見出し画像

【36歳の終活】自分の「もしも…」に備えてやったこと

私は数年前に断捨離をした際に、「これで死んでも迷惑はかからないかな」と思ったことがあります。それは祖母が亡くなった時に、母が物の処分で苦労をしたと聞いていたから。戦前生まれの祖母は、一度も使わなかった食器やアクセサリーなどを大量に遺していました。きっと母や私たち孫のためだと思いますが、物が溢れる現代では自分の趣味とは違う食器を使うことはありません。6畳ほどの和室でしたが、処分をするために業者をお願いするぐらいだったそうです。
今でも定期的に物の点検はしています。ドミニックローホーの本や、ミニマリストの動画を見ると捗ります。転勤族なので住む環境によってどうしても物は増えてしまいます。関西から長野に来てからも少し増えました。今のところ私の私物は、クローゼットひとつに収まるぐらいの量です。
そして先日、2冊目のもしもノートを書きました。今も少しずつ書き足しています。どんなことを書いているかまとめてみました。


死んだ時に家族に見てほしいノートのこと

そもそもですが、もしもノートとは、不慮の事故などで命を絶った時に家族に見てもらいたいノートのことです。このノートの存在を知ったのは、ダイソーで売っていたからです。内容は自分の名前や生年月日、家族構成や住所など個人情報を書くノートでした。なんとなく購入し、一年経っても途中までしか書いていなかったので、今年に入ってから2冊目を用意し記入しました。今回のノートは普通の大学ノートです。

まず、私は超健康体で、命を狙われるような立場ではないので、恐らく寿命まで生きると想定しています。しかし、ニュースでは事故などで突然亡くなる事件を見かけます。いつ自分の身に何があっても家族には迷惑をかけたくない。そんな思いで終活の準備をしています。

自分の過去を思い返すきっかけになった

まずは名前や家族構成、そして今まで住んでいた住所や学校、勤務先を書きました。
私は学生の時から何度か引っ越しをしています。結婚してからも転勤をしているので、割といろんな住所に住んでいる方だと思います。それでも意外と当時の住所は覚えているようです。自分の年齢と当時の住所を書き、隣のページに学校や会社の履歴も書きました。何歳の時にここに住んでいて、この学校に通っていた、などがわかる年表のようなものです。

次に自分が亡くなったことを伝えてほしい友人リストを書きます。
私は狭い友人関係なので、どうしても伝えてほしい友人は5人になりました。中高の友人、バイト先の友人、短大の友人、大阪時代の友人、長野の友人をそれぞれ一人ずつ。友人全員に知らせたいけど勝手に代表を決めました。家族も5人であれば葉書やメール、電話なりで伝えてくれるのではないかと思っています。それぞれの名前、電話番号、住所と(わからない友人もいたので追記予定)、どんな間柄でお世話になったのか書きました。

これらを通して自分がどれだけ多くの人とご縁があったのか、どれだけ多くの友人に恵まれてきたのかを知れました。一つ一つの住所には思い出があり、それぞれの友人とも思い出があります。「生まれてよかったなぁ」と死んでもいないのに感謝しました。

お葬式やお墓のこと

あとはお葬式やお墓の希望も書きます。私は特にお葬式を希望していません。家族がしたいのであればそれでいいので、その時に使える口座を書きました。まだ死ぬ予定ではないので、今の金額だと少な過ぎますが。。夫の実家の墓に入るかも知れませんが、知らない人ばかりなので共同墓地などがいいな〜という、身勝手な希望の一応書いておきました笑。自分の実家が墓じまいを進めており、両親は恐らく高野山の共同墓地に入る予定なので、私もそこがいいなぁと。来世も両親の元に生まれれば、夫とも巡り会えると信じているからです。

口座やクレジットカードなど金融関係

きっと亡くなって一番大変なのはお金のことだと思っています。以前勤めていたクレジットカード会社では、遺族がカードの存在を知らずに引き落としがずっとされていた、ということがありました。そのため、持っているカードや口座の名称を一覧にしました。これならば、問い合わせて解約や手続きをしてくれると思っています。
ちなみに私は口座関係も断捨離したので、銀行口座は2つ、カードは4枚、証券口座は3つです。長野に来て、よく使うスーパーのカードが1枚増えたところです。

あとはスマホやパソコンなど通信機器も書きました。初期設定して売ってもらえれば、家族のその日のご飯代にはなると思っています。

大切なものをリストアップ

このページが一番書くことが多く、かつ、自分の人生を振り返った項目でした。家族からみれば、遺されたものはただの物にしかなりません。母が祖母の遺品を見ていたように。贈り物も思い出のものも、物とのエピソードも私が存在しなければ知り得ないからです。

断捨離のおかげで私の手元には、本当に必要なもの、お気に入りの大切なものしかありません。どれもが大切で手放せない物ですが、その中でも特に大切な物は知ってもらいたくて書きました。
書いていて気がついたことは、特に大切なものは誰かから頂いた物だということ。「誕生日に…」「結婚式で…」「成人になったから…」など、私が私のために買ったものではなく、どれも大切な人からの頂き物ばかりでした。

こんな思い出エピソードを書くと、遺された家族は「捨て難いなぁ…」と思うかも知れません。自分がその立場なら「どうしたらいいんやろう」となりそうですし。しかも自分が死んだあとは、その物の行方は私がお願いできるものではありません。
でもこうしてノートを書くだけで、「今こんなに大切な物を持ててるんや」と泣けてきました。そうか、数少ないけど友人たちがお祝いしてくれて、夫や親からも愛情もらってたんやなぁ、ほんま幸せやなぁ。せっかくやから生きてる間にいっぱい使って、いっぱい愛でて、死ぬ瞬間まで触れて目にしときたい。愛されてる証拠を生きてる間中ずっと実感しときたい。この気持ち絶対に忘れたくない。そんな思いが溢れました。

死んだその先どうなるのかは分かりません。でもその先がなくても今満たされていれば十分幸せじゃないか、と思えた1日でした。

サポートお願いします!いただきましたサポートは、新たなネタ集めの交通費として使わせていただきます🙏