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橘、文フリ出るってよ【冒頭文紹介あり】

 こんにちは、橘です。
 自費出版するぞと公言しながらやるやる詐欺を4年も続けてしまいましたが、2022年11月にようやく文フリ出展までたどり着きました。

 本記事では、出展する作品のあらすじと冒頭文の紹介をします。手っ取り早く冒頭を読みたい方は目次から該当の作品まで飛んでください。
 また、Twitterからは画像媒体で同様の内容が読めます。→リンク

【東京流通センター 第一展示場 C-20】でお待ちしております

 ※文学フリマの開催情報はこちら

『空色の季節』 ポストカード付き700円

『空色の季節』表紙(イラストはmidjourneyで生成)

 『空色の季節』は、短編3篇を収録した短編集です。
表紙と同じmidjourney生成の各作品のイメージボードを印刷したポストカード3枚付き、700円(下記の詩歌集とセットで1000円)

 思春期から青年期の3人の男女が主人公で、それぞれ夏秋冬の3つの季節をイメージしています(本来はもう一作「春」をイメージした作品があったのですが、落としました)。

 青春期の男女の心情を繊細な筆致で描いた作品たちです。サークルでの初出稿から、かなり時間をかけて推敲したので、皆様の期待に添える作品に仕上がったと思います。
 特に『白い音』はサークルのゼミでの発表時も、noteで公開した時も割と評価をもらえた自信作です。

 各作品のあらすじは以下のとおりです。

クジラとぼくと

 あの日見たクジラを今でも忘れずにいる……。
 東京のはるか南、とある島で暮らす少年は岬でクジラと出会う。祖父から貰った不思議な呼笛のおかげだ。何度もクジラに出会う内に少年は不思議な体験をするが、そんな日々はある日突然を終わりを迎える……。
 ––––かつての少年時代と取り戻せない思い出をめぐる物語

『クジラとぼくと』イメージボード

セキレイ

 かつて愛を知ったはずの男と、未だ愛を知らぬ女がふとしたきっかけで巡り合う。大学入学を機に変わろうとする2人は徐々にお互いに惹かれていく。––––愛を知ろうとする2人の不器用な物語。

『セキレイ』イメージボード

白い音

 高校生の「わたし」は無理やり合唱コンの伴奏役を任される。音楽が嫌いなはずの「わたし」が練習を続けられるのは、「彼女」のおかげだ……。
 ––––ふれたら雪のように溶けて消えてしまいそうな、そんな思いを抱えた少女の切ない物語

『白い音』イメージボード

『瑠璃の花』 ポストカード付き400円

 『瑠璃の花』は筆者が中学から大学までの間作った和歌・短歌を集めた詩歌集です。
イメージボードを印刷したポストカード付き、400円(上記の短編集とセットで1000円)

 『瑠璃の花』は2015年段階でまとめた「青き春」、2016年段階でまとめた「あかね空」、そしてそれ以降の歌をまとめた「瑠璃の花」の3部構成です。
 「青き春」「あかね空」は文語調の和歌、「瑠璃の花」は現代短歌になっています。前半2つは、古語に慣れていない方でも比較的読みやすいかと思います。また、表題作「瑠璃の花」は恋愛短歌をメインテーマとした作品になっています。

『瑠璃の花』イメージボード


各話冒頭

クジラとぼくと(冒頭4p分)

 星も瞬かないような夜に、暗く海に沈む。
 深い藍色に染まった冬の海、
 どちらが上で、どちらが下なのかもわからずに、
 寄せては返す白波が、割れては砕け、裂けては散ってを繰り返し、
 不定形のまま僕の体を水底に引きずり込む。
 激しく耳に侵入する海水、鼻を猛烈につんざく潮の香り、
 あらゆるものが敵意をもって僕に襲いかかってきた。
 しょっぱいとも感じないほどに、舌が麻痺する。
 氷のように冷え切った海水が僕の身体を否応なく縛りつける。
 五感すべてが海に支配されるけれど、
 それは決して何もかもを受け入れてくれる母の抱擁ではなく、
 冷徹な王のような海からの拒絶だった。
 そして、どれだけ苦しみに耐えても、
 かつて聞こえたはずのクジラの声が僕の耳に届くことは無かった。



 クジラの声を聞いたあの岬での日々は、島を離れて暮らすようになった今でもよく覚えている。昭和も暮れの頃、僕がまだまだ子どもで、夢見がちだった頃の話だ。
 そもそもその岬に行くようになったきっかけは、祖父に連れてきたもらったのが最初だった。島の中心地の町をずっと下って、途中から道とも言えぬ隘路をぬって、二時間近く歩いてようやくたどり着く岬。島の人間でも寄り付かないような森の向こうにあるまさに秘境と言える土地だった。長らく島に住んでいる祖父でないと知らないようなこの秘密の場所に、当時小学生だった僕は冒険心に火をつけられた思いだった。
 そうして、祖父に連れられ何度も岬に行くうちに、そこは学校のグランドを抜いて僕の一番のお気に入りの場所となり、時間さえあればひとりで毎日でも通うようになった。

