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せっかくならわがままに生きたほうがいいんじゃないか

私のことを好きな人もいれば、嫌いな人もいます。
楽しいこともあれば、しんどいこともありますし
(しんどいことの方が多いような気もする)
人生とは地道にただ一日一日を生き長らえるのみかもしれない。
なんとなく世の中の仕組みがわかったような気がする今日この頃です。

「私のこと嫌い?じゃあ私に近づいてこんといて?それがお互いのためになりますよねー」
ぐらいは言えるほど年齢を重ねてきたとも言えます。
そして、他人の目線は過度に気にしない方がいいな、とも思うのです。

自分が好きなnoterさんやYouTuber、インスタグラマーさんからの悲しいお知らせ。
「更新やめます」
どうやら誹謗や中傷(アドバイスという名の)で更新をやめてしまうようです。

私はコメントこそしませんが、「やめんといてほしいな」と思っているファンです。
私の楽しみがまた一つ減ってしまったのか…。ショックなのです。
誰かの正義は半分正しくて、半分は面白くない世界への片道切符なのではないだろうか。


以前、夫と小さな博物館に寄った時です。
そこには江戸時代の絵巻物や、鎌倉時代に源頼朝宛にどこかの藩主が送った手紙などが展示されていました。

昔の日本語だし何を書いているのか分かりませんが、歴史の一部を垣間見れた気分になりました。
「長い間大切に保管されててすごかったね。なんだか日本人でよかったーて思えたわ。」
小さな島国の長い歴史を感じて、感傷に浸っていました。

「けど、海外にも長い歴史はあるよ?」

「…。」

当たり前やん。
知ってるよー。
伝わるかなぁ。私、そんな話をしてるんじゃないんです。

日本の歴史に触れて誇りに思っていた私。
日本以外にも世界に歴史はあるから、特定の日本人である自分達に特別誇りを感じなくてもいいのでは、と思っている夫。
分かりますか、この微妙にズレてる会話。

対面の会話でこんなディスコミュニケーションが起こるなら、ネット上ではどれだけ多くのディスコミュニケーションが起きているんだろう…。


そして思いました。
好きな人の会話でも微妙なズレがあるから、赤の他人に伝わらないなんて当たり前じゃないか?
むしろ、分かってくれたら奇跡です。

私はインフルエンサーのコメント欄を見るのも楽しみにしています。
そこには純粋な感想が書かれていたり、真っ当な意見を書く人もいます。
でもたまに、あなただけの正義も少なからずあります。
(うん、そうだね。でも、そういうことじゃないんじゃない…?)

最近このようなことが重なり、
「どうせ何を言っても誰かから何か言われるんだから、他人の目を気にしすぎるより、自分の好きなことを楽しんだ方がいいんじゃない?!」と思うようになりました。

自分の好きなことを思いっきりしていたら、そりゃぁ誰かから正義の矢は飛んでくるでしょう。
自分の偏った意見は、誰かさんの真反対の意見で嫌われることもあるでしょう。
自分の好きは、誰かにとっては最もおぞましい恥ずべきことかもしれません。

でも、知らんがな!で一蹴です。

「私はこれが好きで発信してましたが、あなたの好みに合わなくて残念です。でも私はこれが好きなので、これからもこのまま生きていきます。ではお互いお元気で。」
なのです。


私は私が好きなnoterさんやインフルエンサーさんは、気にせずありのままのご自分を続けてほしいと思ってます。
もし誹謗中傷を言われても、そのままでいてほしい。
これも私の正義ですが、そう思っています。


ついでに私の好きなことも書いておきます。

「週3日パートを続けたい。文章を書いてのんびり暮らしたい。ぬいぐるみや美味しい食べものに囲まれて生きたい。長野にも神戸にも住みたいし、好きな人と生きたいし、お金もいっぱいほしいし、犬もいつか飼ってみたい。世界中旅行したいし、世界のいいものいっぱい見たい。日本中旅したいし、温泉巡りもしたい。たまには超絶イケメンを見たいし、超絶美女になってみたい。」

せっかく生きてるなら、全部やっちゃおうー!精神です。
…え、頭おかしい?
まともな大人が言うことじゃない?
まぁ、ごもっともですねぇ。
私、ちょっと頭がおかしい人みたいなので、これは治りそうにもないですね。
ええ、すみませんがこのあたりでお暇させていただきます。

面白い世界への片道切符は、ちょっとした覚悟で手に入りそうな気がしています。

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