ったのがVだからだと思います。


当時は小学三年生10歳。
現在37歳。

10歳の私は、データが消去されてしまって何度も同じ場面をプレイしました。
37歳の私は大人の特権で毎日プレイし、自己最短記録(5日)で全クリしました!


久しぶりのドラクエVは懐かしさもあったけど、新しい気づきも多かったです。
ディズニー映画を大人になってから観ると、意味が深すぎて感心してしまうのと同じやつです。

名作と言われるゲームは何度も楽しめるんですね。
色々考察はありますが、私なりの気づきを書いてみました。


歳を重ねると見えないものが見える

10歳の私は、
「どっちと結婚しようかな?ビアンカかな?」
「石になっちゃった!ショック」
「パパスが死んじゃった…」
など、そのシーンの事実に衝撃を受けていました。

一方、37歳の私は、
「自分の子供の0-8歳の成長を見れないなんて、辛すぎやろ。会いたかったやろな…」
「ビアンカの両親の看病はどれだけ大変やったんやろ。なんでこんなに頑張れたんやろ…」
「パパスはどれだけ息子のことを愛していたんだろう…」
などシーンには出てこない、登場人物の見えない感情を憶測してしまいました。


つまり、時間の捉え方が全然違っていました。

10歳は、「今、この瞬間」を見る
37歳は、「見えない過去の時間」を見てしまう
どうやら我々大人は、奥の物語を考えてしまうようです。

多分これは、37年間とゆう時間の奥行きができたからだと思いました。
自分の10代,20代,30代を振り返れるようになり、他人にもその時間があると知ったからだと思います。
しかし10歳の私は、その瞬間その瞬間を生きていました。

きっとこの時間の感覚は、10歳の時のように戻れないでしょう。
「見えない過去の時間」は無意識・自動的に脳内再生されてしまうからです。
それは、”他人を慮れる”とも言えますが、今じゃなく過去や未来を生きているとも言えそうです。


しかも私はストーリーのあらすじを知っているので
「もうすぐパパス死んじゃうねんな…」
「こんなこと言ってるけど、結婚するんよなぁ」
とか、未来を案じて泣いたり笑ったりしてました。

だからなのか、
「もしかしたら、人生もゲームと同じで確認作業が続くのか。」と思ってしまいました。
そして、今この瞬間を感じるためには、挑戦し続けることが必須なのかも。とも思いました。

子供の時にできていたことが、大人になった今とても難しく感じます。

何があっても生きるのみ

主人公は、幼少期に父を亡くし、その後10年間奴隷として働かされます。
自分が何者かわからないまま青年になり、やがて自分が王子であることを知ります。

後に結婚し、子供が生まれ幸せな時間があったのも束の間。
すぐに妻をさらわれ、自分は8年間も石像になり我が子の成長を見ることはできません。
母も物心がついた頃には魔物にさらわれており、ほぼ家族の愛情を十分に受け取ることができなかった主人公。
しかもふるさとの村は廃墟になり、楽しかった思い出の場所も無くなりました。

近くに家族いなくて思い出の場所もない主人公。波瀾万丈すぎます。


唯一の望みは、亡くなった父の代わりに勇者になって母や妻を救い出すこと。
しかし、勇者のみ装備できる天空の剣を装備できず、父パパスと同じ無念を抱えます。
「勇者は本当にいるのだろうか。」
世界中で意見がわかれるなか、「どこかにいるはず」と母を思い旅します。


時は流れて、
「お父さん聞いて!僕ね天空の盾、装備できたんだよ!」
父の時代からずっと探していた勇者が、まさかの我が子とゆう衝撃の事実。

あぁなんで君なんだ…。
勇者は、世界平和のため戦わなければなりません。
幼い息子の運命は、もうすでに決まっているのです。

「お父さん、怖いから手繋いでいい?」
そんなことを言う、わずか10歳の息子を見て主人公は何を思うのか。
代わりたくても代われない、息子の運命を案じて主人公は何を思うのか。


そして勇者の父になり主人公の人生は
「母の救出」から「魔王を討伐」へと人生の目的が大きく変わります。

大きな運命に翻弄され、自分の人生が大きな意味を持つようになるのです。
それは、世界平和とゆう大きな名目と、家族で一緒に暮らすとゆう個人的な幸せを同時に叶える手段でもあります。


たとえ人生の目標が変わろうとも、人生は続くのです。
自分の人生だったはずが、多くの人を巻き込むこともあるでしょう。
大きな何かの存在に引っ張られて、どうしようもないこともあるでしょう。
「それも自分の運命だ」
と言わんばかりに、全てを受け入れる主人公の姿に考えさせられました。

みんなひとり

主人公の旅のお供は、頻繁に代わります。
ビアンカ。チロル。パパス。ヘンリー王子など。
新しい仲間と出会って旅をし、そしてすぐに別れがきます。
ずっと自分の近くにいてくれる仲間はいないのです。

これは私にとっては悲しいことです。

しかし主人公は、自分の信念のため一人になってもその目的を果たそうと旅に出ます。
知らない広い世界を旅する主人公。
広い世界には自分の応援者もいれば、自分を倒そうとしてくる人もいるのです。
ひとりの青年で抱えきれるのだろうか…。


後に、仲間になり支えてくれる存在になったのが、懐いてくれたモンスターたち。
同じ言葉を話さない彼らと、心が通じあい一緒に戦うのです。
それはきっと、家族と離れ離れになってしまった主人公にとっては、自分の元から離れない唯一無二な存在だと思います。
「母を救いに行こうと決めたんだ」
その思いを共有できるかけがえのない仲間なのです。

最終段階で、妻や子供たちも仲間になります。
そして家族は、最後まで主人公と共に戦うことを望みます。
「どんな決断でもあなたについて行きます」
妻や家族からのその言葉がどれだけ嬉しかったのだろう。

「あなたは一人じゃないよ」
の言葉がどれだけ励みになったかは想像に容易いです。


この数日はドラクエVの世界にどっぷりとハマっておりました。
ネットで調べてみるとこんな記述が。

人間の「情」を統一テーマとしており、父と息子の絆・妻となる女性との出会い・父親を超えるほどに成長していく子どもたちなど、人生をダイレクトに経験するストーリーが展開される。

Wikipediaより

まさしく意図している通りに、10歳の時には理解できなかった情を、37歳で理解しました。

きっと10・20・30・40代〜それぞれの楽しみ方があるのでしょう。
同じ本を時間をあけて読むと、心に留まる言葉が違うように、
ゲームでも同じことがあるようです。

ドラクエV
また忘れた頃に再開して、今日とは違う感動を味わいたいと思います。



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