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人生を変える"堪能"の世界

こんばんは。仁科かおりです。

この週末、3日間山にこもり、スマホの電源を切り、一度も時計を見ることなく、ただただ目の前のことを感じて、味わって、深く呼吸をして、ゆったりとした気持ちでリフレッシュタイムを過ごしてきました𓅮𓂅⁡

朝は、日の出とともに起き、深い霧に包まれながらゆっくりと散歩をし、遠い山の向こうから上がってくる幻想的な太陽を見て、涙が出そうになるくらい感動して。
その後は、本を読んだりお話をしながら、雲ひとつない空を眺める度に「しあわせだな」と何度も思いました。


"そろそろお昼になったかな?"

そう感じたら、ダイニングに向い、新鮮な食材をつかった真心たっぷりのお料理を頂いて、その後はまた本を読んだり、アーシングをしたり、お昼寝をしたりして、美しい夕焼けに手を合わせて夜を迎える。

思い返してみると、私たちは、子どもの頃から時間に合わせて行動することを練習してきました。

時間割が与えられ、公共交通機関は常に時間通りに動き、待ち合わせ時間に遅れると申し訳ない気持ちになったり、遅刻する人に対して苛立ったり、「あの人はいつも遅れるから」と諦めたり、感情を操られることもある。

更に、携帯電話を持ちはじめてから20年以上が経ち、いつも誰かと "接続" していることが当たり前の環境で、SNS上のレスポンスでストレスを抱えたことのない人はいないのでは?と感じるほど、私たちはスマホと一体化して、便利さを手に入れる一方でストレスを感じながら暮らしています。


そのような環境の中で、時計とスマホを一切見ない3日間は、"このような贅沢な時間が、この地球上にあったのか" と驚くくらい、素晴らしい経験でした。⁡

今回は、夜のディナーが目的で旅をしたのですが、どんなに素晴らしいお料理を提供して頂いても、スマホがないので写真に残すこともできない。

でも、その分、深いところで味わい、感動し、記憶に残すことができたように思います。


"おいしいね"

って何度も呟いて、それ以外の言葉は何も要らなくて、寧ろ、言葉を探した時点で、ボロボロと感動や歓喜がこぼれ落ちていくような感じがするから、言葉になんてしたくない。


お料理とその場にいたみんなと空間と祈りと…何もかもが合わさって一体になり、溶け合って自分がなくなってしまったようにすら感じ、堪能、三昧…って、こういうことを言うのかもしれないと、後になって思いました。

日常生活においては、言葉が見つからないことって、ほとんどないと思います。

特に、会社員としての仕事では、同じような言葉を何度も使いまわして、「きっとこう言われるだろうな」と想像した通りの言葉を受け取って、成り立っているようにすら思います。


言葉にすると、何もかもがちっぽけに思えるから言葉にしたくない。
言葉では到底表現できない。

今回、そのような感動を体験できたことが、本当に良かったなと感じています。とても美しい景色が、人生の一ページに刻まれました。

この一ページは、これからの生き方はもちろん、これまでの人生も豊かに変えてゆく。⁡⁡それだけは確かなこととして、感じられます。

"生きる"って、こういう美しい景色を、暮らしや人との関係性の中で、重ねてゆくことなのだと思う。⁡


"使い古された言葉の世界から抜け出す人生にしたい"

そう強く思いました。

『秋のちいさなお話会』でも、ぜひ、シェアさせて頂ければと思います♡
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(ご希望の方のみですが、夜、お食事会もすることになりました。)

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