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私がnoteを書いている理由

恥ずかしい話ですが、私は私のnoteが大好きです。
自分の書いた記事を読んで「おもろいな〜」「最高やな〜」「この人どんな顔してるんやろ…自分か!」てつっこみながら読んでいます。

「こんなことあったんやけど、聞いてくれる〜?」てもう一人の自分に言うイメージです。だからnoteを書いている理由は、世の中を良くしたいとか、誰かのためにとかそんな崇高な思いはありません。
崇高な思いどころか、私の日常をツラツラと世間に発表しているだけです。

例えて言えば、学校の休み時間に、教室の片隅で友達と話していた延長線です。やっていることは何も変わっていません。

しかし会話を文字にすることで、多くの方に読んでいただけるようになりました。学校ではせいぜい5人ぐらいでしたが、noteだと10倍以上の方が読んでくださいます。
正直びっくりしています。

◇◇◇

私は自分のことしか考えられない人間だと自覚しています。
誰かのために、などというかっこいい名目で行動できないタイプです。だから「あなたのために」の言葉に重みがありません。だって思ってないからね。

「私は○○だと思うけど、あなたがどのようにしても結構です。」冷たい人間かも知れませんが、好きな人が決断したことは全てを受け入れる覚悟でいます。
そして好きじゃない人の行動は特に興味がありません。「ふーん、そうですか」それ以上でもそれ以下でもありません。

接客業をしていますが「お客様のために」と思うことも少ないです。
お客様が喜んでくださる→嬉しい→お店の儲けが出る→お給料出て頑張ればまたお客様が来て下さる→以下ループ
このように、お客様の先には自分やお店の喜びがあります。

◇◇◇

友人には生粋のgiverがいます。
その友人は「世の中を良くしたい」「私がこれをすることで影響が出るはず」そんな思いを持っています。自分にはない感覚なのでいつもその思いを尊敬しています。

でも友人にそれをする理由はないはずです。強いて言えば「そのことに気づいてしまったから」かと思います。世の中の歪みに気づいたから行動しているんだと思います。

しかし私には世の中の歪みとか大きいことは分かりません。お客様の喜びという、ふわっとした抽象的なことも理解しづらいです。

私の場合、主語はいつも自分で話し相手は一人です。お客様とか、30代女性とか、専業主婦の人が対象じゃなくて、もう一人の自分に向けて書いています。

◇◇◇

話は少し変わりますが、自分で作詞をしている歌手は自分の思いを歌にのせています。自分の人生で起きたことや思ったことを、マイク一本・体ひとつで歌っています。

当たり前ですが、私にはその勇気がありません。
そもそも音痴とゆうこともありますが、自分の思いを世間に向けて発表する自信がないからです。「あいつ変な歌詞書いてるなぁ」そんな声が聞こえそうで怖いのです。
だって、こっそり書いた日記が家族に見つかっても恥ずかしいくらいなので。

そんな私がなぜnoteに自分の思いをツラツラ書いているのか全く分かりません。人に拒絶されるのが怖くてなかなか言い出せなかったことを、なぜか私は日々noteに更新しています。恥ずかしげもなく。

しかももう一人の自分に向けて書いてるなら、そもそもここで書かんでええやんとも思っています。コクヨのノートに書いてたらいいやんって。そっちの方が黒歴史を防げますよって。


きっと私はどこかで誰かと繋がりたいのかもなぁ。
私と同じような感覚の人は、少なくとも日本人の1%ぐらいいるだろう。その100万人のうち文章が好きなひとは1%の1万人ぐらいはいるだろう。その1万人のうちのひとりでも多くの人とこの気持ちを共感できたら嬉しいなぁ。
うん、それは嬉しい。

その方と共感できたその先は、今のところ全然わかっていません。
大きなことを考えるのが苦手だし、これを読んでくださるのはひとりひとりの範囲が大きくなっただけと思っているからです。

改めて言うほどでもありませんが、私はこれからも自分に向けてnoteを書きます。
その内容は役に立たないし、世の中を良くすることもないでしょう。病気も治らないし、株で儲けて億万長者になることもないと思われます。

でもそんな私を見て「おもろいやん」と思ってくれる人が増えたら嬉しいです。とっても嬉しい。
明日からも気ままに日常を綴っていこうと思います。引き続きよろしくお願いいたします。




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