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『苦手意識製造マシーン』にならない自分への誓い

今、子供と一緒におやこ保育園に通っている。

友人から本を紹介され読み、HPを見て、育休中に息子と一緒に通いたい!と強く思った保育園。

残り1席の所にギリギリ滑り込んで入園する事ができて通園している。

毎回、子供がノビノビと楽しそうにその場を楽しむ姿が見られる事、そして、自分自身を見つめて言葉に出す事でそれぞれの時間を楽しむ約3時間。

毎回、子供の目がキラキラして好奇心の塊となる瞬間をとらえる事が出来る瞬間が物凄く愛おしい。

今日の”キラキラ★タイム”は、お昼休憩中にボランティアの方がクラリネットを演奏してくれた瞬間だった。

音楽が好きな息子だけど、いつもは機械音の音楽を楽しむだけ。

生演奏。しかも、手が届きそうな近さで楽器を演奏してくれる方をじーっとジックリ観察し、時にはリズムを刻みながら、音を堪能している姿が見てとれた。

0歳児の息子だけど、パッと何かが覚醒した瞬間だと、そんな風に感じた
お昼休み。

*****

そんな経験をした後の親の時間。今日は、自分自身への問いかけが

「なぜ、子供の頃自分は表現(歌や運動など)する事を
 苦手だと思う様になったのか?」

だった。

私自身、運動神経が悪く子供の頃、体育の時間、マラソン大会、
運動会が大っ嫌いだった。

なんとか、マラソン大会とか休みたいと思って母親に仮病を訴えても、
そんなことお見通しで、仮病への訴えはスルーされ、ひーひー言いながら
大会で走ったり。

運動会で、兄弟のお友達から「○○のお姉ちゃん頑張ってー!」とありがたくも声援を受けながらも、徒競走でビリになったり。

嗚呼…今、こうして思い出すだけで、あの時嫌だった気持ちが鮮やかに
蘇ってくる‥。

でも、大人になってからトレッキングを始めたり、ちょろっとダンスをしてみたり、ヨガに通ったり。。。

あれだけ毛嫌いしていた運動を楽しんでいる自分に気づいた。
むしろ、体を動かす事意外と好きになっているんじゃない?

その違いって何だったんだ・・・?といった思いが湧いてきた。

******

ああ、私が嫌いだったのは「体を動かす事」が嫌いだったんじゃなくて

・自分が人と比べて自分が劣っている事を認識すること
・成績などで自分が下に居る事を突き付けられること
・団体でやり続けなくてはいけないこと

周りと比較して、自分がダメだと思い込むこと。そして、周りからのダメだという評価が、いつしか「私は、○○する事が嫌い。苦手です」と思わされていってしまったんだと。

「好き!」「楽しい!」「ワクワクする!」という気持ちを封じ込めさせてしまって、大人になり、そうしたことから解放されたから、今は楽しめているんだ。

その思いを今日外に吐き出す事ができた。

中学2年生の時だったか。

たった、1度だけ体育の教育実習の先生にバスケットボールの練習をしていた時に、

「うまい!いいね~!!」

と、褒められたことがあった。今でもそれを鮮明に覚えている。

恐らく、とっても下手だったはずだ。

でも、その時の私はその瞬間とても嬉しかったし、大人になった今でも
ハッキリと覚えている瞬間だ。

*****

子供が育つ中で、誰かと比較する事、比較される事を避けて通る事は絶対に出来ないと思っている。

成績表が無くなる訳でもないし、運動会などが無くなる事もない。

世の中には、凄い人は沢山居るのだから。

でも、誰かと比べて劣っているからと言って自分が

「好き!」「ワクワクする!」

という気持ちにブレーキを掛ける必要は本来無いのだ。

今日、息子がキラキラしたその気持ちが、例えば、楽器を弾いたり、歌を歌う事に興味を持った時に、周りからの影響などで潰されかけてしまう事があったとしても、私だけ(もしくは、私たち家族)はその気持ちを潰さずに、息子が楽しいと思える事をノビノビと楽しめる様にさせたいと思った。

楽しみ方だって色々あるのだから。

母親の私が、息子の『苦手意識製造マシーン』の人間とならない様に。
呪いの言葉をかけない様に。

私が教育実習の先生から掛けられた言葉を息子に掛けられる親でありたい。

好きな事が沢山あった方が、自分で自分を豊かにさせる事が出来ると母は思うのです。そんな母は、最近はゴスペルやこうしてnoteを書くことで表現を続けているのだよ。

息子のキラキラを見つける時間は本当に楽しい。

そんな気付きを得られた『親の時間』でした。