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小さな幸せの見つけ方。

結論から述べてしまえば、感受性を豊かにすることで、今まで感じられていなかったことに気づけるようになるため、日々の日常生活の中に存在している、今まで感じ取れていなかった「小さな幸せ」を見つけられるようになる。

それは感覚で感じることなので、目で見て気づくことでもあり、音による気づきでもあり、漂ってくる香りの気づきでもあるが、それぞれの感覚において、いろんな小さな気づきという発見が、小さな幸せなのだと思っている。

ボクが取り組んできた学びとは、嗅覚の解像度を上げる取り組みだったのだが、それは結果的に感覚の解像度を上げる取り組みであり、五感の解像度を上げる取り組みでもあった。
それは一般的にはテイスティングと呼ばれているものではあるが、ボクの取り組んできたテイスティングは「骨格の部分」であり、どうしたら嗅覚が成長の道を歩み、ダメージを認識しその反対に位置している良質な香りを認識できるようになるのかを考え取り組んだ結果、得ることができるようになった感覚を育成するための取り組みであった。

五感の解像度が向上することで、それまで感じられなかった感覚が目覚めはじめることになった。
特に香り情報の「色」と「形」には感情が含まれていて、それはそのまま視覚的な「色」と「形」から受け取れる「感情」の存在でもあった。
そのため感覚の解像度が向上することは、感受性が豊かになることを意味していた。

小さな幸せとは、日々の日常生活という営みの中での気づきや発見である。
それは季節の移ろいの中で感じることでもあり、暦の意味に気づくためのものでもあり、先人が築き上げてきたものの偉大さを改めて感覚が教えてくれるものでもあった。

世の中は美しさで溢れている。しかし、それに気づける感受性と感性が備わっているか否かで、その美しさを受け取ることができずに素通りしてしまうことでもあると気づいた。

学びとは、知識を増やすことだけではない。
感覚を育てることも学びであるのだ。

小さな幸せに気づけるようになること、それを積み重ねることで人は豊かさを得られるようになる。
物質的な取り組みではないが、感覚が伝えてくれる世界観とは、感覚から得られる豊かさであり、それはいろんな意味のやさしさに繋がっているものであると思っている。

人が人間として生きるために、その感覚はこれからの時代だからこそ必要なものであるようにボクは思う。


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