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家族のために…父の葛藤

皆さまこんにちは。

本当に寒いですね。やはり冬が到来しました。
各地で雪☃️の便りが届きますが困難な状況となっている地域の皆さま、どうぞご自愛ください😌

ところで両親について…です

私は結局両親が大好きなんだと感じます。
見ず知らずの方々へ我が家の両親の生き様を記しても何もならないとしても、綴っていこうと残していこうと動いております。

どこかの誰かに感じていただければ幸いです😌


ところで、父は母を連れて利尻島へ旅立ちました✈️

よくよく話を聞くと、父の友人夫婦からこの北海道旅行を誘われたとの話。当初、父、友人ご夫妻と3人で旅行を計画していたものの、奥様が都合でキャンセルとなり、母を連れて行くことになったという。

当初、母は経済的理由からこの旅行は拒否するも、父が強制的に手を引っ張って連れて行った。

当時この感想について恐ろしくて聞けなかったが、今、母に聞いてみると、
優しい顔で言った。

母「お父さんがね、利尻富士に登ろうっていうのさ。私も一緒に行った〇〇さんも「足が痛いから無理」と断ったの。「俺一人で行ったらつまらないじゃないか」って。」

私「お父さんだけでも登らなかったの?」

母「だって、どうしても私を連れて行こうとしたんだよ。でも少し前に事故で怪我した腰やら足やら痛くてね。お父さん諦めてそのまま3人でやめちゃった」

母「あの時、無理して一緒に行ってればよかったね」

父といえば、
山の行程表の作成、山岳会メンバーの食事、宿泊、レンタカーの手配まで一人でこなし、まるでツアコンのようだった。
70代半ばに差し掛かるも、PCで書類を作り、自治会の役員も続けていた人。
父は賢く何でもできる人。
だからこそ、人に軽く扱われる事を嫌った。

私の主観だけれど。

父は、最初から母を北海道へ連れて行きたかったのでしょう。

今の元気なうちに母との想い出を作りたかったに違いない。

私は父の不器用な生き方やお人好しな性格を否定し、ああだこうだと御託を並べ、はからずも父を矯正しようとしていた。

しかし父は何でもできるという自信を持って自由に生きる道を選び、その責任も背負ってきた。
たった一人でそしてその苦労を押し殺してきた。
父の持ち味である「自由」を家族に否定され、理解されずにここまで生きてきた。

父には理解されない妻だが、その妻と一緒に見た景色を大切にしたかった。
不器用な父の精一杯の恩返しだった。

北海道に二人が行っている間、私はそんな事を考えていたのを覚えている。

つづく

毎日愛娘弁当❸

母のためにお弁当を届けます👍

メニュー
☆鳥胸肉とブロッコリーのハニーマスタード風

娘じゃなくて主人が作ってくれました👨
摂取カロリーや野菜を多く摂れるようにとの気遣い。感謝です✨

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