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刃を研ぐ

どんな世界に身を置いても、「あの人には敵わない」という人がいつもいる。

小学生のときは、何でもそつなくこなす双子の姉。

中学生のときは、ちょっぴり大人びていた同じ部活のあの子。

高校生のときは、同じ名前の帰国子女の同級生。

それからもちろん、今だって。

私は今、週に一度しか会わない、ある男性の背中を追いかけている。

毎週土曜日に通っている生け花の教室に、ひとりだけ年配の男性がいる。いつも奥さまと一緒に来て、静かに、それでいてスピーディーにお花を生けている。

ぱちん、ぱちん、と響く、茎を切る音。こぽこぽと、花器に水を注ぐ音。建物にまで響く、トラックが通り過ぎる音。先生が生徒の間を歩きながら話す、他愛もないこと。

そんな音など耳に入っていないように集中しているのが、男性の後ろに座る私にも分かる。葉は最低限まで落とされ、細い茎の線を生かすように生けてある。思いのままの葉のうねり、完璧な花の開き具合。空調の風でさえ揺らすことのできない、まるで時間が止まったような作品がそこにある。どうすればあんな風に生けられる。目に焼き付けようと、男性の肩越しにいつも花を見つめている私には、きっと誰も気づいていない。

「これ、研いできなさい」

この間、「花鋏が錆びている」と先生に指摘された。水につかり、花や草の灰汁が付く鋏は、あっという間に錆びて黒ずんでしまう。仕事帰りにばたばたと教室に通い、きちんと道具の手入れもせずに教室に通っていたことは、やはり先生には隠せなかった。

「今度、こっそりあの人の鋏を見てみて。新品みたいだけど、10年は使ってるはず」

そう先生に紹介されたのは、あの男性だった。次の週のお稽古で、いつもは花にばかり注ぐ視線を鋏にやった。

先生の言う通り、男性の鋏はまるで新品だった。取っ手も刃もぴかぴかと輝いていて、私の鋏とは大違いだった。有名な野球選手のエピソードをはじめとした「道具を大切に」という話は何度も聞いてきたけれど、自分の目で見るその鋏は、今までに聞いてきたどの話よりも痛かった。その日、私もいつもより丁寧に鋏を扱ってみたけれど、誰がどう見たって男性の鋏が綺麗だった。いつもの雑な扱いが、ちらりと顔をのぞかせる。ごん、と机に鋏がぶつかる音が響いて、少し恥ずかしかった。

これじゃ私、上手になれないままだ。

今は研ぎに出す時間はないけれど、せめて。帰り道に、錆び取りを買った。

もう教室に通い始めて六年になる。正確にはもう少し長いだろうか。幼稚園の頃、叔母から習っていたのだ。

中途半端にしたくないからまた習い始めたのだ。上手になりたいから続けているのだ。その気持ちは、まだあるはずだろう。

錆びた刃を見ていると、その気持ちを忘れた私そのものだ、と思う。刃先を傷つけないように、錆び取りでそっと擦る。茶色い粉が舞う。

小さな水盤の上だけでいい。私も、時間を止めてみたい。

鈍く光る刃が、少しずつ、再び現れる。

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