 岬は崖の上にあって、遠く地平線のかなたまで見渡せる絶好の見晴らしスポットになっていた。また、誰かと鉢合わせになることがないから、人とのつながりが強い島の中で、唯一ひとりになれる場所でもあった。
 中学生になってからも、岬に通うことは習慣ともいえるほどに続いた。家に帰れば勉強はどうしたと口うるさく言ってくる父親がいたし、学校では勝ち気な性格のせいでしょっちゅう友達とケンカばかりしてしまっていたから、岬だけが僕の心の休まる場所だった。
平日は放課後の数時間しかいられなかったが、休みの日は朝日の昇る前に起きて、弁当代わりにサンドウィッチなんかを不器用なりに作ると、一目散に家を出て自転車を漕いでいった。途中で自転車を道端に止めてから、徒歩で森を進んでいく。そうして最後に坂を登りきると、目の前に水平線の向こうから顔を出す太陽の光景が広がっていた。携帯電話なんて普及するずっと前のことだから、当然その景色を写真に映すことは出来ず、忘れてしまわないように目に焼き付けようと懸命に眺めていた。

 あの眩しさに包まれると、早起きの眠さも、歩いてきた疲れも、なにもかもが忘れられた。それから何をするでもなく、持ってきたサンドイッチをつまみながら、夕日が海に飲まれるまでずうと岬でぼんやりと過ごすのだった。
 岬に通うなかで、普段の生活では体験できないような出来事がいくつもあった。
 例えば、市街地では見られない花や動物に出会えたことだ。特に岬へ向かう森はまさに手つかずといった感じで、あちらこちらに珍しい花が咲いていた。初めはなんとなく視界の端に写り込む程度の認識だったが、通っていくうちに段々とそれらの花の名を知らないことがもったいなく感じてきた。そこで学校の図書館で借りた植物図鑑を片手に、森の中を歩き回ることにした。春にはビーデビーデ、初夏にはロースード、海岸近くにはヤマイチビやカイガンイチビなど、数えきれないほどの花が照るように咲いていた。この時の僕は、花の名を知るごとに、世界の真理に一歩ずつ近づいた気さえしていた。

 そして、その花のそばにはたいてい小鳥たちも姿を見せていた。メグロやヤマバトといった珍しい鳥も何度か見たことがある。図鑑を手に動植物をめぐる姿はまるで探検家のようで、ファーブルやダーウィンの気分だった。
 この岬で、僕はクジラと出会った。
 僕はいつも岬へ向かう時、祖父からもらった角笛を携えていた。
 その角笛は、正確には「角」ではなく「クジラの歯の骨」から造られた呼び笛で、吹くとクジラの鳴き声に似た音が鳴り響いて、しばらくするとクジラが何頭も沖合に集まってくるという珍しい笛だった。音楽がからっきしな僕が適当に吹いても、クジラはいつも青い水面をかき分けてその巨躯を僕に見せつけてくれた。

セキレイ(冒頭4p分)

 思いっ切り笑って、そうして悲しくなった。
 いつもそうだ。中身と外見が一致しない。
 ずっと前の記憶がいつまでも邪魔をして、感情というものが、魂というものが、よくわからなくなってしまう。このままで良いのかなって思いながらも、結局満たされない思いだけが溜まっていくばかりだ。

 僕がかねてから志望していた大学に合格したのは三ヶ月ほど前の二月下旬のことで、まだ少し冬の厳しい寒さが感じられる頃だった。どうしてこの大学を志望したのかは自分でもよくわからない。もしかしたらいつかの約束のためなのかもしれないし、あるいは、現実逃避のためだったのかもしれない。
 どちらにせよ理由なんてなくても困ることはないし、いずれ後からそういう理由付けはついてくる、と自らに言い聞かせることで思考することから逃げていた。とにかくその大学に行かなければならないという、強迫観念にも似た熱情に突き動かされ、受験勉強を乗り切ることができた。
 四月三日、僕は入学式に臨んでいた。桜はもうすぐ満開を迎える頃で、春のやわらかい風に花びらが幾重に散っていた。
 中学校ぐらいまではわくわくした気持ちで入学式に参加していたけれど、今の僕は正直言って不安でしかなかった。式に出席すること自体億劫で、どうせ学長の長い挨拶やらまだ覚えてもいない校歌の合唱やらがあるのかと思うと乗り気になれなかった。僕は親に言われて渋々着慣れないスーツに身を包んで、会場の後の方に陣取った。開式まであと三十分。僕はなんとなく考えごとを始めて、気付けばこの間の卒業式のことを思い出していた。

