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ご縁あって

春先に、花の種を蒔いた。

きっかけは確か、ワイドショーで見た「家庭菜園が流行っている」というニュースだった。時期はちょうど自粛生活真っただ中。「出かけられない分、癒しを求めて家庭菜園をする人が増えている」というナレーションとともに流れた「トマトの芽が出た」と喜ぶ男の子の姿に、目を奪われたのだ。彼は吹いたら飛んでしまいそうな小さな小さな緑色の双葉を見て微笑んでいた。

ガーデニングはしたことがないし、何か植物を育てるなんて小学校の朝顔以来ご無沙汰だった。あの喜びを、私はいつから感じていないかな。そう思うと、居ても立っても居られなくなった。

久しぶりにホームセンターへ行って、花の種を買った。ダリアやコスモスも好きだけれど、大好きな小説に登場するカモミールを選んだ。込み合っているレジの列に並ぶ間、袋の裏面を読んで待つ。ふむふむ、ちょうどいまが蒔きどきで、開花は7月と9月。お茶にしようかな、お風呂に入れようかな。頭の中では、少し下を向いて開く真っ白な花びらが風に揺れていた。

けれど、今年は暑すぎたのか7月に開花はしなかった。花がつくどころか枯れてしまって、等間隔にカモミールを植えた鉢にぽっかりと穴を作ってゆくばかり。ぽつぽつとまた生えてくる緑色の芽を見ては、秋に咲くんだろうな、と楽しみに待っていた。

それなのに、9月になっても、つぼみはつかなかった。植木鉢からもさもさと溢れるほどに繁っていた葉はもう跡形もなく、雨がふった翌日には驚くべきスピードできのこが生える。今朝起きて植木鉢を見ると、カモミールよりきのこの本数の方が多かった。恨めしく植木鉢を見つめる。

「見て、こんなに」

からから、と玄関の扉を開けて出てきた母を呼ぶ。

「あら、どこから来たんだろうねぇ」

嫌だなぁこんなに生えちゃって、と苦笑いする私をよそに、母は家族ラインに送るのだと言いながらぱしゃぱしゃと写真を撮っている。

ポケットにスマホをしまいながら、母が呟いた。

「ここに生えたのはご縁があったからだね」

「ご縁?」

「土に混ざってたのか、飛んできたのか。隣のうちのお庭じゃなくて、うちを選んでくれたと思ったら可愛いでしょ?」

ほらこれも、と母が足元の楠を指さす。家の壁のすぐ近くに何年も前から生えているのだけれど、大きさは膝くらいの高さのまま、何年も変わっていない。

「おじいちゃんは家の土台をひっくり返されるから抜け、っていうけど、うちに生えてきたのもご縁だからね。大きくなりすぎないようにちゃんと剪定するから、って残してあるの」

思いがけず出会った可愛らしい言葉に、ふふ、と笑みがこぼれた。

もう少しずつ秋の気配がする気温だけれど、きのこは夕方にはぱたりと倒れてしまう。しなびた姿はちょっとかわいそうだ。朝には感じなかった愛おしさが、じわりと沸く。

夕風はすっかり涼しいけれど、まだ暑いもんね。植木鉢の前にしゃがみこむと、あ、と声が漏れた。

一本だけ残っているカモミールに、ひとつ、小さなつぼみがついていた。


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