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1/2成人式

次男が小2になった時、長男が自力登校ができるようになり、やっと兄弟揃って登校班に向かうようになった。次男のチックも治まり、小2で次男は感想文や絵画で選出されるなど、右脳分野で活躍していた。
そして長男が小学校を卒業し、次男は小3。サッカーをしたり鬼ごっこをしたり、もちろんゲームもしたり、ちょっと文字を書くのが苦手だけれど、快活な小学生男子だった。

次男が小4になる頃、長男が再び学校に行けなくなった。しかし次男はマイペースに登校していた。
ただ、家に長男がいるのがわかっていたので、だんだんと学童保育には行かず、家に帰ってくるようになっていた(次男の頃には小6まで学童保育に通えるように制度が変わっていた)。ちゃんと英語教室にも通っていたし、長男とも遊んでいたし、私にとっては特に何の問題もなかった。

次男はあまり体調を崩さない。入学してから不登校が始まるまで、一度も欠席したことがなかった。(インフルエンザによる出席停止はあったが)
小4の3学期、世界を脅かす新型コロナウイルスのパンデミック。
公立小学校は休校を決定したが、『1/2成人式』のイベントがその直前に滑り込みで行われた。
10歳の子供達が自分の将来の夢を発表する会。
次男の時は、班ごとにアイディアを出し合い、参観に合わせて発表した。
その時、なんと次男は司会進行役だった。
大の“緊張しい”の次男がまさか手を挙げるとは思っていなかったのだが、緊張しながらも一生懸命で丁寧な司会は、かえって保護者の好感を買い、狙ってかどうかは知らないが笑いまで取って、それは堂々たるものだった。
あんなにお兄ちゃんの後を付いて回って、お兄ちゃんに守られていた子が、教室を切り盛りしていたことに、私は感動していた。
小4の最後は休校にはなったけれど、最高の〆になったなぁと、私は単純にそう思っていた。

異変

次男の小5は新型コロナの影響を受けて、休校のままスタートした。その後しばらくすると小学校も分散登校を開始した。
コロナ禍は社会的にも不穏で、大人も不安定。当然子供達も恐怖心や不安な気持ちを持っていたわけで、しかも新学年はバラバラとしたスタート。
最初からクラスがうまく収まるはずもなく、結構な頻度で学級崩壊に近いクラスが出ていたと聞いた。そして次男のクラスもまさにそうだった。
担任の先生は、昭和を感じさせる定年間際の熱血先生で、崩壊気味の混乱しているクラスをなんとか収めようと頻繁に怒鳴っていたそうだ。

ある朝、いつものように次男を起こした。
普段は起きていきなりパンを頬張る子が、ソファーに寝転がり動かない。
「体調悪い?どうした?」
「・・・」
「しんどいの?熱はかろうか??」
しばしの沈黙の後、絞り出すように次男は言った。
「学校に行きたくない・・・」
そしてボロボロ泣き出した。

・・・ついに来た。
今でもその時の自分の感情をはっきり覚えている。
この子はずっとずっと我慢し続けてきていたんだ。我慢させてしまっていたんだ。学校が辛くても、コロナが怖くても、我慢して我慢して、元気で明るい子として休まないように登校していたんだ。
学校に行けないお兄ちゃん、怒るお父さん、辛そうなお母さんのために、僕はみんなを笑わせるんだ。
小さい頃から染みついた感情だったのだと思う。
次男に巣くっているいつ爆発するかわからない時限爆弾は、私の心の奥でずっと静かに警報を鳴らしていた。なのに私は、次男のとんでもない優しさに甘えて、見て見ぬふりをしていたのだ。

泣きじゃくる次男を即座に抱き締めて、私は言った。
「全然いいよ!休もう!ここまで休まずきたんだから、今度は堂々と休んでいい!心配しなくていいよ!」

次男の不登校は突然始まった。

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