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対案なき「野党批判型野党」玉木・国民民主党

「古い政治とは決別しなければならない」とは、玉木雄一郎・国民民主党代表の言葉である。
「昭和の政治をやっていては潮目が変わる」とは、榛葉榛葉賀津也国民民主党・幹事長の言葉である。
榛葉幹事長の言葉は、立憲民主党に対するものであり、玉木氏は自民党も一応批判はしているが、批判の主たる対象が立憲民主党なのは明らかである。

「古い」「昭和」は何をさす

さて、国民民主党が、この立憲民主党の何を「古い政治」といっているのか。

それは、3月1日に行われた、衆議院本会議での立憲民主党・山井和則が、小野寺五典衆院予算委員長の解任決議案において、長時間演説、いわゆる「フィリバスター」を行ったことに対するものである。具体的には、山井氏は自民党の「裏金議員」を読み上げるなどして3時間弱の演説をした。

なぜフィリバスターが行われたのか

これは、自民党が3月1日に衆議院で来年度予算の採決を行おうとしたことへの抵抗行動であった。

予算案は、衆議院の議決受理から30日以内に議決しない場合、衆議院の議決がそのまま国会の議決となる(自然成立)。3月1日に予算案が衆議院を通過することにより、参議院で議決されなくとも年度内に自動的に予算が成立してしまうのである。来年度予算案は、自民党の裏金問題への対応もあり、審議時間も短かく、野党は3月1日の採決に反対していた。
しかし、自民党はそれでも強行採決しようとしていたのである。 

3月1日の採決を阻止すれば、通常、国会は土日は休会となるため、3月4日の採決となり、年度内の自然成立は阻止できる(=年度内の予算成立には参議院での採決が必要になる)。
そこで、立憲民主党が“物理的”に3月1日の衆院予算採決を阻止すべく打ってでたのが、予算委員長解任決議での「フィリバスター」、そして財務大臣不信任案である。

その結果、自民党も3月1日の採決を見送らざるを得なくなった。
最終的には、土曜(2日)に国会を開会するという異例の措置により、年度内の自然成立は阻止できなかった。他方で、ここまで採決を引き延ばしたことによって、立憲民主党は政治とカネ、自民党の裏金問題を追求し、改革する「政治改革特別委員会」(仮称)の設置にこじつけた。

国民民主のフィリバスター批判

さて、冒頭に戻る。
国民民主党は、これらの立憲民主党の動きがとにかく気にくわなかった(というより、格好の批判の餌食にできると思った)らしい。「昭和」だの「古い」だの批判した。しかし、現実にはこれ(フィリバスターや不信任決議案提出等)以外に野党が、自民党の国会(採決)日程をずらす合法的手段はないと思われる。

そこで、玉木氏に、それだけ批判するなら対案はあるのか問うた。その答えは、「対抗策はない」である。
知っている。対抗策は、他にないのである。しかし、それでも玉木氏は立憲の対抗手段を「古い」だの「昭和」だのいって批判するのである。(国会の制度が、「昭和」なのだから、抵抗手段も「昭和」になるのは、ある意味当たり前なのである。)

また(にもかかわらず)、玉木氏は、解任決議や不信任案を連発しない立憲の対応は「中途半端」だという。たしかに、玉木氏のいう通り、2日(土曜日)も、解任決議や不信任案を連発すれば、2日の予算採決もなくなる。その通りである。

そこで、私は、国民民主が不信任決議案等提出を試みればよいのではないか、と問えば、今度は「国民民主党は少数なので不信任案は出せない」という。たしかに、国民民主のみでの提出はできない。しかし、他党に働きかけて共同提出することはできる。その協議すらせず、ただ「中途半端」と批判するのである。
(なお、たしかにいずれ予算は成立するとはいえ、「大人の事情」に詳しくない以上、個人的には、立憲にはもっと抵抗してほしかったという思いはある。)

