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ここにいてほしい言葉を【感想文の日㊴】

こんばんは。折星かおりです。

第39回感想文の日、今夜感想を書かせてくださったのはゼロの紙/元コピーライターさんです。

ゼロさんの作品はどれも、丁寧な言葉の引用が印象的です。Youtubeの曲、本や詩、そして自分にターニングポイントを与えてくれたひとからの大切な言葉。まるでパズルのピースのようにぴたりとはまるその言葉に、作品を拝読しながら何度息をのんだことでしょう。1週間、ここまでゼロさんが積み上げてこられた膨大なインプットに思いを馳せながら記事を読ませていただきました。改めて、ご応募くださりありがとうございます!

それでは、ご紹介いたします。

■ずっと。永遠にけろっとしていて。

子どもたちが学校から帰る時間帯に、窓の外から聞こえてきた「いつのじだいにいってみたい?」という質問。ゼロさんは少し心をざわっとさせたり、つっこんだりしながら子どもたちの言葉に耳を傾けます。子どもたちのぴかぴかの言葉の可愛らしさと、それをそっと聴くゼロさんの様子が素敵な優しい作品です。

自分からは到底出てこない言葉に出会ったとき、書き留めておきたい!という衝動に駆られること、ありますよね。人生の大先輩の言葉のこともあるけれど、小さな子どもの無垢な言葉にも、はっとするような驚きが詰まっています。

「ぼく、ぼくはねぇ、じぶんがまだうまれるまえ」
「だからぁ、あのベビーカーとかにのってたころ?」

大人が聞いたら「いやいや」とつっこんでしまいたくなるけれど、子どもだちは彼の話を何も言わずに受け入れ、どんどん話に乗っかっていきます。そして、その様子に心を動かされたゼロさんの綴る言葉がこちら。

みらいとか、そういうことをこれから生きてゆく
彼らになんていうか不用意に言ってしまっては、
いけないけれど。
やっぱりこどもだちの思いもよらない言葉には、
とてつもないみらいのかけらを感じる。

「みらいのかけら」。そっと呟くと、その美しさにため息がこぼれます。私の家の前も通学路になっているのですが、今度子どもたちの声が聞こえたら私もそっと耳を傾けてみたいな、と思っています。

■ゆりかもめとチョコレート。

真夜中に辛いものや酸っぱいものを食べても何とも思わないけれど、甘いものを食べると罪悪感を感じる、というゼロさん。その理由を考えたときに思い当たるのは「あの日の夜」のことでした。真夜中のチョコレートに感じる、罪悪感の理由とは……。

今回読ませていただいた中で、個人的に一番ぐっときた作品でした。ゼロさんは、以前一緒に仕事をしたことのある経営者の"Mさん"と約5年ぶりに再会。ゆりかもめ線に乗って、雨に滲むレインボーブリッジや観覧車などいろいろなところへ出かけます。けれどそのときMさんは、若いときに作り上げた会社を畳まなければならない状況にありました。

それでも彼は、明るく振舞います。「迷ったら、行こう」が昔からの口癖で、いつも引くことなく未来を切り開いてきて、迷ってしまうゼロさんに檄を飛ばしていた彼。ちらりと不安を覗かせつつも、帰り際にはゼロさんに「贈り物」を手渡してくれたそうです。

彼が鞄の中から、無造作にオレンジ色のボディにブラウン系のリボンが写真のように印刷されている、チョコレート屋さんのロゴのついたちいさな紙バッグを差し出して、これどうぞって渡してくれた。
気分がよくなるらしいよ、チョコって。はじめて聞いたけど。だからどうぞって。

失意の中にあったのは彼の方のはず。それでも、ゼロさんを気遣い「気持ちを楽に」とチョコレートを手渡す彼の強さに、こちらまで熱いものがこみ上げます。会ったことはないけれど、きっととても魅力的な方なのだろうなぁと想像します。

たぶんその甘いちいさなチョコレートには、あらかじめそういうスパイスが入っていて。

せいしんをちくりとさすような成分が、じんわり、効いてくるようにできていると思うことにした。

その日の深夜、そのチョコレートを口にしてゼロさんは「後ろめたさ」を感じたそう。チョコレートを食べたときに喉の奥に残る、ほんの少しの痛みのような切ない読後感に、こちらの胸もちくちくと痛みました。

■潮風が、まだよそよそしかったので。母とふたりでそれに名前をつけてみた。

20年ほど前の夏、海辺の町に越してきたゼロさんとお母さま。風が吹くとふわりと部屋に流れ込む潮の香りが嫌いなわけではないけれど、どうしてだか馴染めなかったのだと言います。しかし、その風はおふたりの懐かしい記憶を呼び起こして……。

マホガニー色に灼けていた、漁師さんの肌の色や、
コンクリートに響く母の心地いい音のするサンダルのヒールや、
幼かった弟が、父の布団の中で甘えていたことや
隠岐の島の旅館の内側も外側も、潮の重たい匂いに包まれていた
ことなど。

まだ馴染めない風が呼び起こしたのは、ゼロさんとお母さまの「隠岐の島」への家族旅行の記憶でした。今は一緒に暮らしていないお父さまと弟さんがいて、眩しいほどの青に包まれていた、あの島での記憶。そのときも周りは潮の香りで満ちていたけれど、それはまるで優しいベールのようにゼロさんたちを包み込んでいたと言います。

この潮の香りにみんなが包まれているうちは、だいじょうぶ。

家族旅行の思い出をお母さまとひとしきり話し、笑いあったあと、ゼロさんとお母さまはこの町に吹く「よそよそしい風」に名前を付けます。

今、吹いている風の名前を<隠岐の島>にしようってふたりで、なんと
なく命名した。
風に名前をつけるなんて、ふだんはやらないのに。

新しい町で新たな暮らしを始める不安が、少しでも和らぐように。馴染めない風に、愛おしいものの名前を付けるのは「ここで暮らす」という覚悟でもあったのではないでしょうか。おふたりの気持ちを想像すると、胸の奥がきゅっとします。

もう今はすっかり馴染んでしまって名前を呼ぶこともなくなったという「隠岐の島」。今吹いている風も、これから吹く風も、おふたりにとって心地のよいものであるよう、遠くから願っています。

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