 ほんの数週間前の三月十六日、卒業式の日に告白された。
 卒業式が終わってホームルームの時間、友人たちがアルバムにありきたりな言葉を書き合っているときに、僕は呼び出された。「一階の自販機前で待っていてください」と彼女のメールにはあった。普段は人の多い場所だが、その日は皆々教室でそれぞれに別れを惜しんでいて、誰もいなかった。そこで僕は告白された。
「鳴実くん、好きです、付き合ってください」
 彼女の緊張した息遣いが切々と感じられて、それが痛いほど胸に届いた。紅潮した頬は林檎のように丸く美しかった。告白してきた相手は部活が同じの同級生で、ショートカットがよく似合う快活な女の子だった。絶世の美人というわけではないが、恐らく世の「綺麗な人」の部類には入るであろう整った顔つきの子だった。クラスの中心になるような、明るくみんなから人気のある子だった。普通の男子高校生だったら喜んで受け入れそうな申し出を、僕は丁重に断った。

 それは、どうしようもなく愛を恐れて、彼女の思いに応えることができないと感じたからだ。
 恨むなら僕なんかに恋をしてしまった自分自身を恨んでくれと心の中で毒づいた。人の一途な思いを踏みにじったことに対して罪悪感は少しも感じなかった。
 せめて手紙だけでも、と彼女はラブレターを取り出したけれど、丹精込めて書いたであろうそれも僕は受け取らなかった。そのことがよほど悲しかったのか彼女は泣き出してしまい、赤く染まった頬に涙がいくつも筋を作っていた。僕はひたすらごめんねと薄い言葉を連ねて彼女を慰めつつ、そのさまを虚ろな眼差しで見つめることしかできなかった。同情の涙すら流せない。どうしようもないんだ。僕に君の思いを受け止めることはできない。できないんだ。
 しばらくして彼女の嗚咽が落ち着いたのを確認すると、また一言、ごめんなとだけ言って僕は一人で教室に戻った。自分の席に座ると周りにいた友人が、おい、呼び出されたんだろ、どうしたんだよと茶化してきた。なんでもないよと苦笑いを浮かべて僕は流そうとしたけれど、その瞬間に後悔が僕の頭を殴りつけた。素早くそして力強く。ああ、どうしてこうなってしまったんだろう、どうして僕はもっと彼女を救ってあげられる言葉を投げかけなかったんだろう、と涙も流さずに僕は悔恨した。

 かつて僕の感情的な言葉によって「彼女」は傷付いてしまった。鋭い言葉の刃が「彼女」の心臓を貫いた時、僕は自分自身に誓ったはずだった。二度と言葉によって傷付けるようなことはしない、二度と感情のコントロールを誤るようなことはしないと。それなのに、また僕は誰かを傷付けてしまったんだ…………。

白い音(冒頭4p分)

 かすかな朝、目を覚まして一人きりだと知る、その瞬間がこの世で一番悲しい。
 寝る前に「明日天気になあれ」と願うような恋はいつまでたっても祈りのままで、ふと窓の外を見れば、雪が降っている。寂しさの積もった部屋は静けさだけがこだまして、暗がりのなかで自分の体はぼんやりとしている。自分がこの世界にいるかどうかがまだはっきりしない。確かめるために触れた髪は、昨日乾かし忘れたままでむなしく傷み、ただそれを指先で愛撫することしかできない。
 やわらかい布団の上での数分間は、永遠のようで、それでもやっぱり一瞬で、目覚ましの音で輪郭を取り戻す。わたしは寒さを我慢して、病人のように力なく布団から抜け出し、身支度を整えはじめる。ハンガーにかけておいた制服は嫌に冷えていて、わたしはしぶしぶそれに袖を通す。両親は早くにでかけてしまっていたようで、家にはわたし一人しかいなくて、ただ不気味な静寂だけがあった。

 リビングのテーブルの上には朝食がラップをかぶされて置かれていた。固くなってしまったトーストと、火の通りすぎた目玉焼き。まずさを噛みしめながら、黙々と食べていると、自然とラジオが耳に入ってきた。親がかけっぱなしにしたのか、クラシック音楽が無機質に流れている。その音は都会の群衆のざわめきのように不快で、すぐにスイッチを切った。
 わたしは音楽が好きではなかった。
 両親はふたりとも音楽関連の仕事をしていて、その影響でわたしは小さい頃からピアノを習わされていた。ほとんど毎日と言っていいほどに放課後にはレッスンがあって、友だちと遊べる時間は制限された。厳しいレッスンのせい、というべきかおかげというべきか、ピアノは一人前程度には弾けるけれど、長年教わっていたわりには全然上達しなかった。なにより、他人から押し付けられたものに自信なんて持てるわけもなかった。それでも、ピアノが弾けることは、いつしかわたしの個性と周りに認識されて、何度か人前で演奏させられたこともあった。

