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「ひとり」でも、大丈夫

母曰く、私は昔から「群れない子ども」だったらしい。

自分で意識をしたことはなかったけれど、そういえばそうなのかもしれない。ひとり旅は全く苦にならない、というかむしろ好きだ。映画館なんて、ひとりで行くところだと思っている。行きたいお店があれば、東京にでも大阪にでも、ひとりで食べに行く。焼肉は、ちょっとハードルが高いけれど。

「ひとり」はとっても自由で、楽しいものだと思っていた。

「ひとり」で踏み出しても、私は絶対にやっていけると思っていた。



大学三年生のとき、初めてのインターンシップに参加した。

地方紙の新聞記者を目指していたのだが、知り合いの記者に「全国紙も見ておくといいよ」と勧められて、某全国紙のものに応募した。恥ずかしながら、インターンシップに選考があることなんて知らなかったのだが、運よく選考を通過。大阪で行われた1日インターンに参加することとなった。

本社はめちゃくちゃ綺麗で、ドラマに出てくるようなガラス張りのビルだった。受付を済ませ、見慣れない高層階からの景色にワクワクしていた。まさに「おのぼりさん」気分で。私、「就活」を名目に全国をこれからひとりで旅行できるんだ!

会場に入ると、席は4人グループで組んであった。着席した人と簡単な会話をして開始を待つ。初めての人との会話も苦ではなかった。今までいろいろなところに「ひとり」で参加してきた私は、大丈夫だと思っていた。


人事担当者の司会でインターンシップが始まった。参加学生は30名くらいだろうか。

「それではまず、おひとりずつ自己紹介をお願いします。普段大学でどんなことを勉強しているかも簡単に教えてください」

全員の前で、ということでマイクが回ってきた。周りの学生は、東大、京大、早稲田、慶応…。いわゆる「マスコミに強い」大学の学生ばかりだった。それに対して私は地方の小さな大学の学生で、社会学部でも政治学部でもなかった。栄養学を学んでいた私は、「最近は実習でピーマン200個を千切りしました」と言った。ウケたけれど、実習でピーマン200個千切りなんて私たちにとっては普通のことだ。普通だから全然面白くないはずなのに、不自然に起きた笑いで、ずしんと実感した。


あ、私いま、「ひとり」なんだ。


今まで大丈夫だったはずの「ひとり」。好きだったはずの「ひとり」。それなのに何だかとてつもなく心細かった。ペアを組んで行ったインタビューの体験も、撮影の体験も私の手に負えるものではなかった。何とかまとめた記事の発表もうまくしゃべれず、社員の方とのランチでもうまく質問ができなかった。力不足なのが悔しくて怖くて、ペアの人がとった撮影体験の写真の私が、変な表情をしていないかばかり気になった。


プログラムを終えて部屋を出ると、日はすっかり暮れてしまって目の前には夜景が広がっていた。悔しいくらい綺麗だった。でも私はここで働けない。働くには足りないものが多すぎる。同じグループの人に夜ご飯に誘ってもらったけれど、新幹線の時間があるから、と断った。本当は自由席のチケットだったけれど、この場違いなところにいる私を、一刻も早く「ひとり」にしてあげたかった。


ビルを出てしばらく歩いた。通信制限でうまく使えないGoogle Mapがもどかしかった。最寄りの地下鉄の駅までそんなに遠くはなかったはずなのに、全然たどり着けない。かなり歩いたはずなのにまだ見える新聞社のビルには煌々と明かりが灯っていて、涙で滲んでやたらキラキラして見えた。


いいや、もう。タクシー乗っちゃおう。


通りかかったタクシーを止め、最寄りの新幹線の駅を告げる。地下鉄の駅では近すぎて申し訳ない。「わかりました」といった運転手の声は、とても若かった。

今まで乗ったタクシーの運転手の中で、彼はダントツに若かった。30代、いや、20代かもしれない。バックミラー越しに見える黒縁眼鏡がよく似合っていた。

リクルートスーツを見てか、しばらくして彼は口を開いた。

「就職活動ですか?」

「はい、でも面接ではなくてインターンで」

「へえ。どこのですか」

「そこの新聞社です」

「格好いいじゃないですか。どうでした?」

どうでした、と聞かれると、視界がまたじわじわと滲みだす。

インターンなのに選考があったこと、選ばれて嬉しかったけれど私は場違いな存在だったこと、何もかも力及ばずだったこと。話すと止まらなかった。「ひとり」で大丈夫だったはずなのに、その「ひとり」が心細くなった私はこれから戦っていくのが怖かったことまで話した。

赤信号で止まると、彼はそっと話し出した。

「大丈夫ですよ。選ばれて来られたんでしょう、すごいじゃないですか。僕なんて中卒です。ずっとひとりでこの仕事やってますけど、生きていけてます。ひとりでも大丈夫です。他の仕事でも大丈夫です。でも、今日その経験をしてそうやって考えてるお客さんはすごいです」

我慢していた涙がぽろんと零れた。「大丈夫」なんてこれまで数えきれないほど聞いてきているのに、初めて聞いたみたいにほっとした。

駅に着いて支払いを済ませる。お疲れさまでした、とか頑張ってくださいね、ではなく、彼はまた「大丈夫です」と言った。

「はい」というのが精いっぱいだった。喉に熱いものがたまって、変な声になってしまった。すぐにお手洗いに入り、鏡を見る。もう目も赤くない。

大丈夫だ。


就職活動がスタートし、新聞社を中心に受験した。いいところまで行ったけれど、結局ご縁をいただくことはできなかった。

今、新聞とは関係のない仕事をしている。未練が全くないと言えば、嘘になる。それでも今の仕事は楽しい。他の仕事でも大丈夫だったみたいだ。相変わらず、「ひとり」も好きだ。周りと違うとき、力不足だと思うとき、何かを始めたいとき、いつも言い聞かせることにしている。

「ひとり」でも、大丈夫だと。



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