玉木氏の批判の矛盾

もっとも、この言説自体、従前の玉木氏の言動と矛盾している。
玉木氏は、フィリバスター等を批判し、予算委員長解任決議で賛成して以降、不信任案には反対する意向を示して、実際に1日の財務大臣不信任案にも反対しているのである。解任決議や不信任案提出を連発したところで、玉木氏はそれに賛同するわけがない。まして、仮に提出できる議席数があっても、まず提出することはないだろう。「中途半端」といいつつも、真っ先に、予算委員長解任決議だけ賛成するという中途半端な手段をとったのが、国民民主党なのである。

国民民主党・玉木代表の立憲批判は、本当に「提案」など一ミリもなく、「対案」なきただの「文句」「イチャモン」である。立憲を「批判型野党」だとか言い、自身は「提案型野党」だとかいうが、実際のところ国民民主は、完全に「野党批判型野党」である。

立憲批判の急先鋒・玉木国民民主

玉木国民民主のことは支持しないが、玉木代表下の国民民主(維新も)が、自民よりも立憲の批判を前面に出すのは、戦術であろう。(自民批判より立憲批判の最たるものが2022年度予算案賛成である。予算案賛成は、野党統一候補として選出された議員もいることから、国民に対する背信行為といえ、納得できないが)それ自体理解はする。

というのも、国民民主は自民を徹底的に批判したところで、野党の中で埋没する可能性が高い。特に、同じく労組をバックに持つ野党第一党・立憲民主は、目障りなことこの上ないのは想像に難くない。(そもそも、現・国民民主は旧・立憲、旧・国民民主との合流協議による合意に背いた者達による政党である。)
そこで、差別化するために一番楽な方法が、立憲を批判することである。立憲を批判さえしておけば、一応違う政党なのだという認識はできるだろう。また、右にウィングを広げる玉木国民民主は、立憲不支持の右派層にも手を伸ばそうとしているが、その際にも立憲批判は有効である。

立憲批判で伸びるのか

ただ、この“立憲批判戦術”は、国民民主が立憲より弱小政党だからこそ意味をなすものである。また、これは立憲が超巨大政党(55年体制における例えば社会党)なら効果が大きいが、立憲の知名度は自民とは比べ物にならないがゆえに、その批判に終始してもいまいち効果を発揮しない。
さらに、そもそも自民に代わる、ではなく、立憲に代わるを目指しているがゆえにか、国民民主の政治行動は、やや迷走気味といったところもある。野党でありながら2022年度予算案に賛成したり、玉木氏の自民政権入閣を「噂」されることがその現れであろう。
また、今回の玉木氏の言動をみるに、玉木氏率いる国民民主が野党第一党になることが仮にあったなら、おそらく無抵抗で自民党の強引な国会日程に従うのではないだろうか、といわざるを得ない。そんな野党は、もはやその存在意義を疑われよう。

代表を批判できない国民民主

何より、国民民主の問題は、玉木雄一郎代表を諫める人物が全然いない点である。自民はもちろん、立憲には、代表らに「物申す」党内関係者や支持者がいる。
例えば、自民党裏金問題を批判する自民支持者もいるし、立憲の3月2日採決合意を批判する立憲支持者は少なくない。
他方、今回の玉木氏の発言(「古い」云々)にしても、かつての(とても労組を基盤にするとは思えない)高齢者最低賃金以下で働ける労働法制の整備を目指すといった発言に対して、党内や支持者から大きく批判されたことはあっただろうか。国立大学法人法改正案においては、伊藤孝恵は(文脈からしても)納得していないにもかかわらず、委員会で「党議拘束」に従って「党人」として=玉木に反対できないから賛成するなどということもあった。玉木氏にかつては前原誠司が少し批判をしていたが、その前原も抜けた。

代表信奉者だけで集まる政党に、いったいどんな未来が待っているのか。
国民民主が、野党として、いつか「化ける」ことを願っている。

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