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心底私は可愛いし、心底みんなも可愛い

昨日、大学四年生の頃の写真が出てきて、なんて可愛いのだろうと思ったことに驚いた

大学四年生は私の人生の中でとりわけ太っていた時期ではないけれど、今と比べると驚くほど太っていた
なんて可愛い太り方だろうと思ったのだ
太ももと見紛うふくらはぎ、ちぎりチョコパンのような腕、生ハムの原木のような太もも
全てが可愛く思えて、思わず「え、太り方の天才?」と口に出た

当時の私は容姿へのコンプレックスが煮えたぎっていて、いつ何をどこで整形するかばかり考えていた
自分の容姿の全てが嫌いで呪いのように思えていた
最近自分が妙に可愛く見えてきて、これは容姿が向上したのか、自己肯定感が向上したのかとずっと考えていたのだけれど、ようやくわかった

私は可愛くなんてなっていない
ただ可愛く思えるようになっただけだ

せめて弁えたブスであろうと努力した頃、自分がクラスで何番目のブスなのかばかりが
気になっていた頃、私にひどいことを言ったやつらを他の能力で殴って黙らせてやろうと血反吐を吐く思いをしてた頃、いつか自分を心底可愛いと思える日に願いを託した頃

全ての私が容姿コンプレックスで死んでしまいそうな夜を何度も超えて命からがら繋いできた今の私はようやく私を可愛いと思えるようになった
頭上にファンファーレが鳴り響くように、悩み苦しんでいたコンプレックスの確かな終わりを感じた

歯列矯正をしたり、痩せたりして私の容姿は確かに少しだけ変わったけど、他者から見たら全然変わっていないだろう
今だってこんなブスと吐き捨てる匿名の心ない人がいくらでもいるだろう

でも、私の可愛さは私だけのものなので誰かにわかってもらう必要はないし、自分向けじゃないと悟ったならとっとと家に帰って暖かくして寝て欲しい
顧客も投資家も私1人なので顧客じゃない人間の意見でテコ入れするつもりはない
痛い想いや苦しい思いをしてようやく掴んだこの可愛さとそれを愛する心をこの先絶対に離したくない
長い人生だから嫌なことが重なればふっと手からこぼれ落ちてしまうことがあるかもしれないけれど、すかさず拾い上げて抱きしめたい

これから私が迎えるのはお肌の曲がり角と名高い25歳
多分いろんな変化が起きる
その度になんて可愛い皺だろう、このたるみもキュートと常に自分を愛していきたい
私がかつて裾にフリルの入ったワンピースを着た時に「それはお前の自意識的に大丈夫
なの?」と自省を促してくる奴がいたように、ブスだと自覚するように求めてくる人はもっともっと増えてくるかもしれない
でも、今の私はそんな自信のない奴に許されなくて大丈夫

勘違いブスという言葉を何よりも恐れて慎ましく道化に徹していた若き日の自分に会いに行けたら伝えてあげたい
勘違いしているのは人が何を思い、どう振る舞うかを自分が決められると思い込んでいる人間の方に決まっているのだ

勝手に私をジャッジして可愛い可愛くないと決めてくる人がお金をくれるとしても自分を愛することは譲りたくないし、死ぬ時に看取ってくれるとしたら余計に嫌だし、実際のところは何一つしてくれないなんてよく考えたら信じがたい

人に自分を愛する権利がなくて何があるというのだと思う
勿論愛さないことも自由だけれど、そのどちらも自分以外の誰かに決められるものではない

私はこの世の全てのものを可愛いと思うことはできない
どうしたって、私にとって可愛いものとそう思わないものはある
私も自分が可愛いと思って身につけているからと言って棘のついた異常な高さのヒールの靴や”虎の柄”のブラウスを可愛いと思えと他人に強要することはない
私は全てを可愛いと思えないからこそ、誰かの思う可愛いを尊重して行きたいと思う
私が可愛いと思わなかっただけでそれは可愛くないと同義ではないと二の腕に刻んでいく

まだ社会に認められていない可愛さを自分だけが信じることが難しい世界だと思う
太っていれば自己責任やだらしないと思われる
禿げるとどんなイケメンでも何故かその事実に気付かれなくなってしまう
背が低い男性はモテにくい
電車に乗れば強迫的なまでに美白や脱毛の必要性を刷り込まれる

容姿だけではないと思う

偏差値の高い大学に行くこと
収入の高い企業に行くこと
若いこと
適齢期に結婚して綺麗且つ華美でないママになること

まるでたった一つの正解があって、それから外れるほど間違えているかのように追い立てられる
何も悪いことをしていないのに自信を持ってはいけないかのような気持ちにさせられることが良くある
人から認めてもらえない自分を認めるのは人から認められている自分を認めるよりずっと難しいけれど、もっと効果のあることだと思う

私にお金をくれて、私が死ぬ瞬間まで一緒にいてくれる私にこれからの人生、幸いあれ

#エッセイ #コラム #人生

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