すべては来るべきときに
「で、おまえは茨の道を行くんだな?」
高校一年生の三学期、最後の面談。誰もいない教室で、担任とふたりで向き合う。
「簡単じゃないぞ。できるか」
もう決めたのだ。方法はこれしかないのだから。
当時私が通っていた高校は、入学してすぐに緩やかな文理選択を行うことになっていた。初めに文系か理系かを選び、一年後、さらに私立か国公立かを選ぶ。難関コースはそこからさらに別れる。
私は最初から迷わず文系を選択していた。昔から本を読むのが好きだったし、何しろ数式を解いたり、実験をしている自分がどうしても想像できなかった。私が志望する学部は文系からでも目指せるとも聞いていた。
一部の大学を除いては。
具体的に大学を決める段階になり、例に漏れず何となく地元の国公立大学を第一志望に書いてみた。その日のうちに担任に呼び出された。
「お前、このままじゃ受験できんぞ」
私の志望学部は文系でも理系でもなく「文理総合」と言われる学部だった。大学により文系理系が違ったり、どちらにも属さない場合もある。第一志望に書いていたのは、よりによって化学がセンター試験で必要な大学だったのだ。文系のままでは、化学を履修することができないにも関わらず。
「お前はもう文系なんじゃ。今から理系にはなれん。大学で本当にこの勉強がしたいなら、方法はふたつある。ひとつは、文系からでも入学できる私大を狙うこと」
高校一年生でも、私大にお金がかかることくらい分かる。レベルも国公立のほうが高い。もう私大に方向転換してしまうのは時期尚早だ。
「ふたつめは、独学で理系科目を勉強すること」
その手があるのか。
「まあよく考えろ。独学でするなら、化学の先生に教科書とか問題集は何を使えばいいかは聞いてみたらいい」
出来る、と漠然と思った。まだ間に合う。ここで手放すにはまだ早い。
それからすぐに、化学の先生に教えを乞った。授業で使う教科書や問題集を、ひとつ下の学年と同じタイミングでいいので一緒に取り寄せて欲しいこと。独学で準備をするつもりではあるが、分からないところがあれば教えて欲しいこと。一生懸命説明したが、「いやいや、本気なの?」と言われた。難しいと思うよ、なんて優しい忠告ではなくて、半ば呆れたような表情をしていた。
どうしてそんな顔をする。どうして応援してくれない。まだ時間はたっぷりあるはずなのに。
絶対に合格してみせる。その一瞬で、火が点いた。
担任には「独学にします」とだけ報告した。
それからというもの、毎日欠かさず化学を勉強した。授業がある日も、休日も、運動会の日も、お正月も。インフルエンザになった日も。たった三行でもいいから、必ず教科書を読み進めると決めていた。自分を律して、と言えれば格好いいのだけれど、本当は一日でも欠かすと積み上げてきたものがガラガラと崩れていく気がして怖かった。
理系の友達は、手書きの解説付きで授業のプリントのコピーをくれた。応援してくれる化学の先生もいて、基礎の基礎から教えてくれた。ありがたくて涙が出そうだった。手書きの解説には何度も書き直した跡が残っていた。
それでも、成績はなかなか伸びなかった。高校三年生の秋の模試の化学は34点だった。過去問を解いてみても浮き沈みが激しく、決して安定して点が取れる科目には仕上がらなかった。
そして、センター試験の三日前のこと。
家で足を滑らせ、階段から落ちた。痺れて立つことができず、「折れたかも」とすぐに思った。次の日からのセンター試験対策は休み、病院で検査を受けた。初めて入ったMRIの中で、たぶんセンター試験受けられないな、と思うと涙が出た。動かないでくださいね、と言われたから涙は流れるままにしていた。
結局、骨折はしていなかった。それでも長時間座ったままのセンター試験は腰に負担が大きいため、コルセットを付けて受験するように、と言われた。
試験の最中は腰の痛みは気にならなかった。手ごたえはなかったが、歯が立たない問題もなかった。化学の解答用紙が回収されて、とてつもなく安心した。今日からもう、勉強しなくても怖くない。試験会場を出ると、外は思いのほか明るくて、掃除をする用務員のおじさんの横に猫が寝そべっていたことを、なぜか強烈に覚えている。
試験の翌日、登校して自己採点をすることになっていた。一番気になる化学から採点をする。
結果は自己最高点だった。担任にも「この成績なら行けるぞ」と言われた。
「階段から落ちて脳みそが揺れたら、頭良くなりました!」なんて私は笑っていたけれど、今になって振り返ってみれば分かる。
全ては、繋がっているのだ。
文理選択を間違えたことも、独学してでも行きたい大学を譲らなかったことも、階段から落ちたことも、未だに正しいとは思っていない。経験しないで済むのなら、経験しない方がいい。
それでも、それを乗り越えようと決めたなら。
乗り越えるための努力を続けるのなら。
周りには必ず見てくれている人がいる。手を差し伸べてくれる人がいる。
自分ではコントロールできない運や縁も、きっと見えないところで動いている。
そうして積み重ねたものはいつか必ず、自分の味方になってくれるのだ。
あれが出来たんだから、これも出来る。大丈夫、どうにかなる。
何かを続けなくてはならないとき、新しいことを始めるとき、これまで何度も自分に言い聞かせてきた。
シンプルでいて力強い、心のよりどころ。
粋な神様は、大学合格にそんなおまけまで付けてくれたみたいだ。
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