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本気で世界で一番可愛くないと思ってた私を抱きしめにもう一度

出版に向けて書いていた容姿にまつわるエッセイが1万字ほど溜まっていたのだが、出版の話がなくなってしまった原稿をどうするべきか考えた結果、noteで販売することにした。すべて書き上げて他の出版社に持ち込むことも検討したが、それをするには書いた時から時間が経ってしまった。
元々思いの丈をぶつけるように文章を書くことが多いし、書き終わるとすっきりしてしまうたちなので、怒りが持続しないのだ。同じようなことを書いていても、毎回違うことに同じように憤っているだけなのである。
ただ、最近はありがたいことに憤ることが少なくなった。
悪口を言われたらネット上でも現実でも1秒でミュートすることを徹底しているから、嫌なことを言われる回数が減ったのかは定かではない。しっかり見てしまうと傷つきかねないので目の端でぼんやり捉えたくらいでミュートする能力を身につけた。
おかげさまで良いものしか目に入らないので、時が経つたびに愛されている気しかしなくなった。
しかし、ここで掲載する原稿は、容姿を揶揄してくる人への強い怒りと闘志、同じ悲しみを抱えた同胞への慈しみがゴロゴロの状態で煮込まれたような代物だ。

今とこの原稿を書いていた少し前の私とは決定的に考えが変わっているところがあるので、付け足しとして、いまの私の価値観を書き下ろした。
変わったところとしては、原稿を書いていた時期の私は「私は自由にブスである権利がある」と思っていた。もちろん今もその権利は私の手の中にしっかり収まっている。
いまの私は「私は自由に可愛い人間である権利がある」と信じている。
順位をつけられたら上じゃないだろう。でも、その程度のことは私が可愛くない証拠に弱すぎる。
私を可愛いと思えない人は大勢いるし、それを責めるつもりは毛頭ない。人それぞれ何かを見てどう感じるといった感性が違うからこそ、今日までに多様な創作物が生み出されてきた。
私のことを醜いと感じる人も多様性の一旦を担う大切な人々なのである。それだけの理由で私がそんな人々を愛することを諦める必要はない。同じように私の見た目を好ましくないと思ったってそれが私を愛さない理由にもならないと思う。

そして、そういった人が何人いようとも、それは決して私が可愛くない証明にはなり得ない。ここを勘違いする人は多い。可愛くないと思う方も思われる方もよく勘違いしてしまいがちなのだが、私が可愛くないから可愛くないと感じるのではないということをもう二度と忘れないようにいつでも見えるところに刻んでおきたい。例えば、私にわざわざ可愛くないとつっかかってくる奴の額とかだ。ただ、各人が可愛くないと感じるだけの問題なので各人の心の中にとどめるべきなのである。

私のことを可愛いと思えないという自分の問題を私に押し付けないで欲しいのだ。

世界にはゴキブリを気持ち悪い生き物だと思う人が大勢いるだろう。だからと言ってゴキブリは気持ち悪い生き物なわけではない。モルフォ蝶やバラの花よりもゴキブリが美しくないものなんて誰も決められはしないのだ。一般受けはしないかもしれない。しかし、ただそれだけの話なのだ。美しさが多数決で決まるはずはない。一斉を風靡した流行歌が知る人ぞ知る名曲の数十倍良い歌と決まっている訳ではないことは今更語る必要もないくらい明白だ。
まずあり得ないことではあるが、世界中の一人も美しいと思わなくても、それは美しさである。これだけ価値観の違う人間が大勢いる世界で全員一致を生み出すほど完璧なものが美しくないわけがない。
今、この原稿を公開しようと思ったのは、どんな文脈であれ私はもうブスという括りで何かを語るつもりがなくなったからだ。世界には理解者の多い美と知る人ぞ知る美があるだけだ。

理性では本心からこう思っている。しかし、いまでも時折、いや、頻繁といっても良いほどに容姿に強いコンプレックスを抱いている過去の自分が憑依したように悲しくなったり苦しくなったりしてさめざめと泣く夜がある。
本当はすっきり全てに打ち勝ったような爽やかな顔をしていたいけれど、立ち直れない日の私もまた私なのである。
この原稿も連続性のある私を構成した考え方の一つだ。
三歩進んでは二歩下がるような毎日だが、それでも進み続ける限りどこかに続くと信じている。

今から掲載するのは

・呪いの装備は顔じゃなくて「こうあるべき」という圧力
・可愛いか、可愛くないか。それはこの際問題ではない。
・ブスと美人は本当に皮一枚で隔てられているのか?
・美人で得したことは匿名でも話しづらい
・「顔以外いいところがない」という罵倒に憧れる

の5本です。日の目を見なかったエッセイをぜひ読んでいただけたら嬉しいです

それではどうぞ!

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