赦すことを知っていたか

ちょうど一年前の今ごろ、会社で急に涙が出そうになったことがある。誰かから怒られたわけでも責められたわけでも、何かミスをしたわけでもない。少し忙しかっただけの、何の変哲もない一日。朝から昼前まで続いた会議の途中、急に視界がぼやけて鼻の奥がつんとしたのだ。喉の入り口の辺りまで、かっと熱くなる。

大きなテーブルの四辺を囲むようなレイアウトで、対面には上司が座っている。気づかれないように資料を読むふりをしながら下を向いてごまかした。

何で?どうして?何がしんどかった?

思い当たる節のない初めての涙に焦る。零れてはいないから、目が合わなければ気づかれないはずだ。落ち着け、ゆっくり息をしよう。周りの話は全く頭に入ってこないけれど、しばらくすると涙は零れることなく乾いてゆく。

もう大丈夫。頭と耳を会議に戻す。しばらくすると、再びひたひたと熱が押し寄せる。ゆっくりと冷たい空気を身体に取り込む。そうやってただ、会議が終わるのを待った。

しんどかった。涙を抑えるのにこんなに体力が要るなんて知らなかった。入社して一年半、一度も体調不良で休んだことはなかったけれど、会議が終わるとすぐに上司に「体調がよくないので帰ります」と伝えて半休を取った。すごく上司は心配してくれたけれど、本当に悪いのは「体調」じゃない、と思うと申し訳なさが募った。

会社の建物を出て、早歩きで自分の車を停めている駐車場に向かう。ヒールの音が煩い。もう泣いても大丈夫、と思ったけれどそれを許すと不思議と涙は出なかった。いつもより大きな音でドアを閉めると、何だかほっとした。

それでも、家まで運転しているとやはりじわじわと視界が滲みだす。信号の色は分かるけれど、これでは危ない。ダッシュボードに備え付けられた物入からティッシュを出し、涙を吸わせる。ひとりの車内に、鼻水をすする音だけが響く。「こんなことで休みを取るなんて情けない」。今度はきちんと理由が分かる涙だった。

初めて早退した私を母は心配したけれど、「熱中症かな」と言っておいた。「これならあるよ」と差し出されたポカリスエットを飲みながら、クーラーを効かせた部屋でタオルケットに包まってごろごろしてみる。けれど私は「体調不良」ではないから、眠くなることもない。今頃みんな、働いてるだろうなあ。申し訳ない。

スマホを手に取り、検索窓に入力する。

会社 ずる休み

「我慢して働け」と書いてあると思った。

「そんなことで休んではいけない」と知らない誰かに怒られると思った。

けれどそんなこと、誰も書いていなかった。

「ずる休み」と呼ばれるものでも、場合によっては必要。必ずしも悪いことではない。
仕事なんていうのは、意外とどうとでもなるものです。
ずる休みを一度もしたことがない、と堂々と言える人は、割と少ないものですよ。

画面をスクロールしながら、またじわじわと涙が滲む。これも分かる。安心、しているのだ。画面の光が強くなる。そうか、これで、いいのかな。

母が夕飯だと呼ぶ声で目が覚めた。少し眠っていたみたいだ。

この間、新入社員の本配属前に先輩として講話をしてくれないか、と頼まれた。人事部長は「経験談なら何でもいい」と言ってはいたけれど、きっと誰も教えてくれないこれを、私はこっそり伝えたい。

「休む理由は、何だっていい。『ずる休み』でも大丈夫」

ひとりで戦わなければならなくなるその前に、それぞれが抱える「こうあらねば」を、柔らかくほぐしてあげることができたなら。

毎晩パソコンで講話の原稿を作りながら、言葉の端々にその思いを忍ばせている。

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