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君がくれた、はじめて

小学生の頃、家に友達が来ると庭でだんごむしを探して遊んでいた時期があった。光の当たらない縁側の下、苔むした庭の隅、トマトが育つ植木鉢の底。木造の、築100年に手が届きそうな古い家だ。彼らが太陽の光を避けるように身を寄せ合う場所はいくらでもあった。ほかには、家の塀に埋め込まれた古いポストも。扉がすっかり錆びついてもう使わないそれからは、開けると少しひんやりとした空気が流れ出た。

あの日も、友達と私は庭で各々だんごむし探しに精を出していた。いつものようにポストを開けた友達が私を呼ぶ。

「これ、かおりちゃん宛てだと思う」

大人びていた彼女が冷やかすことも騒ぎ立てることもなく真剣なまなざしで差し出したのは、真っ白な紙切れ。

それは、人生で初めてもらったラブレターだった。

手紙の隅には、何度か隣の席になったことのある同じクラスの男の子の名前があった。長辺の一辺がぎざぎざの紙は、きっと自由帳の1ページをちぎったもの。文の最初は赤いボールペンで書き出しているけれど、途中から鉛筆に変わっている。中身はたった三文で、ほとんどがひらがなだ。

決して体裁の整ったものではないけれど、こんなにも気持ちの伝わるものをもらったのは初めてだった。伝わるってすごく力があって、「痛いほど」という言葉は本当だ、と思った。少し皺が寄った紙も、書き進めるにつれて先が丸くなる鉛筆も、全てがただ「好き」を伝えるために使われていた。本当に本当に嬉しかった。

お礼、言わなくちゃ。手紙は、食べ終えたクッキーの缶の中に大切に収めた。

翌日、教室でいつものように彼と顔を合わせた。「おはよう」は言えたけれど、たった一文字多いだけの「ありがとう」はどうしても言えなかった。古いポストに入ってたから、かなり時間が経っているだろうな。それだけ昔だったら、もう覚えてないかも。もう私のこと好きじゃないかも。意気地なしの私は「ありがとう」を言わない理由ばかり考えた。

彼はいつも通りに接してくれた。手紙をくれたのが嘘ではないかと思うほどに。机を向かい合わせて給食を食べ、体育では同じチームでドッジボールをした。話をする機会はいくらでもあったのに。

それでも私は「ありがとう」を言えなかった。翌年彼とは別々のクラスになり、会話をすることもなくなった。そして小学校を卒業して10年以上経った今、彼と繋がる方法はもうない。私は結局、自分の気持ちを伝えられないままだ。

今も変わらずクッキーの缶の中に、私はあの手紙を収めている。大人になった今でもときどき取り出して読むことがある。

わらうとかわいくて、いつも、みとれてしまいます

手紙の中で一番大きく書かれたこの一文。嫌なことがあっても、大変なことがあっても、彼がこう言ってくれたから私は今日もにこにこしていようと思う。笑顔で進みたいと思う。紙がどんどん日焼けして、ボールペンの文字が消え始めても、彼がくれた初めてに私は今日も励まされている。

早く気づけなくてごめんなさい。気づいたのにお礼も言わずじまいでごめんなさい。勇気を振り絞ってくれたのに、私は意気地なしでごめんなさい。

そして、伝えてくれてありがとう。

もしまた会えたときは今度こそ、そう伝えられる自分でありたい。

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通りすがりのものですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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