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今、求められるライターのスキル

月の売上が3万円代だったときにずっと考えていたことがある。

「どうすれば、自分の望むような仕事がいただけるようになるのか?」

名刺交換の際に「ライターです」と名乗るのが板についてきた頃、私はそれまで続けてきていたメディア記事の仕事から少しずつ距離を置くようになっていた。

娘のイヤイヤ期と重なり、仕事が捗らない。
せっかく取り掛かっても、中断してしまう。
企画を何本も立てなくてはいけないのに、ゆっくり考えられない。
「おかあさんと一緒」を観ながらダンスでもしてあげたいが、それも集中できない。
リビングと仕事場を仕切るベビーフェンスに全身を押しつけ、まるで今生の別れのように泣き叫んでいる娘を毎日見ているのも辛い。

そんな日々が続き、正直、私は追い詰められていたように思う。

今は当時からは考えられないほど原稿料が高くなっている(その分求められることも増えている・・・)から、現状とは少し合わないところがあるかもしれないけれど、とにかくメディアの仕事の仕事で食べていこうと思ったら、本数勝負なのだ。

当時は1本あたり5,000円くらいが相場だったのではないだろうか。末端のライターに降りてくる間に大人の事情でいくらか差し引かれれば、当然それより下回ることもある。
それでも、仕事の内容は一般的な原稿制作の仕事と変わらない。

企画を出し、取材対象者を探し、アポ取りから取材をする。
取材が終わればテープおこしに取りかかり、構成を練り、書いていく。

同じルーティンで毎月何本も大量にこなしていく。
そんな自分のことが、機械のように思えて仕方なかった。

どこかの編集部に就職できれば、この状況は改善できるのでは。とも思ったけれど、ライターになるときに「二度と就職はしない」と決めた自分との約束を守りたい。
前職、自動車メーカーはとても居心地がよかったけれど、雇われるということ自体が性に合わなかったのだから、どうせまた同じ過ちを繰り返すだけだとわかっていたし。

またある時には、ライターに向いていないかもと思った(今もときどき、思う)。

でも、心のどこかでずっと憧れていた業界だったのだ。
本に関わる仕事がしたい。
文章で伝える仕事がしたい。

それがようやく叶ったのだ。
だから、やめたくない。

目の前の物事を咀嚼して、自分のことばでアウトプットしていく行為そのものがとても面白い。
知らない世界に触れ、脳内に引き出しが増えていく感覚も楽しい。
絡まった大量の情報を整理整頓し、組み立て直していくような作業もワクワクする。

いざ、この仕事をやってみたら、楽しいことしかない。
だから、絶対にやめたくない。

でも、残念なことに仕事がない。
私が望んでいた仕事というのは、大量の記事を短期でこなし続けることとは少し違っていた。当然、向いている人もいるだろうと思うが、私には難しかった。

仕事量を抑えた成果は、きっちり収入減として現れた。
これがフリーランスの罠か!と一人で思ったりもしたが、原因を作っているのは自分である(罠ではない)。仕事が減りゆとりが増えたかといえば、増えたのは焦りだけ。これでは意味がない。

なんとかしなくてはと思うけれど、今までの働き方は、もう無理だ。
では、私はどうしたらいいのかーーー。

そんなことを教えてくれる人が、いるはずもなかった。
高校や大学に進路相談室があるように、迷えるライターを包んでくれるキャリア相談室があればいいのに、ない。
だから、いつもいつも冒頭のようなことを考えていたのだ。

話がすごく長くなってしまった。
書くのをやめたい。でも、タイトルをあんなタイトルにしてしまったので、逃げられない。もう少しだけお付き合いしていただければと思う。


さあ、仕切り直そう。
ここからはサクサクいきたい。

仕事がなかった私は、まず自分自身の棚卸しを始めた。
自分が得意とすることや苦手なこと。
実現したい働き方、それから得たいもの(お金やキャリア含む)。
そして、それまでやってきた自分の仕事のやりかた。

いくつかの切り口で自己分析を重ねていくと、あることに気づいてハッとした。そんなことかよ!と思われそうで恥ずかしいから言いたくないのだけど、私には顧客視点がまるでなかったのだ。

取材相手の話をよく聞いて、いい感じに書いていたつもりだった。
スムーズなレスポンスを心がけ、目に余るような行動をしたこともない(多分…)。
たくさん調べて、たっぷり濃い記事を書いたつもりだった。

実際にお取引先の担当者からも「素敵に書いてくださってありがとうございます」と言われている。「さすがライターさんですね、わかりやすいです」とだって言われたことあるもん。

そんなふうに社交辞令に調子に乗り、いつまで経っても依頼者がライターに求めている本質に気づいていなかったのだった。

依頼者がライターに求めていること、それは「売れる文章」だ。
売れる文章と聞いて、即座にセールスライティングを思い浮かべないでほしい。私が言いたいのは、そういうことじゃない。

お金をベースに考えるとわかるのだが、依頼者はライターに原稿料としていくらか報酬を支払っている。とりあえず、仮にそれを5万円だとしよう。その5万円を支払う依頼者は、当然その5万円分の価値(できればそれ以上)を求めるのが普通だ。
ということは、私はそれだけの価値を生むような原稿を書かねばならないことになる。価値というのは、実際の売上かもしれないし、集客かもしれない。あるいは、ブランディングに寄与するものかもしれない。こうしたもののうち何を求められるのかは、依頼主の目的によるだろう。

依頼主の目的を達成するためには、どんな原稿が必要か。
その原稿のために、何を聞き、どう書けばいいのか。

私に圧倒的に足りていなかったのは、そんな視点だった。
この視点が持てないと、いつまで経っても代行の域から抜け出すことができない。いくらきれいに書いたつもりでも、「伝えたいことを上手に表現してくれてありがとう」と言われるのが精一杯だろう。

依頼主が求めているのは、「お客さまに求めてもらうために、自分ではうまく伝えきれないところを伝えてほしい」ということ。
もっといえば、依頼主が本当に求めているのは“お客さまから求められること”であり、うまく伝えることではない。

今、書きたい人がものすごく増えている。
書きたい人を見つけるのは、すごく簡単だ。
でも、実際のところ書ける人は少ないといわれる。
書けるというのは、顧客の求めることが書けるという意味だ。
この視点をもって仕事ができれば、必然的に求められるようになるに違いない。この視点が持てるかどうかに年齢もキャリアも関係ない。キャリアが浅いことを気にする人がいるとしたら、その必要はないと伝えたい。


今、求められるライターのスキルは、
顧客が求める本音を理解し、目的を達成する原稿に仕上げるというスキル。

こんなに難しいことがあるだろうか。
修行しかない。


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