 けれど、わたしはそもそも演奏だけじゃなく、人前に立つことそのものが大の苦手だった。幼稚園のお遊戯会の演劇もセリフがほとんどないような役ばかりだったし、小学校の作文を音読する授業は、あまりにわたしがしどろもどろするものだから、先生が見かねて「もう大丈夫よ」と声をかけるありさまだった。
 ピアノの発表会は、幼稚園の頃から何度もあったけれど、そのたびに緊張で吐き出しそうになった。審査員の目が怖かった。観客の期待が怖かった。親のプレッシャーが怖かった。何もかもが恐ろしくて、本番前はずっとトイレにこもってただただ体を震わせるばかりだった。ピアノを弾いている時間はこの世で最も苦痛に満ちた時間で、だからわたしは高校に入ると同時にピアノを辞めることにした。
 「辞めたい」とは小学生の頃から何度も両親に言ってきた。けれど、そのたびに父はわたしを怒鳴りつけ、母は言い聞かせるように続けなさいと言った。でも、高校入学の今辞めたいと言わなければずっと親の言いなりになってしまう気がして、もう殴られることも覚悟して強く主張した。
 最初こそいつもの通りに反対した両親だったが、わたしの強情な様子を見て、諦めるように辞めることを認めてくれた。その時の呆れと憐れみに満ちた両親の目が、今でも脳裏に焼き付いている。

 高校入学を機に何か変われる気がした。ピアノを辞めることができたし、何か新しいことでも始めようと思った。でも、高校一年の合唱コンのパート決めのときに、友だちがこの子ピアノ弾けるんだよなんて言うものだから、結局合唱コンの伴奏をやるはめになってしまって、その流れで今年もまた伴奏を任されることになった。
 もちろん辞めてしまったとは言え、そこそこには弾ける。しかし、合唱コンともなるとそうもいかない。そこそこではなく、完璧に、それも聴く人を感動させるような、そんな演奏が求められるのだ。合唱コンごときに、と自分でも思うことはあるけれど、常に完璧を求められた音楽教室の教えが皮肉にもわたしの奥底にあるらしい。やるからにはと、やりたくもないピアノの演奏に焦燥感を覚えている。

 こういう義務感とか責任感とかがつきまとう仕事が苦手だ。誰もわたしに期待しないでほしい、誰もわたしを見ないでほしい、誰もわたしの演奏を聴かないでほしい、と思っていた。
 本番まで一週間となり、流石にわがままばかりも言っていられない状況になってきたので、最近は朝早く起きて音楽室で自主練している。もちろん今までも放課後に練習を重ねてきたけれど、やっぱりどこかうまくいかない部分があった。真冬の朝はわたしを呪縛のように布団に閉じ込めるけれど、それでも練習に足が向くのは、彼女が練習に付き合ってくれるからだ。
 彼女のことを思えば、少しぐらいの早起きも我慢できるし、嫌いな練習も耐えられる。だから今わたしは冷え切ってしまったトーストを牛乳で流し込んでいるんだ。

瑠璃の花(抄)

花細し匂ふ桜がつぼみこそうれしき時のきざしなめり

華の香はおぼろにかをり春の野を彩り染めし錦なりけり

さくら花匂ひわたるをながむれどわびしくみだる東風のふくから

風はげみ散りかひ曇るむつ花の白き肌へに触れましものを

風温みさくら紐解く時なれどとみなる雨に散れる悲しさ

岩舟の遠きに春も来たりけり花咲く山の経らずもがもな

缶コーヒー買いに出かけた午前二時たいてい夜はちょっと寂しい

雨の日にカフェで頼んだコーヒーは少し苦くてすぐに冷めてしまって

コーヒーがぬるくなっていくたびに死がまた一歩近づいてくる

今宵見た月を写真で切り取って貴女に見せることもできない

春先になまあたたかく降る雨は中途半端な君の優しさ

胸なんておまけに過ぎないそう言ったあなたはとても巨乳好き



【今日のタイトル元ネタ】
『桐島、部活やめるってよ』(きりしま ぶかつやめるってよ)は、朝井リョウによる日本の青春小説、およびそれを原作とした日本映画。著者が早稲田大学文化構想学部在学中の2009年に、第22回小説すばる新人賞を受賞したデビュー作。これによって著者は初の平成生まれの受賞者となった。(Wikipediaより)
同じ大学の大先輩の作品だが、まだ読んだことがない。

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