3.自分軸がない
どうにかしなければ
・・・さすがにこれはいかん。
こんなことをしていたら子供達が「自分たちのせいだ」と思い、自分を責めてしまう。それだけはなんとしても避けなければ。
(この時はまだやっぱり、自分のことより「子供」という思考ではあった)
自分の心を整えるために何をすればいいのか・・・
本当にドン底に落ちそうになっていたのだろう、自分自身の存在意義などとっくに見失っていた私は、指南を求めて「占い」に傾倒するようになっていった。「占い破産」という言葉があるらしい。今思えば、瞬間最大風速的にではあるが、結構なお金と時間を使っていた。そうやって、完全に現実逃避していたのだ。
そしてそういう時は、自分にスキもできているわけで、私を利用しようとする危険な人も近寄ってきた。
しかし幸いなことに、哲学や心理学に長けている友人が話を聞いてくれていて、そのおかげですんでのところで事なきを得たりもした。(私の中では彼女はまさに救いの神!)
さすがに、これはもっと良くない方向に向かっているのではないか?と。
この経験の後、少しずつ目線も変わってきたのだろう、私が占いに入れ込んだのは「なにか」にすがりつこうとしていたからだと客観的に見ることができるようになってきた。それとともに頭の中がスーッと冷えるような感覚、冷静さを取り戻していった。
(ただ前述の友人以外に、今も1人だけ私が絶大な信頼を置いているスピリチュアル+占い系の友人がいる。この方のお話はまたいつか…)
自分というものがない
この時点まできてやっと、これまでの自分の基準が「誰かが喜んでくれるかどうか、誰かが幸せと思ってくれるかどうか」にあったことに気付く…などと言えば、一瞬聞こえだけはいいのかもしれない。
しかしこれは結局のところ、自分自身の行動の責任や矛先を、自分ではなく「誰か」に押し付けているだけのことだった。
自分というものがそもそもないから、自分の本質が見えないから「誰か」や「なにか」を盾にして、それっぽく生きているだけ。
「自分軸」がなく「他人軸」
もちろん、こだわりや譲れないものが無かったわけではない。
でも、これまでできるだけ自分の本心を見ないようにしていたのだ。
本当はスポーツがしたいけど、体が弱いからやっちゃダメだ。
家族も心配しているし迷惑掛けたくないから、自分はおとなしくしなきゃ。
友達と遊びたいけど、体調崩すのが怖いし、勉強しておこう。
子供の心が不安定だから、私が支えてあげないと。
学校に行けなくて辛い子供のお世話を、私がしっかりやらなきゃ。
子供が学校に行けない分、先生方にはしっかりした親と見てもらわなきゃ。
…私は、せっせと負の理由を見つけて、自分をギリギリと縛っていた。
自分の本心が何を欲しているのかなんて見て見ぬフリを決め込んで、ずっと根底で堂々巡りを続けながら生きてきたことに気が付いた。
(だから仕事においても、部下のことは考えられるのに、自分のこれからの目標があまり見えなかったんだ!と、すべてに合点がいった)
これが2022年冬。今から約1年前の出来事。
一番の闇は、自分の心の中にあった。
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